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イギリスで蒸気機関が発明されて、資本主義国家ができました。それが発展し、資本家としての金持と、そこで使われる労働者の貧乏人とわかれます。やがてマルクスが出てきて、共産党の思想が広がります。資本家が持っている生産手段を国家に移し、労働者は国家に雇われる公務員になり、安定した収入を得られるようになるという理想郷がえがかれます。その最初の国家がソ連です。スターリンがいた頃ソ連は世界から共産国家として成功していたように思われていました。その影響で資本主義国家でも基幹産業は強く国家の関与を強めている政策をとります。それ以上に国家がその産業の経営者になります。ところが、そうなると、「おんぶに抱っこ」ということで、労働者は働かない、指導者は市場の要求を考えることなく、型どおりの計画生産を行ないます。そこには当然ウソの報告や、ごまかし、怠惰の蔓延となります。そのようなことが露呈したのは、スターリンが死んで、相当後の事です。スターリン時代もひどいもので、粛清された人は2000万人とも言われ、計画生産も破滅的状況でした。そのようなことがわかり始めると、共産国という理想郷も脆くも崩れ始めます。アメリカも始めはルーズベルト大統領によるニューディール政策というケインズによる、やや共産党かがった政策を採り、第二次世界大戦終了後、ますます経済の状況はよくなり、「大きな政府」になっていきます。国家は企業に対して、法的規制でコントロールしようとします。ところがイギリスでサッチャーが現れ、国営の企業を民営化します。やはりイギリスでも国営企業はソ連病が現れ、大赤字になっていて、労働者はストライキばかりして働きません。サッチャーはそれをばっさり切り、競争原理に晒したのです。民営化された企業は黒字化されます。アメリカでも景気が低迷し、追い討ちをかけて日本の企業の製品がアメリカにのさばり続けます。これに危機感を感じたアメリカは国家の規制なるものが、共産圏の思想と同じものだと気づきます。規制緩和をして企業に自由に活動していく体制をとります。「小さな政府」を標榜し、企業の税金を安くし、規制を取っ払います。上のものが儲かれば、おこぼれで下のものも潤うという考え方がでてきます。オバマの提唱するアメリカ全土一律の健康保険など無意味ということになります。年金など各自の自助努力でやるしかないということになります。やがてアメリカから多国籍企業が現れ、現在のグローバリズムに至ります。
この本の上下はそういった歴史の流れを書いたものです。1998年出版ですから、スターバックスがイギリスで、税金を払っていないということで訴追されたいとうことは載っていません。グローバリズムの弊害が今後どのようになるかは今のところ誰もわからないようです。
高校生で新人王をとった将棋の藤井7段はもはや年収は1000万円を越え、4000万円くらいになっているかもしれません。ところがアメリカでは16歳の双子の女の子はひとり頭4億円の資産を持ち、事業収入もあり、ドンドン資産が増えているようです。「フルハウス」というドラマの俳優で、7歳の頃から、ファッションなどをデザインし、そのブランドを確立さしています。親は何といい子供を持ったことでしょうか。カネのかかる子供が自らカネを稼いでくれて、反対に親が扶養家族になっていいかもしれません。ヒルトンホテルのオーナーの姉妹もいますが、こちらは世間知らずで、あほな事ばかりやっているようです。姉のセックスビデオが流出して、恥を晒しています。
この本のタイトルにもなっている弁護士はアメリカでは数が多く、そのために弁護士自ら仕事を作り出して、つまり需要を喚起し、収入につなげています。だから嫌われ者で、「世の中にはいい弁護士と悪い弁護士がいる。いい弁護士とは死んだ弁護士だ」とこきおろされています。日本でも徐々にクレーマーが増えているので、その分弁護士も増えていくのでしょう。
アメリカではコマーシャルに出るのは、「二流の人物」か「落ち目の俳優、歌手」だそうです。旬の芸能人はコマーシャルに出ません。日本で言うと、テレビ通販に出るタレントと思えばいいようです。
八幡学園での山下清の貼り絵は、宿題のようなもので、これをやっていると、何も言われないし、没頭することで、ほかの用事を言われないので、やっていただけで、好きでやっているわけではないのです。彼の絵が有名になって、芸術的動機が芽生えたかというと、そうでもなく、「仕事だからなあ」と言っているように、自分でも仕事をしているという実感を得たかったからでしょう。放浪していた時、妾宅の雑用係になったり、弁当屋、魚屋に使われているときと同じ感覚です。山下清は絵だけではなく、日記も宿題として書かされています。随筆家の吉田健一は山下清の文章を読んで、こう言っています。
「君、拙さというものは、一種の美徳だね」
解説者はこの言葉をもっと深く掘り下げています。
「私は始末に困るほどの教養を身につけた男が、偽りの無い表現のために、言葉の見せ掛けの豊富さに悩んでいるのを感じていた。正確に伝えようとすると言葉が不完全になるという日本語の宿命を救えるのは、拙さだけではないだろうかというのである」
