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民族の集合的無意識が神話であるなら、八岐大蛇を退治したスサノウの尊は農業神であり、八岐大蛇は出雲を流れる河川であり、これらの河川の氾濫を止めたのがスサノウの尊で、やっとその地に稲作が安定的に出来たということになるかもしれません。かつてはスサノウは天照大神のもとで、あぜ道を壊したり、宮殿に糞をひったりする乱暴ものの弟でしたが、地に降りて人間のためには役に立つ神様になっています。婿殿の大国主命が来て自分の娘を奪い取ろうとすると、また再び荒ぶる神になり、危害を加えようとします。これも人類学的にいえばイニシエーションのことかもしれません。やがて大国主命は天孫族に国と引き換えに大社を建ててもらい、そこに収まります。名誉ある敗戦にいたったのでしょう。現在でも出雲地方の人間のDNAは東北の地方にも飛び火しているということは、卑弥呼前の大倭乱の際、大和側の攻撃を受けて、出雲の人々は、裏日本伝いに東北まで逃げ延びたと思われます。夢とは現実がデフォルメされたものであり、神話とは歴史がデフォルメされたものだと思えば、辻褄が合わないとしても、それを紐解いていけば、歴史のストリーが見えてくるかもしれません。
日本語と英語が対になっている本です。日本のページと英語のページを比べてみると、日本語の方が余白が多いのです。ということは日本語では少ない言葉で意味が通じ、英語では多くの言葉を費やさないと意味が通じないということになります。英語は冗長であり、日本語は簡潔だということになります。別の意味では英語は緻密であり、日本語は大雑把だともいえます。英語では契約書の文章であり、言い逃れができませんが、日本語の文章は忖度の文章であり、どうとでも言い訳ができるような気がします。
A・ホルバートによりますと、日本は議会制民主主義ではなく、利害制民主主義といっています。日本の国会議員は「法を作る人」ではなく、自分の関係する団体に多くの予算を付けることが第一の仕事になっています。英語では議会制民主主義を「parlliamentary democracy」といい、利害制民主主義を「interest-group democracy」といっています。
昭和天皇の葬儀で、A・ホルバートが第二次世界大戦の日本について言っていることは、欧米、とりわけアメリカのジャーナリスト、知識人の典型を示しています。日本がアジアに多大な被害をもたらしたことをいい、なおかつ、いまでもそういう事実を自国の教科書に載せないで、いまでに反省の色がないということです。そういわれると、日本だって言いたいことはたくさんあります。第一次世界大戦後日本は国際連盟に人種的差別撤廃提案を出しましたが、アメリカの大統領・ウッドロウ・ウィルソンによって否決されました。インドネシアでのオランダ人を日本兵が殺したというなら、それまでのオランダ人は現地人にどのようなことをしたのかを言ってほしいものです。イギリス人、アメリカ人、オーストリア人の捕虜を虐殺したというなら、オーストラリアのアボリジニの虐殺はどう説明するのでしょう。イギリス人だって世界で植民地を持ちひどいことをしています。アメリカだって、インディアンは言うに及ばず、黒人にしてもしかり、日本人だって法律で以てひどい差別を受けていました。自国のことを差し置いて、他国のことをつべこべ言うのは韓国と同じです。案外アメリカのジャーナリストは韓国と気が合うのでしょう。今回の日韓の問題も韓国に肩入れし、日本バッシングになりそうです。私一人の被害妄想かもしれませんが、白色の人々は黄色の日本人が成功するのを最も嫌がる人たちかもしれません。甘い生活ができていた植民地から追い出されたことに未だに深い恨みを持っているのでしょう。
