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「日本の女性は、自分の国にいる時、家庭からも仕事場でも、いろいろな制約によってしばられている。どこへ行っても、つつましくしなければならない。知らない男性に話しかけられたら、怖がって見向きもしない。ところが、日本から一歩でも出たら、誰とでも寝てしまうんだね」
これはA・ホルバートの友達のイギリス人ジャーナリストの言葉です。日本の女性は軽いというのは本当のようです。衆人環視の息詰まるような日本の社会から飛び出すと解放された気分になるのでしょうか。縄文、弥生と何千年もこのせまい国内で近親結婚をしてきたようなものですから、いい加減に日本の男も女も自国の異性に飽き飽きしているのでしょう。テレビを見ても、最近は日本人離れした顔つきのタレントが多い。日本の女性が欧米先進国の白人系の種をもらって生んだ子供が活躍しているのでしょう。運動選手では黒人系の子供が多い。未だに縄文系を残しているのは、吉本興業系のタレントくらいなものです。近代資本主義の原点である契約書すらなく、口約束だけで仕事がまかり通ったということで、相手を信頼する縄文の美風が色濃く残っているのでしょう。だからDNAの多様性のためには、このような人たちも淘汰されないで残していく必要があります。グローバリゼーションがすべていいものとはかぎりません。
日本人は自分のことを特別な民族と見られたがっているとA・ホルバートは言っていて、だからといって日本が特別だとは思わないといっています。どこの国でも納豆のようなものはあるのだし、それが食べられないからと言って、日本人に劣らないわけでもない。日本が魚の旨さを宣伝したお陰で、世界中寿司が食べられ、中国ではサンマの塩焼きが大流行だとききます。日本は黙って近隣の魚を食っていればよかったのです。それが日本料理を世界遺産にするから、中国すらサンマを食い出したのです。
モンゴル族は長子相続ではありません。康熙帝は三男の胤ち(示す偏に止と書きます)を皇太子にしていました。遠征中に康熙帝が皇太子に書いた手紙が数多く残っています。皇帝の書いた手紙は全て朱書きで、台湾の博物館に残っています。この時期は康熙帝と皇太子の仲は良かったのですが、後になって皇太子を廃止したり、また復元したりします。結局皇太子を決めないまま死んでしまいます。康熙帝の臨終に立ち会ったのはロンコドという大臣で、彼は康熙帝の四子胤禛があとを継ぐという遺書を発表します。ロンゴドは胤禛派に属していて、果たしてこの遺書が正しいものかどうかはわかりません。いずれにしてもこの四子の胤禛が雍正帝になるのです。
遠征中康熙帝はよく狩りをしています。その報告を手紙にも書いていて、康熙帝が長男や次男やら他の家来よりも多くのウサギを獲ったと自慢しています。多分みなが遠慮して康熙帝を喜ばすために多く取らしたのでしょう。
イエズス会の牧師が康熙帝に天文学を教え、この遠征中に北斗七星を観察し、北京と遠征した場所との距離を測っています。
「数学のように厳密な論理に従う学問の用語として、漢語は明晰でないゆえに、習得が難しかった。そこで康熙帝はジェルピヨンとプーヴェに西洋科学を進講させるために、満州語を習わせた。日本語、韓国語、モンゴル語のように豊富な語尾変化を持つ満州語は、論理をたどるのにむいているのである」
ある人は漢語が論理的で冗長さがないといい、岡田英弘が言うように膠着語(日本語、韓国語、モンゴル語)が論理的だという人もいます。それぞれの言語の思い入れによってそれらが決まるのでしょう。
弥生的倭人のルーツは遠く上海近くで稲作をやっていた人たちで、漢族からは「東夷」とよばれ、春秋時代、呉の国の住民であったが、紀元前473年、南の越王・勾践煮よって滅ぼされ、陸伝いでは、北部に呉の敵である燕がいたため、船で朝鮮の中・南部に渡り、それらが日本にも流れ着いてきたというものです。稲作文化圏をつくり、注連縄とか鳥居といったものが、共通してあります。ところが朝鮮では戦乱難民であったものが稲作文化圏の辰国をつくったものも、狩猟や畑作民族である高句麗の一派・夫余によってできた百済によって滅ぼされます。その経過が神話によって証明されています。狩猟採集民族では、卵という動物性蛋白が注目されます。大きな「卵」から人間の子供が生まれでて、それが王になるという神話です。ところが稲作文化圏の日本では「水」が最大のテーマになります。イザナギとイザナミが天の橋に立ち矛で水をかき混ぜて、島々=日本国をつくったということになっています。タイヤベトナムでも中国で稲作をやっていた人々が戦乱にまみれて、移住したといわれています。タイ国での水祭りも、稲作と関係があるでしょう。岡山の裸祭りでも水をぶっかけられています。五穀豊穣を願う祭りでしょう。
世の中どんなことでも学問の対象になることがわかります。ペットボトルの栓すら収集している好事家がいます。そのうち、ペットボトルの栓の歴史も書く人がでてくるでしょう。ましてや縄文時代から食べているアユですから、学問の対象にならないはずがありません。アユの骨は小さいからわかりませんが、アユを獲る籠などが遺跡として出て来ます。その頃は川の汚染などありませんから、さぞかし香ばしいアユが獲れたでしょう。アユは鮭と反対に、秋になると産卵のために川を下り、河口近くで産卵し、春になると遡上する魚です。稚魚や成魚を獲るにはいろいろなやり方があります。友釣りなどは江戸時代に考えられた極最近のものです。日本書紀には漁労禁止期間も定められて、当時からとりすぎの傾向があったのでしょう。また朝廷直属の漁労民もいて、天皇にアユを献上する民もいたようです。徳川時代では、鵜飼漁民は幕府のお墨付きを得ていたようです。時代を経るごとにいろいろな規制が加わって、一般のものがたやすくアユをとることができなくなってきます。現在ではその川を管理する漁業組合にお金を払わないと、釣りができない仕組みになっています。
私が小学生の時、京橋川で魚の餌である「ごかい」をとってはいけないといわれ、小学生ながら、なんと理不尽なことかと思ったことがありました。
かにかまぼこのような蟹肉が入っていない食品や、肉の入っていないハンバークなどについて解説する本だと思っていましたが、実はウナギが高いから別の材料でうな重を自分自身で自作しようとする本でした。ちなみにうな重はゴボウで作ります。ゴボウをゆで、衣をつけててんぷらにし、それを甘辛く味を付けてご飯にのせるのです。ニセカツどんは麩をトンカツに見立て、甘辛く煮て、卵をとじて出来上がりです。大豆チーズなども載っていますが、仕事をしている主婦など面倒くさく作くる気もおこらないでしょう。霜ふり牛肉を作るには、普通の牛肉にラードを溶かしてふりかけ、生け花で使う剣山で肉に穴を空け脂肪を溶け込ますとできあがります。そのような面倒くさいことをやらなくてもラードで焼けば同じようなものですが、人間見た目が大事なので、同じ味であっても霜ふり肉と思えば、より旨く感じるものかもしれません。「予想どおりに不合理」的な考えをするのが人間なのですから、手間をかけて自分を騙し、また騙されることで喜びを感じているのが人間かもしれません。