[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
黒人が「風とともに去りぬ」を読むとムカムカするそうです。この本の作家であるマーガレット・ミッチェルは黒人は白人より劣ったものであり、だから黒人は白人の下働きをし、白人は彼らを家畜のように保護し世話しないといけないという、白人にとっては都合のいい考え方です。現在のアメリカの黒人の顔つきはやや西欧人に近くなっています。ということは奴隷制時代若い黒人の娘を買ってきた農場主の白人は大体レイプします。子が生まれると、白人の妻が子供に強く当たります。で、御主人はその子をまた奴隷市場に売り出すのです。色が白くなるにつれて高く売れます。自分の子供ですが、家畜が生んだ子供ですから、何ら良心の咎めは感じなかったのでしょう。
マーガレット・ミッチェルも盛んに書いているのですが、南アメリカの美談なるものがあります。黒人奴隷が白人に忠実に仕えることです。「風とともに去りぬ」でも御主人と一緒に南北戦争に出た黒人奴隷が主人の亡骸を背負って家に帰るとか、南北戦争で食料不足におちいったスカーレット・オハラに踝を猟銃に撃たれても、食料を盗んでオハラに持ち帰る黒人奴隷もいます。しかし南北戦争で北部の「ヤンキー」がはいってきたことによって、南部の美風は壊れます。この本の最後ころは、KKK=クー・クラックス・クランの誕生によって、また再び南部に奴隷制度のうえに成り立つ豊かな生活が戻ってくるのではないかとしめくっています。
中華思想の始まりは、紀元前の1000年の周の時代から始まるそうです。「威信財交易」といって、「宝物や美女などのプレゼントを持って」行って、どちらがよりすぐれているか競い合い、負ければ家来に、勝てばそれらの支配者になるそうです。周では「漢字を掘り込んだ青銅器」が他の国を圧倒していたようです。現在では中国のGNPの高さが周の青銅器といえるでしょう。
二人は日中戦争や太平洋戦争を起こした昭和のエリートたちを嘆いています。ヒットラーの「わが闘争」には、「日本人は想像力の欠如した劣等民族であり、ただしドイツの手先として使うならば、小器用で小利口で役に立つ国民である」と書いています。ところが日本の翻訳書ではその部分など削除されて出版されています。明治の偉勲たちは、それなりに原書で読み、世界の流れを掴んでいたのですが、昭和の軍人はドイツとイタリヤとで三国同盟を結んだくらいですから、原書で書かれたものを読んだことがないのでしょう。「驕慢なる無知」「偏差値優等生の困った小さな集団が天下を取った」おまけに「底知れず無責任であった」ということになります。いまだにこの傾向はなおっていないと言っています。
高度成長が成功したのは、「冷戦時代」で軍事はアメリカの核の傘に入り、「キャッチアップモデル」でアメリカから技術を盗み、おまけに「人口増加」の三拍子がそろっていたので、「そういう社会では勉強せずに黙々と長時間働くというスタイルが合理的でフィットしていた」ということになります。ところがこの三点がなくなっても、いまだに日本は長時間労働をし、儲けも出ないしただただ疲れ果てているということになっているようです。このようなことで自分の子供すら折檻で殺すような殺伐な状況になっているのでしょう。
カポーティの「冷血」風の小説かと思いましたが、途中から笑ってしまいました。アメリカの文学教授が、妻の実家であるイギリスのひなびた農家を借り、娘と妻と一緒に引越しします。文学教授はそこでイギリスの古い詩人について論文を書こうとします。その田舎は閉鎖的な田舎で、かつて少女を強姦した村人をみんなで殺し埋めたという噂のある村です。警察が来てもみなが口裏を合わせ、犯罪を暴くことができなかったということになっています。クリスマスの雪の降る日、村で子供たちのためにダンスパーティが行なわれます。それらの子供の中で知恵遅れの少女が行方不明になります。同じ日に、何十年前に数人の少女殺しをした変質者を自動車で病院から連れ戻す途中スリップして、その変質者は逃げ出します。家でそのニュースを聞いた文学教授はダンスパーティの会場へ娘と妻を連れ戻しに行きます。帰りの途中で教授は人をひいてします。家に帰ってその男の上着から、ニュースで流れていた変質者とわかります。すぐに電話を医者と警察にかけます。知恵遅れの少女を探し回っている村人にも変質者が教授の家にいることがわかり、知恵遅れの父親が猟銃を持ち出し、他の4人の荒くれ者と教授の家に行こうとします。娘が行方不明になって倒れこんでいた母親を診察していた医者が父親の猟銃を掴んで教授の家に行ってはならぬと止めますが、猟銃で医者の頭を殴り失神させます。