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「毎日野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたり、あるいはモノを作ったりとかと違って、基本的に皆さまは知性の高い人です」と県庁の入校式で言った静岡県知事がいました。しかしポール・ケネディのこの本を読んでみると、連合軍側が高い知性のより集まりで勝ったのではないと言っています。カエサルが英雄になったのは毎日彼に栄養をつけさせた料理人がいたからです。万事これでチャーチルやスターリンやルーズベルトが戦勝をもたらしたのではありません。国民の大多数が創意工夫を凝らして枢軸国を打ち負かそうとして邁進したからです。最近のモノ作りでもそうです。コンピューターで設計され作られた機械類はすべて万全であるといえないようです。ここで熟練工の旋盤によって作られた部品でスムーズに機能するということが度々だそうです。日本もゼロ戦までは善戦しましたが、その後、エリートも国民も何か新しいものを作り出そうという気がなくなり、戦略も同じパターンを繰り消し、アメリカに見透かされていたということです。静岡県知事のようにエリートと一般人をかけ隔てるような国は将来性がないように思われます戦前のエリートである軍部のふんぞりかえりぶりを見ればわかるというものです。
明治時代からこの方、日本の知識人は欧米を手本にして英語ドイツ語フランス語を習いそれぞれの国の事情を知りそれらを日本に持ち帰り日本の旧弊を正すということに専念していました。しかし第二次世界大戦や失われた30年を見ると日本のエリートも口で言うほどでもないということがわかりました。幸いなことに江戸時代からの寺子屋の教育から基本的な文字や算数を教えているのですから、国民の底上げができているのです。1億人以上の国民が同じ日本語をしゃべり意志疎通ができるということは他の国では見られないことです。最近ではいくらエリートが欧米ではこうなのだと言っても、常識ある日本人は旧弊であることを恥ずかしがったりしません。「不作為」という時間差で局面を切り抜けようとしています。欧米のエリートは自分たちがいないと自分たちの国は成り立たないという高慢な気持ちの持ち主ですから、自分たちの考え方に従わない日本はやがて潰れていくだろうと警鐘を鳴らします。自分たちの国民が、とてつもない高い給料をもらうエリートを保持しないでもやっていける日本国を見ると、知的階級と労働階級の身分制度を破壊させるのではないかと恐れているのです。一部のものが特別偉くても大方の者が銃を保持していざというときには発砲するような社会には先がないと言えそうです。
軍需産業のさばっている国、アメリカ、ロシア、中国は将来がないと言っています。軍需産業は資本主義の粋を行っているわけで、資本主義の理想なのです。何しろ一部の独占企業が自由に価格をつけられ、儲け放題ということです。要するに一部の人だけが大金持ちになり、あとは汲々の生活を強いられるということです。資本主義とは格差の拡大です。一部の者には都合のいい社会なのです。アメリカでは毎日底辺同士がうっぷん晴らしで銃を発砲し何人も死んでいます。人種差別も激しく、この前のアカデミー賞の発表会場の様子を見てもわかります。白人同士がつるみあおうとしています。白人の男優や女優は、ブロンズ像を渡すアジア系の俳優をまるでホテルのメイドかボーイのごとく扱い、さっさと取り上げ、白人同士の仲間に入りハグしたりして喜び合っています。このようなシーンを見ると、表面上人種差別はいけないと彼らの口から出ますが、実際は相変わらず白人の世話をする使用人だと思っているのでしょう。全く変わることがないような人々です。