式場隆三郎の部屋に飾ってあった山下清の「長岡の花火」を見た柳宗悦は、「なんとすこやかな単純さか」と言い、バーナード・リーチは、梅原龍三郎の絵と比較して、「50年後に残るのは花火の方じゃないかな」と言っていたそうです。
日本は古来から、精神や身体の障碍者を福の神とたとえていました。山下清も放浪中、むすびを恵んでもらったり、お金をもらったりしています。そうかといっていつも優しく接しられることはありません。警察官に精神病院に入れられたり、ここで乞食をするなと言われて、町のヤクザに顔がひん曲がるほど殴られたりしています。今もそうでしょうけど、学校ではいじめられていました。しかし晩年、死んだのは48歳ですが、母や兄弟たちと一緒に家で暮らし、それなりに安定した生活ができていました。
いい人は早死にし、悪い奴は長生きするというのはほんとらしい。物静かで礼儀正しいテニスプレイヤー・アッシュはこの自伝を書き上げて、2週間後に亡くなっています。49歳です。この自伝の中でアッシュは日本の政治家が黒人の知能は低いといったことに抗議しています。この日本の政治家はまだ生きていて、今年100歳にならんとしています。
38歳で心臓の手術をして、その輸血でエイズになっています。セックスの乱脈さでエイズになったわけではなく、医療ミスでエイズになってしまいましたが、当時エイズであるということを公表することは大変なプレッシャーを受けていました。単に肌が接触すると感染するのではないかという不安から、エイズ患者は社会から抹殺されるような勢いでした。あえてエイズであることを告白し、エイズ撲滅運動や黒人の地位向上の運動に関わっていきます。
黒人のスポーツ選手は大学に入りますが、卒業をしないでプロになり、うまくいけば年間何十億の収入を得ることできます。アッシュはカリフォルニア大学を卒業し、経営学の学士をとっています。アマチュアからプロになり、得た賞金を美味く運用し、38歳の引退の時には、何もしないでも食っていけるだけの資産を形成しています。ボクシングのタイソンでも見られるように、現役の時は何十億も儲けていながら、盛りが過ぎると借金だらけになる黒人の選手が多いのです。後から課税される税金のことなど考えないで派手に使い込んでいるからです。アッシュのように経営学を学んでいないと、取り巻き連中によってむしりとられ、ステンカラリンにされてしまいます。
アッシュは用心深い男で、結婚も30近くになってしています。高校生の時、はじめて買った自動車の中で、同級生の女の子にズボンを脱がされセックスしたのが初めてだそうです。それ以降ほとんど浮いた話しは無く、結婚した後も浮気などしていません。他の黒人のプロの選手と大違いです。バスケットボールのマジック・ジョンソンなど2500人以上の女性とセックスしたと告白しています。一日に6人もの女とやったこともあると言っています。エイズになるのも当たり前です。反対に真面目なアッシュは医療事故でエイズになったのですから、何と不運なことか!でもアッシュは医療チームを訴えたりしません。こういうところからも尊敬される人物だったのでしょう。
バッテリーとは自動車などの蓄電池のことだけだと思っていましたが、アメリカの法律用語では、「不法接触」という意味もあり、殴る蹴るの暴行や、痴漢が女の尻を触るのも「不法接触」となります。バッテリーという言葉一つで、日本とアメリカの法体系が違っていることがわかります。法体系というより、法律に対する考え方が大いに違っているというべきかもしれません。日本の刑法にしても、細かく犯罪行為を分類し、それに対する刑期も決まっています。日本の法律家はそれらをことごとく覚えないといけません。アメリカにも一応法律はできていますが、州によって少しずつ違っているので、法律の細かいことを覚えているわけではないのです。「バッテリー」という言葉でわかるように、大まかに分類し、いろいろな裁判例を通して、ある面自分たちで法律を作っていくという作用をしているのかもしれません。日本では「お上」が法律を作り、下々はそれを守り、それに逸脱して者は、杓子定規に罰せられるという風になりますが、アメリカでは利害の対立するもの同士が争い、過去の裁判例を引き出し、なおかつ自分たちの考え方も付け加え、新しい裁判例を作り出し、それがコモンセンスになるように、絶えず思考法を訓練することになります。簡単に言えば日本の裁判は記憶でありアメリカの裁判は思考であるといえましょう。例えばアメリカンフットボールの黒人の有名な選手が、白人の妻とその男友達を殺した容疑で裁判になりましたが、敏腕な弁護士のお陰でこの選手は無罪になっています。これがもし日本であれば、問答無用に二人殺していますから無期懲役か死刑になっているでしょう。どうして無罪になったのかは、この弁護士の裁判の持って行き方です。人種問題を前面に打ち出し、もしここで黒人の英雄である選手を罪に問えば、アメリカの人種問題が先鋭化し、この先何千にも暴動で死ぬかもしれない状況になるのと、たとえ殺したとわかっていてもあえて無罪にすることによって、人種問題が沈静化するのと、どちらがいいのか陪審員に問うたのでしょう。ここに至って殺人罪は蒸発し、人種問題にすり変えた弁護士の辣腕振りがうかがわれます。白人の弁護士はこの黒人から弁護料をたんまりもらい、この黒人は破産状態になり、後に強盗をして刑務所に収監されました。