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日本の歴史は、開国、鎖国の繰り返しだったと榊原は言っています。「鎖国的な時代」とは、「遣唐使廃止以降、9世紀から12世紀、平安時代」、「元寇以降13世紀末から14世紀半ば、鎌倉後期、室町時代の初め」、「豊臣秀吉の死からペリー来航、江戸時代」「日清戦争、日露戦争から第二次世界大戦まで」、そして現在日本は「内向きになり」鎖国的な状況になっているかもしれないと言っています。鎖国時代とは、今までに取り入れた外国文化を熟成させ、日本風にアレンジする時間となります。東海の孤島である日本はヨーロッパのように民族が入り乱れて争うこともなく、内々の争うはありましたが、ユーラシア大陸の陸続きの国々ように、異民族の侵入によって絶えず混乱していた状態ではありませんでした。平安時代はその前の時代で百済を助けようとして朝鮮に兵を進めましたが、失敗し、これに懲り、和歌のやり取りで恋愛や性愛を愛する文化を深め、江戸時代でも豊臣の朝鮮出兵にうみ疲れ、俳句で自然を、川柳で世間を描写し、廓文化を発展させました。古事記からして日本民族は性愛に重きを置いた文化といえましょう。日本のヒーローは源氏物語の女好きの帝であり、女郎・小春と心中する紙屋治兵衛であったのです。4畳半が日本人にとって最も心地よい空間であり、満州のように空漠の草原では居心地の悪さを感じたに違いありません。明治以降強欲な欧米に対処するため、軍事力を高めましたが、最終的には戦いなれた欧米にやっつけられました。4畳半好きと浮世絵の春画からして、慰安婦の汚名を着せられ、日本人、特に男の下半身は犯罪的だと言われるようになりました。しかし日本人の女性の下半身はAVで中国や欧米の男たちに喜ばれているようです。
現在日本の若者はアメリカに留学することも少なくなり、世界に羽ばたこうとすることもなく、「おたく」にこもって、スマートフォンばかりいじっているという状況らしい。榊原に言わせると、これも成熟社会の到来と言うことで、ある面第二の、平安時代、江戸時代の到来かもしれません。
山下清の弟・辰造の子が浩です。清はおじさんになるわけです。弟子志願の人が清の下に訪れましたが、全て清は断りました。甥っ子である浩だけが清から切り絵を教わっています。浩は唯一自分だけが清の弟子だと言っていますが、浩の作品は何のですから、才能がなかったのか、切り絵などの七面倒臭いことはできなかったのでしょう。健常とは何事もそこそこにできる人で、清を考えると、健常でない人はあることは特別にできて、あるものは全然できない人だと思われます。清は「日本のゴッホ」ともいわれますが、ゴッホと違って、知的障碍者にもかかわらず、目を見張るような絵を描いたということで、生きているうちから、有名になっています。反対にゴッホは一生涯無名で、一点しか作品が売れなかったそうです。それも安い値段で売れただけです。これに対して清はこう言っています。
「ほかにすることがない人がかいている絵が、お金がならなければ仕事とはいえないので、なまけているのと同じになるのです。絵を描くことを仕事にしている人の絵は、その人が生きているうちにお金になった方がいいと思った」
ゴッホにも弟がいて兄を助けていたそうですが、清も弟の辰造いて、ゴッホの弟よりもうまく兄を助けています。百貨店の展覧会など催し、経済的にも豊かになっています。一緒に住んでいて、清にはアトリエの部屋まで作っています。母親も一緒に住んでいて、精神的にも落ち着いた状態になっていたのでしょう。残念ながら50前脳溢血で亡くなっています。
清の言葉には哲学を感じさせるものがあります。徳川無声との対談で、自分の絵は兵隊の階級で「佐官級か・・・」と自慢した後、無声から、「自分の絵はうまいと思う?」と聞かれ、「人間は自分のことってわからないんだな」と答えています。また百貨店の会社員は清から「自然に行くのがいいんだな」と言われ、「挫けそう」なときは、いつもこの言葉を思い出し、励みにしていると言っています。
古来、日本では知恵遅れは福の神でもあるという精神風土があります。実際にはいろいろといじめられたこともありますが、戦前、清が世話になった弁当屋の主人に可愛がられています。最近障碍者を何人も殺した犯人の、障碍者は殺されたほうが幸せなんだという発言で、これから日本はどうなるのだと暗澹とさせられます。
映画「仁義なき戦い」で、菅原文太が演じた人物がこの美能幸三です。呉のヤクザで、やがて紛争地が呉から広島に変わり、「打越組」と「山村組」の闘争のきっかけになった人物です。私の店から20メートルも離れていないところにかつてビルがあって、そこに山村組の親分の女房の経営するクラブがあり、そこにダイナマイトが投げ込まれ、地下の店がめちゃめちゃになったことがありました。一階にはリッツという映画館もあり、洋画などをやっていました。今はビルも壊され、駐車場になっています。やがてホテルが建つ予定だそうです。昭和30年代中頃、繁華街はヤクザが沸き立ち、一般人も目が合うとか、肩が当たったりすると大立ち回りをしていました。当時繁華街のど真ん中にあった竹さんも盛名を馳せ、連日盛況であり、短刀で腹を刺されたヤクザも店に入ってきたこともあります。