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11月の8日島倉千代子が亡くなりました。団塊の世代にとって、また美しい「お姉さん」が亡くなったことになります。この前は藤佳子が自殺し、昭和に活躍したタレントや有名人が髪の毛が抜けるように、世の中から消え去っていきます。
「夏草や 兵どもが 夢の跡」(芭蕉)
現代風になおすと、「ビル群や タレントどもの 夢の跡」となるでしょう。この本にはタレント以外にも政治家、ヤクザ、詐欺師、実業家、ホステスや、ママ、夜にひしめく人々が多く出ています。
杉良治は滋賀県の彦根東高校を卒業し、日本大学のアメフトのスポーツ特待生で入りますが、先輩のしごきにあってすぐやめます。一年浪人し早稲田の政経に入りますが、6年間もいたのですが単位が取れなく中退します。アルバイトで夜の飲み屋で働いていたので、中退後この方面に進んでいきます。
よく男は「器」というものが問題になります。滋賀県からそれほど豊かではないものが東京に出て何年か後に東京のど真ん中に店を作り、何億も儲ける。もちろん借金をするのでしょうけど、それを引き出す自信はどこから出てくるのでしょうか。私には想像もできません。私の父がよく言っていたものです。酒の場に出て行って、人と付き合わないと大きなことはできないと。私のように酒も飲まない、タバコも吸わない、女性とも男性とも付き合わない男はせいぜい将棋で弱いものをとっちめ鬱憤をはらすことしかないようです。
中には中江滋樹のように一時期行方不明になったものもいます。暴力団に殺されたのではないかといわれていましたが、自ら火事を起こして、刑務所に収監されました。塀の中のほうが安全だと思ったのでしょう。中江滋樹は杉良治の彦根東高校の後輩だそうです。
石原慎太郎はクラブ「サンルイ」のホステスに手を出し、子どもが生まれます。都知事なる前のことで大騒ぎになりましたが、認知したということです。やはり夜の世界は「下半身」の繋がりも大事なようです。このネットワークは政界・経済界にも広く広がっているのかもしれません。
「欲しかった 自由と時間 持て余す」
私もいっそのこと仕事をやめて毎日ブラブラしたいと思うときがありますが、まさしくこの川柳のようになるのではないかと心配して、相変わらず同じ仕事をしています。
「期限切れ 犬にやらずに オレに出す」
一人モンにはわかりませんが、なかにはこんな夫婦もいるでしょう。
「お迎えよ 言うなよ ケアの送迎車」
正岡子規のように「お迎え」はいつ来てもいいが、明日では困ると言ったように、死ぬのは明日だと決められればいやな気持ちになるでしょう。
「カネ貯めて 使う頃には 寝たっきり」
カネは溜まっていませんが、そうなる可能性が強い。
「90を 過ぎても気にする 中国産」
これほどの歳で、食べ物に気遣うのだったらもと長く生きるでしょう。
「年寄りに 渡る世間は 罠ばかり」
このまえ電話でいらなくなった服やらを買いますといいてきたので、服をまとめて待っていたら、服などチラッと見ただけでカネにならないといい、貴金属や宝飾品はないか問う。はじめから金などの貴金属を探す目的のために来たのだとわかる。株をやらないかという電話もかかってくる。まさしくこの川柳通りだ。
「家事おぼえ 火事になりかけ 家事解雇」
字面がおもしろいので、座布団一枚!