ジンギスカン料理はジンギスカンが戦場で鉄のかぶとを火にかざして羊肉を炙ったものではありません。日本陸軍が、防寒用の羊の毛を取った後、食肉としてすすめたものです。それがジンギスカン伝説になったのです。もちろんモンゴル人は羊肉を焼いて食べていたでしょう。しかしそれはハレの日で特別な行事があるときです。いつもは羊の乳を搾り、ヨーグルトやバターにして食べていました。いつも羊肉を食べていたのでは、あっという間に羊は少なくなり、遊牧が成り立たなくなります。あのジンギスカン鍋も、日本で考えられたもので、山のように盛り上がったところに肉を張り付け、その肉汁が下に流れて溝に溜まります。そこに野菜を入れて、肉汁で旨くなった野菜を食べることができます。モンゴルでは野菜はできないのですから、そのような鍋の発想はなかったと思います。
チャプスイはかに玉のような料理ですが、これはアメリカの中華料理店が発祥の地です。マカロニやスパゲティーが入っていることもあります。肉や野菜を細切れにしてごま油でいため、スープで煮て、最後片栗粉を水で溶いてとろみをつけて、ご飯にかけたり、そのまま食べたりします。ときには卵焼きに巻いてオムレツになったりします。中国本土では、このチャプスイを中国料理として認めていません。当時列強によって侵食されていた中国ではアメリカ発祥のチャプスイを中国料理として認めたくなかったのでしょう。
いずれにしても日本人は改良に才能があるようです。大雑把につくられた外国のものを緻密にしてしまうのが日本人のいいところかもしれません。
大学を格付けしているところも、アメリカの信用格付け会社と同じかもしれません。サブプライムローンを信用の足るものと評価していたくらいですから、大学の序列も話の種くらいとしてしか見たほうがいいのかもしれません。英語圏の人が裁定を下すのですから、日本語圏では不利になってしまいます。シンガポールの大学の順が高いのは、英語を公用語にしているからです。日本のある企業では社内で英語だけを使う環境にしました。果たしてうまくいっているのでしょうか。政府も発奮して大学強化に乗り出していますが、基本的には英語力の強化のようです。これでは大学が単なる語学学校に過ぎなくなるかもしれません。欧米人と英語でペラペラしゃべれてそれでよしとするなら大学など必要ありません。研究が一番の目的ですから、日本語であろうと英語であろうと、独創的な考えができることが大切です。文科系も理科系も母国語で考えることが一番深く考察できるでしょう。日本の歴史など文献は日本語が多いので、日本語で書くのが当たりまえです。AI翻訳はもっと進歩するでしょうから、日本語の論文をドンドン英語に翻訳すればいいだけです。留学生の問題ですが、日本語の習得が難しいので、留学生が集まらないということで、何とかならないかという問題です。厳しい言い方ですが、そのような留学生は英語圏の大学に行けばいいのです。世界ランク一位のオックスフォードでは留学生を取り入れることで儲けが出ているそうです。決して慈善で大学教育を他国の若者に施しているわけではないのです。
第一次世界大戦から世界の覇者になったアメリカは、2040年、中国のGDPがアメリカを抜く頃、世界の覇者から滑り落ちるだろうという予想があります。それに対してナイは今世紀も来世紀もアメリカの覇権がずっと続くといっています。
1970年代ソ連がロケット軍需産業の特化からか、経済がいびつになって、脱落します。1980年代に入ると、ライジングサンと言われたように日本がアメリカの牙城を揺さぶりますが、アメリカの巧妙な経済政策によって、思いあがっていた日本をぺしゃんこにしてしまいます。さて現在ですが、中国は日本の二の舞になるのでしょうか。ナイが言うには、中国の製品はすべてアメリカのコピーで、何一つ自前の技術は無く、これでは当分アメリカを抜くことができないだろうと言っています。おまけに中国は日本、台湾、インドネシア、東南アジア諸国、インドなどの自由主義圏の国に囲まれて、まずこれらの国を征服して、アメリカとはなかなかうまく出来ない状態になっています。軍事面で真最近中国の宇宙船が落下したように、この方面でもアメリカに太刀打ちできません。今年の春節の紅白歌合戦では、巨大な国産の水陸飛行機を登場さしていますが、航空母艦の少なさをこの巨大な水陸飛行機で代用させようとしても、この程度のスピードではすぐにミサイルで撃ち落されるでしょう。トランプの経済政策で中国の成長率は落ち込んでいますが、毛沢東の理論を信じて、ひとつ核戦争でも起こし、人口の差で生き残れるのは中国であると思い、習近平は核のボタンを押す可能性だってありそうです。