いまではめったにケンカもなくなり、あったとしても岩国のアメリカ兵や外国人などで、人口減少化の若者は覇気がないというか、子沢山で競争をせざるを得なかった我々の団塊世代と違って、おとなしくて上品に育っているようです。しかしすぐお隣には、わけのわからない北朝鮮の将軍様もいて、将軍様の軍隊と対処できるかと考えるとおぼつかない気持ちになります。もうここでは情報戦に頼ることしかなく、北朝鮮に「仁義なき戦い」の完結セット4巻を進呈して、いかに日本人は根性が座っているか、お前たちが攻めてきたら後でどうなるかわからんぞと脅す必要があるようです。これは冗談ですが、国が存亡の時、ただおとなしいだけでは、これを乗り切れないような気がします。国民も多様性が必要であり、時には荒くれ者の逸材も必要であるかもしれません。これはヤクザを礼賛するものではなく、賢くておとなしいばかりでは、現状を打破できないような気がして、敗戦時予科練から戻った菅原文太のようなギラギラしたエネルギーを感じさせるものがないと、国の難関に対処できないと思うからです。明治維新もそうですが、江戸時代安閑として、ソフィスティケートされ、戦国時代の荒々しさがなくなった徳川の家来たちに代わり、薩摩や長州や土佐の田舎侍が新しい時代の責を担ったのです。理屈ばかり言っているようでは現状を変えることはできないのです。
アンリ2世がイタリアからカトリーヌ・ド・メディシスを嫁にした頃から、イタリアの食文化を取り入れ、フランスの宮廷料理が出来上がったと書かれています。それまではローマから見れば、フランク族の野蛮人の集まりと見られていたのでしょう。実際に骨付きの肉を手づかみにして食い、食い終わったら骨を床に投げて、その骨を犬たちがしゃぶっていました。15世紀の日本では、ずっと前から箸を使って器用に食事していた日本人とは違って、フランスでは手が箸になっていたのです。王族からしてこのような状態ですから、庶民の食事風景も動物とほとんど変わらないものと思われます。日本での排泄処理は草や石ころや縄で肛門を拭いていましたが、フランスでは手で拭き、その手をシャツでぬぐっていたという証拠もあります。臭いので、香水を振りまき、香水文化が発展したということです。風呂も一年にいっぺんかにへんで、もともと臭いのにこのような状態では鼻もひん曲がるような臭さだったのでしょう。現在のしゃれたフランスの文化も見て、過去もそうだったのかと思っては大間違いです。
フランス革命で王宮のコックたちの職がなくなり、それでパリに自分たちの店をもったというのがレストランの始まりです。最初はスープの店、ポタージュの店で、それからおいおい料理を出すようになったのでしょう。バルザックの小説で、個室の料理店があり、そこで女を口説いたり、よからぬこともしでかしているということも書かれています。
料理長のコックの帽子が高いのは、地位が上だということを示すことではなく、単に料理場で料理長を見つけやすいからだと言う理由だそうです。
倉山満の「嘘だらけ・・・」というシリーズのように自分の意見を言っているわけではなく、淡々と歴史年表を作っているという感じです。戦後敵兵だったアメリカ人とくっ付いた女は市中引き回しの刑にすべきだという過激な発言はありません。
日本の近現代史で、残念なのは、幕末と明治初期の外国勢力によって不平等な条約を締結せざるを得なかったときと、第二次世界大戦で負けたときと、それにバブルが弾けたときだと思われます。とりわけ、敗戦が痛恨の痛みです。敗者は何もいえなく、勝者のアメリカが日本人の幼稚性、残虐性、狡猾性を吹聴し、同じ敗戦国でありながらドイツは大人の国で、一時的にナチスに惑わされたに過ぎないが、それに反して日本はその性格を根本的に矯正しないといけないという政策が戦後直後から行なわれています。日本人に劣等性を植え付け、日本がそれまでしてきたことに対して贖罪の気持ちを抱かすようにしてきたのです。我々団塊世代は日本の軍部が馬鹿なことをして、とうとうアメリカに原爆を落とされて、お灸を据えられたのだと、そのように教えられていたような気がします。まるでアメリカが救世主であるような立場です。最近の研究では以下にアメリカの占領政策が巧妙であったかということが解明されています。二度と日本を立ち上がることができないように、アメリカは文化人類学者や心理学者を動員して戦後の日本の占領プログラムを作っていたということがわかっています。我々団塊世代は原爆を落としたアメリカを憎まないで、アメリカにそれをさした日本の軍部の憎むように教育されていたのです。戦前の天皇教育と同じように戦後の教育もすさまじく、いまだに私は軍部の行き過ぎを感じている次第です。アメリカの学者が日本人の残虐性を言ったり、クリントンが「性奴隷」と言ったりするのも、心理学で言うところの「鏡面」効果ではないかと思われます。欧米各国の植民地での強欲や、クリントンの助平心が陰にあるのです。自分たちの行いをそっくり日本人にかぶせ、それで自分たちが何もしなかったと安心しているのです。中国の南京虐殺も中国よりのアメリカ人のジャーナリストが大袈裟に報道したものです。日本人が原爆の犯罪性を追及するものなら、すぐさま南京を引き出すのはアメリカの常道です。慰安婦のことなども、じゃ欧米が植民地でどんなことをしたのだと問えば、身も震えるでしょう。ロシアとて戦後のどさくさで満州における日本人女性への暴行は「世界記憶遺産」に登録したいほどです。