「後ろ前 笑うおまえは 裏返し」
老境にさしかかったいい夫婦の見本だ。
「最近は 食事をこぼし 愚痴こぼす」
いまのところ食べ物をこぼさないが、一人で愚痴っています。
「冷蔵庫 開けてビックリ リモコンが」
私もこのまえ通帳をどこかに隠して、その場所がわからなくなり再発行してもらいました。
私も後何年生きられれかわかりませんが、ボケないように願っているだけです。
宗希璟の「老松堂日本行録」を中心にして、朝鮮人の日本の見方を解説しています。宗希璟は「1420年(応永27年)閏正月15日、都漢城を出発」して、日本に行き、その年の10月25日に漢城に帰り、世宗に「粛拝」しています。今のソウルから京都まで11ヶ月かけて往復したのです。
宗希璟が日本に来る前に、朝鮮は倭寇の巣窟である対馬を攻撃しています。倭寇は朝鮮や中国の沿岸部まで襲って、略奪したり、人をさらって奴隷にしたりしていました。これに腹を立てた世宗は当時朝鮮にいた倭人を隔離し、「兵船227艘、総計1万7258人」で対馬を撃ったのです。全面勝利にいたりませんが、「1939戸を焼き、114の首級をあげ、21人を捕虜にし、中国人131人」を解放したと記録が残っています。対馬という僻地の事件が京都では明と朝鮮の連合軍が対馬を襲ったという噂になりました。このことが当時の日本の権力者足利義持に疑念を抱かせ、会おうとしませんでしたが、宗希璟が倭寇の悪行を懲らしめただけで、日本全体に対するものではないと説明し、「礼を回らして信を通じるためにやってきたのです」と言って、やっと義持の疑念が解きました。
「老松堂日本行録」には当時の日本の様子が記されています。将軍が家来の家に行くと、その家来の妻が将軍と一緒に風呂に入り、背中を流したりするということを書いています。おのずとねんごろになり、お手つきになって家来から妻を取り上げることになります。朝鮮では両班の妻がそういうことになったら、妻は自害するでしょう。
各地に市が盛んで底には必ず遊女がたむろしているということも書いています。おまけに貨幣が流通しており、旅行するにしても米とかの食料を持参することもなく、旅先で金を払えば飯も食えるし、泊まることもできると知って、目を見張っています。
また仏教でも、尼と僧侶が同じ敷地に居を構え、夜になると混合し、子を孕むと実家に帰り子を生み、一段落するとまた尼になり、また元のような生活をするのだと聞いてビックリしています。
当時でも日本は朝鮮に比べて暖かかったのでしょう。蚊も朝鮮と比べて二倍も大きいといって、蚊帳を釣ってあっても一匹でも蚊がいると眠れなかったと書いています。
飢饉もあり路上には飢えた人間や病人がたくさんいたとも記しています。私もソウルに旅行したのですが、東大門の近くの橋の上に乞食が多くいたので驚いてしまいました。旅行者は地元ものが普段あまり気にかけないようなものばかり、注意深く見るのでしょう。当たり前のことに慣れてしまって、あまり考えないようになっているのでしょう。部外者から指摘されてあっと気づくことが多いように思われます。
暴対法ができてから表立って暴力団が出ることが少なくなっていますが、そのかわり暴力団か単なる不良かわからないものが増えているようです。ここでは「半グレ」といっています。「半グレ」といっても裏では暴力団とつながっているようです。ただ組長には「使用者責任」がかかってきますから、関係ないようなフリをしているのでしょう。ただし最近では普通のサラリーマンやら郵便局員やら公務員などがヤクザの舎弟になっているものがいるようです。こういった普通の人がヤクザになるのは「弱み」を握られたためだということです。未成年の女の子を抱かせて写真とり、「有能な人材」をスカウトしているのです。今からのヤクザ社会は「武闘派」よりは頭を使って金を儲ける人間のほうが重宝されます。また会社を作りオーナーはヤクザだけどこれを隠し、ここで働いている人もこれがヤクザが取り仕切っているとは思わないような会社がたくさん生まれているようです。
こうまで不況が進むと、真面目で順法精神に富んだ人はまともな生活ができないような気がします。そのような人は収入が減っても我慢するしか方法がありません。おのずと下流に落ち込んでしまいます。いままでの生活を維持しようと思うなら、自然と生き方がヤクザまがいになることを容認しないといけなくなるようです。ヤクザのノウハウを受け継ぎ、「クレーマー」になり、交渉術にたけ、どのようなことでもただでは起きないという精神を身につけてこそ、この厳しい社会を乗り切れることになるようです。それができない人は1000万円もらって、無実の罪をかぶり、親分の代わりに刑務所に入所するしかないような世界になっているようです。この本を読むと今の世の中まっとうな生き方ができないような気がします。今日も今日とて、有名なホテルの食材インチキがばれたというニュースが流れています。
サリーさんは京都大農学部大学院を卒業された才媛です。大学の図書館の「食品学の棚のどの本に何が載っているのかほとんど把握していた」ということです。家庭も「食べることが大好き」ということで、「食べることが楽しみだったら毎日幸せでいいよね」と同じ事を父親も娘も思っていたということです。普通毎日人は二食か三食をたべるのですから、これに楽しみがなければ人生はつまらないものになるでしょう。独り者の永井荷風はカツどんが大好きで、一人寂しく出前のカツどんを食べていました。家族がいなぶん煩悶も少なかったろうけど、孤独感がつのったでしょう。おのずと人恋しさに外に出てぶらつくようになります。このように何か欠けるものがあるとそこに埋め合わせのために「文学」が生まれるのでしょう。
幸せは幸せなりに充分いいものではありますが、それにどっぷりと浸かってしまうと何か物足らなさが生じてくるような気がします。料理でも時にはスパイスを効かせたものが食べたくなります。サリーさんも時にはホストに入れあげ、父親を悲しませるようなことになると、料理の幅ももっともっと広がるかもしれません。