教授に家に行き、変質者を差し出せと要求しますが、教授は断ります。村で金持の男が来て、知恵遅れの娘の父親から猟銃を取上げようとしますが、それが暴発して金持ちの頭をフッ飛ばします。もはやひとり殺したなら、あと何人殺そうが罪は一緒だということで、これら5人は家に侵入しようとします。文学ばかりやっていて、人と命を欠けて争うという経験がない教授に妻と娘を守らないといけない状況に立たされます。人を殴ったこともない教授が、イギリスのサッカーのフリーガンのような荒くれ男と対決するはめになりました。このような事態になる前、妻は教授の男っぽさのなさに嫌気がさし、もと彼のヤクザっぽい男と浮気をしていました。夫婦関係が崩壊寸前だったのです。ところが教授はバットと熱湯やらで5人もの荒くれ者を退治します。この危機的状況で妻も夫に加勢し、最後には夫婦仲ももどることになります。この切羽詰る攻防戦にハラハラしますが、同時におかしくもあるのです。
日本人にはまれでしょうけれど、もし自分だけが神に選ばれしもので、どのようなことがあっても神の恩寵にあずかり、他のものはたとえいい事があってもじきに衰亡していくのだと主張する男を見ると、なんだこいつはとおもうことでしょう。旧約聖書は絶えずこのことを言い続け、新約聖書のイエスはメシアではないとユダヤ教は考えているようです。このような考え方をする集団が他国に移住してくると、「国の中に国を作り」なかなか同化しません。
「(ユダヤ教への)忠誠心の厚さが、反ユダヤ主義の最大の原因となってきた。忠誠心の厚さがユダヤ人をこれまでアウトサイダーにし、最も重要なことは、それが非ユダヤ人の目には、非ユダヤの神、法律、民族的信義のせい正当性への挑戦であると映ってきたことである」
詩篇では、ユダヤ教以外の神は「口があっても話せず、目があってもみえない、耳があっても聞こえず・・・」と「非ユダヤ教の神々は信ずるに足るものではない」と言っているのですから、かつて天皇を神として崇めていた日本でも、ユダヤ教から出たキリスト教を弾圧していました。
おまけにユダヤ教には日常生活をするに至っての細かな律法があります。食べ物にも「カシュルート」というユダヤ式適正食物規定があります。これでは他の民族と一緒に食事することはできないでしょう。一緒飲み食いできないようでは、仲良くしようとしてもできないものです。
複雑な律法を小さいときから頭に叩き込まれていますから、自然と頭が良くなり、どこの国でも高学歴の人物を排出します。それらが経済、報道、政治など牛耳っていくようになるのです。アメリカの例にとると、「ユダヤ人の平均所得は全アメリカ国民の平均所得よりも72%とも高く、アメリカの民族集団の中で第二位の所得集団である日系アメリカ人よりも40%高い所得を得ている」貧乏じみた移民が瞬くまに金持ちになるのですから、怨嗟も伴って腹立たしさもでてくるのでしょう。
イスラム教徒と仲が悪いのは、ムハンマドのコーランをユダヤの律法学者が一々間違いを指摘したからです。ムハンマド、預言者、とんでもない、一介の与太者で、聖書すらまともに読んだことが無いのだろうと、ユダヤの律法学者は言っているのです。これによりイスラエルとアラブ諸国は対立したままです。
大和王権の構造は、九州から引き連れてきた家来の系統と、大和に入ってのその地の豪族とで成り立っています。その家来が物部や大伴であり、豪族が蘇我氏ということです。大伴は540年に任那を新羅が併合したという外交の失敗で権力から消え去ります。仏教排斥派の物部は587年仏教推進派の蘇我馬子と聖徳太子によって攻め滅ぼされます。その蘇我氏も645年に中大兄皇子と中臣鎌足のよって蘇我入鹿が暗殺され、父親の蝦夷も焼身自殺をします。天皇家は権力パワーの絶妙なバランスの上で継続してきたということになります。戦国時代から天皇は政治の表向きの世界からは遠ざかりましたが、また明治維新によって復活し、第二次世界大戦以後は象徴としての現在に至ります。
蘇我氏が全盛の時、蘇我馬子は崇峻天皇を暗殺しています。その息子蝦夷、またその息子入鹿の三代は天皇を上回るほどの権力を持ちます。歴史はよくしたもので、必ず振り戻しがきます。驕れるものは久しからずということです。世界史も同じことで栄えるものは衰えていきます。永遠に栄えるということはありません。
馬具制作者であった蘇我氏が権力を持つに至ったかは、その名前からわかります。満智、韓子、高麗とか朝鮮半島由来の名前を使っています。文化先進する豪族であったのです。新しいものを早く取り入れて自分のものにすると、他に差をつけて、権力に取り入ることができるようになります。現在ではそれを情報戦争と言っています。