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嵯峨天皇時代、薬子の変で藤原仲成が誅されて以来平安時代死刑が執行されなかったということです。藤原伊周が花山院の矢を放った事件でも、死刑を減じて遠流にされています。嵯峨天皇も薬子の変で政敵の仲成を死刑にしたことで気分が滅入ったのでしょう。仏教も広まり、地獄絵図も見ているでしょうから、人を殺めることに恐れをなしたといえます。天皇が裁可して死刑を決める相手は身分の高い人々であり、今風に言えば上流国民であり、下流国民の盗賊やら強盗など検非違使が捕まえる時など矢を放ってそのまま殺されるか、生きて捕まえても適当に裁判もかけず殺されていたケースもあるのではないかと言っています。平安時代死刑が全くなかったとは言い切れないでしょう。平安末期になると武士が台頭してきて、その首領に一存で刑罰が決まるようになります。