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ライオンは自分の種でない子供を食い殺しています。人間も連れ子をいじめたり、殺したりする男や女がいます。哺乳類の習性なのでしょう。人間社会ではそのようなことは少なくなっているとはいえ、やはり時たま新聞種になります。自分の遺伝子が入った子供さえ殺した父親がいました。チンパンジーにも劣る男だと思いました。チンパンジーも他の集団の、大人でも子供でも容赦しませんが、自分の属する集団の子供にはそのようなことはしないでしょう。
農業が始まり定住生活をすると、仲間との和を保つために追従笑いが発達します。収穫した小麦の保管場所から、銀行という概念も誕生してきます。相手の富を、殺人を犯してまでも、収奪しても効果は一時的なもので、長く安定した生活をするためにはみなが仲良くあることが必要だとわかります。狩猟者集団に対抗するためにも仲間は結束が必要です。このようなことを何世代も続けていくと、コーヒー店でコーヒーを飲んで、カネを払いたくないためにウェイターを殺して逃げるという考え方はあとかたもなくなっています。人間とチンパンジーが最も違うところは、経済があるかないかです。
遠藤周作の妻順子の回想録です。生涯六回の手術をし、妻順子は甲斐甲斐しく世話しています。糖尿病の数値が改善したら反対に腎臓が悪くなっているというのが医学の常識だそうですが、A病院はそれがわからず、とうとう腹内に透析装置をつけるようになりました。A病院に対してぐちを言ったりしています。またこの装置も年寄りにはかえって負担になり、夜中5,6回も入れ替えたりするので、眠れないし、世話する順子も大変だったと書いています。延命処置を拒否していましたから、人工呼吸をはずすと5分間くらいで、安らかな顔になり、なくなったそうです。73歳です。ひとり息子の龍之介が僕の腎臓を父親にと提案しましたが、周作は、これから子供を育ていかない息子の腎臓を移植してまでも生きたくないと言い、後で妻順子に俺たちの息子の育てに間違いはなかったと言って安堵しています。
私はもっぱら「狐狸庵閑話」などの雑文を読み、シリアスな彼のメインの小説は読んではいません。はっきり言って植民地を企てるのもたちの手先だった宣教師の苦難など勝手に自分が蒔いた種であって、他所の国に入って、自分たちだけが正しくてお前ら間違っていると大そうぶって言われたくないものです。この本でも書いていますが、香港返還のとき、チャールズ皇太子が「阿片戦争の反省は?」と聞かれ、「19世紀起こったことを、20世紀に一々謝っていたらきりがない」と言っているように、キリスト教徒は自己中心的なものです。その点日本は仏教や孔子の影響で、中庸と礼節を重んじ、自重する国民性ゆえに、いまだに中国や韓国に歴史問題に反省がないと言われ続けられていますが、この際チャールズ皇太子にならって、「曽祖父や祖父のやったことを一々孫が謝ってもきりがない」と言ってみたいものであります。
1940年生まれ、今は79歳です。まだ元気に息子と一緒に商売に出ているのでしょうか。泰明小学校の前のビルの地下に店があります。一人当たりの料金が10000円から14000円くらいとでていますから、高給店なのでしょう。
静岡県、伊東の網元の息子であった徹が板前になったのは家の没落です。板前の修業なら毎日飯が食えるだろうという兄の助言からこの道に進みました。32歳、1972年独立し、しも田を開業します。
この本では素人さんを築地の市場に連れて行き、魚の吟味・講釈をしています。今年市場は豊洲に変わりましたが、銀座から遠くなって、仕入れも大変でしょう。
寿司の握り方は「箸でつまんで崩れず、口に入れて散る」だそうで、これを見ると、和食の繊細さがわかろうというものです。小芋のたきかたも、ほぼ私と一緒ですが、私の場合は一工程手を抜いています。この違いが彼の店では一人当たり10000円以上になり、私の店では1000円程度になるのでしょう。彼の趣味は落語であり、この本でも盛んにオヤジギャクを飛ばしています。毎月一回落語家を呼んで、その日は店が寄席になります。立川談志も生前よく来たそうです。
キリストが着た服なら誰もが触りたがりますが、連続殺人鬼が着たカーディガンを誰もが着たがりません。そのカーディガンは単なる物質ですが、着た人によって、その人の何かがこもっているように感じるようです。家やマンションでも同じことです。おぞましい殺人が行なわれた場所に人は住もうとは思わないでしょう。幽霊など馬鹿らしいと思っていても、深夜一人そのような場所でいると、少し気が変になってくるような気がします。毒蛇や毒蜘蛛がいないにもかかわらず、依然としてそのようなものを怖ろしがるというのは、進化の過程で植えつけられたものでしょう。われわれ哺乳類の先祖は恐竜時代弱弱しいものでした。巨大な足で踏み潰されたり、翼竜についばなれたりしていました。巨大な昆虫にも追いかけられたかもしれません。日々恐怖の連続です。頭の後ろの視線に気づくというのも、外敵どもの強襲の連続に晒されたせいだと思われます。敏感で動作がすばやくないと生きつづけることはできません。何億年かこのような生活を続け、弱者がゆえにこのようなスーパーセンスを身につけたのでしょう。だからスーパーセンスは臆病風と言い直してもよいものです。
レイ・カーツワイルは私と同じ年で、サプリメントを何錠も飲み、100歳まで生きるつもりです。100歳になる頃、2050年頃には、死なない技術ができるそうです。遺伝子操作で若くなることもできます。秦の始皇帝が願っていた不死の世界が始まります。1000年も経っても死なないそうです。ガンなどもちょっとした風邪くらいで治ってしまいます。もう病気とは言えません。
2040年が特異点=シンギュラリティになるそうで、コンピュータが人間の知性を超えます。G、N、R、つまり遺伝学、ナノテクノロジー、ロボット工学がその頃の主流になっています。その頃の人間の脳にはコンピュータチップが埋め込まれ、大容量の記憶とスーパーコンピュータ並みの演算能力をもっています。人類の進化の頂点であった大脳皮質は旧バージョンになり、最新式のチップが新皮質なります。これを装着できない貧乏人は旧人か、チンパンジーと同じレベルの類人猿に格下げになるでしょう。レイ・カーツワイルはムーアの法則を持ち出して、年々性能は向上するが価格は下がるから、決して貧乏人も脳にチップを埋められないことはないと言っています。みんなが頭が良くなると次にどうなるかと言うと、もう地球から出て行くほかないようです。これら西欧人の考え方は、大航海から変わりありません。アメリカ大陸を征服し、この前の大戦では日本も蹴散らされてしましました。多分太陽系外に出て、他の生物たちの惑星を侵略するつもりでしょう。本当にこの人たちは危ない人だと思えます。
神経経済学入門で、尤度(ゆうど)=likelihoodという言葉をはじめて知りました。統計学の用語で、「未来の事象の起こりやすさ」ということだそうです。今はやりのチコちゃんから何ぼやぼや生きていたんだよーと言われそうです。