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昨日もBBCのインターネットニュースでアラブの国のプリンセスがヨーロッパを旅行中、召使に自分の食べ残したものを食べさせたり、言うことを聞かないと2,3日も水や食べ物を与えなかったと言うことで、法廷に立たされたということが載っていました。またこの中東の大金もちの妻が、アフリカの女中が待遇の悪さでマンションから飛び降りようとして、気を取り直して窓にぶら下がったところを、スマートホーンでその状況を写し、ソウシャルメディアに流し、あまつさえ助けてくれと懇願する女中の窓枠にしがみつく手をはずして落としている動画が残っています。マンションの下にテントがあったため、死にはしませんでしたが女中は重症を負っています。フィリッピンの出稼ぎの女性も雇い主にレイプされたり、熱湯を浴びせられたり、殺されたりしています。ドバイでもサウジアラビアでも他から来る出稼ぎのものは奴隷としか思っていないようです。この地の若者は豊か過ぎて働こうとは思わないらしく、この地の経営者は他国のものを使うほかはありませんが、雇用者という意識はなく、奴隷としか思っていないようです。峯山もドバイで寿司職人として働きたいと思ってドバイに来たのですが、それがかなわなくて肥料会社のアルバイトをします。ここの社長がやる気をなくし、会社をたたみます。ドバイの法律では会社がなくなるとそこの他国出身の従業員はみな拘置所に収容されるということになっているのです。会社が倒れたと言うだけで、他国者は何ら犯罪を犯してもいないのに拘置所に入れられるというのは、この地には人権というものはないとわかります。最近サウジアラビアの王族が来て日本と経済協力の話し合いをしましたが、峯山によると、拘置所の中には、ドバイの王族と協力して会社を作ったパレスチナの男がいましたが、一方的に会社を潰され、拘置所に放り込まれましたということですから、積極的にかかわらないほうがいいとも言っています。自分の都合で条約を反故にすると言うのは韓国だけに限らないと言うことです。
日本の将棋もインドの方面が源泉らしく、それが中国、韓国、日本に流れ将棋になったといわれ、西欧に流れたものがチェスのようです。チェスは持ち駒を使えませんが、将棋では使えます。戦後アメリカ占領軍が封建的だと将棋を禁止しそうになりましたが、広島出身の升田幸三がマッカーサーに会い、日本の将棋では捕獲した捕虜はまた生かしてつかうことができるが、チェスでは捕獲した駒は殺したのか、使えないようにしているので、どちらが人道的であるかは自明であろうと、堂々と主張しました。映画の剣戟の時代劇は禁止になりましたが、将棋はやることができるようになりました。
昔話も少しの違いはありますが、大まかなところで似通っている話が多いということは、将棋と同じで面白いことは自然と世界にひろがっていくということが分かります。古代ギリシャのイソップが書いた正直者の斧の話も、日中韓にもあります。人とサルの違いは物語を楽しむことにあるかもしれません。それも奇想天外であるほど後世に残っていくようです。中国の故事に「爛柯」というものがあり、仙人が碁を打っているのを樵が見ていたらいつの間にか100年も経っていたという話です。樵の斧の枝が腐ってぼろぼろになっていて、時の経過を証明するようになっています。これもよくできた話で、将棋などをしているとあっという間に時間は過ぎていきます。「将棋指しは親に死に目に会えぬ」ということわざもあるくらいです。もちろんこの話は日本でも韓国でもあります。
私の父親もよく「おさん狐」の話をよくしていたものです。中身は忘れましたが、この話は全国にあるようです。狐が人を化かす話で全国でいろいろなバリエーションがあるようです。しかしながら私たちの時代になると、もはや昔話など語ることなど一切なくなりました。若作りの60歳過ぎの女に騙されても、狐に騙されることはないという科学精神が身についているからだと思われます。
現代語訳で特に町田康の宇治拾遺物語がおもしろい。古文ですらすら読めればこしたことがないのですが、辞書を引き引き、一日に1ページも前に進まないでしょう。おまけに間違った解釈をするかもしれません。若い時の鍛錬がなっていないからです。
これらを読むと、いくら仏教や儒教が入ってきても、依然として日本古来のものが沸々として沸きおこっているということです。性に対して大らかなのです。俗に言えば男も女も助平で、それを恥ずかしいとは思わないのです。偉いお坊さんが貴族の家に行き、そこの奥さんに一目ぼれをします。それからその坊さんは鬱々として病気のような状態になります。心配した貴族が尋ねると、お前さんの女房に惚れたと告白します。以前から僧を尊敬していた貴族は自分の女房を説き付け、一夜僧と同衾せよと命じます。妻も嫌がりもせず却って喜びを持って僧と寝ることに同意します。さてその夜になり、僧は布団の敷かれた部屋にはいっていきます。さっそくやるかと思いきや、僧は着物など脱がないで、女を二時間観賞します。それから何もしないで退出するのです。要するに部屋まで入っていくまでが日本的で、とってつけたようなその後は仏教的なものです。仏教や儒教では他人の嫁さんに欲情する自体がアウトです。嫁さんも他の男と寝ようと積極的なのは、日本以外の国では考えられないことです。仏教説話集ですから、最後には、「愚か者は、仮の存在に夢中になって心を乱す。厠の中の虫がうんこに夢中になるようなもの」と言っていますが、愚か者は、何もしないで、献身的な妻に恥をかかせた僧侶ではないかとも考えられます。仏教発展時、とんだいかさまも出てきます。欲望を断ち切るために自分の陰茎を切り落としたという僧侶がいました。実際に見るとあるべきところに棒のようなものはありません。ところが機転者の貴族が自分の小姓に命じ、僧侶の下半身を撫でさせます。陰嚢のひだを延ばし、そこに隠し、陰毛にのりをつけて落ちないようにしていたところ、くすぐられて一物が大きくなり、陰毛も支えきれなくなって、どっと肥大した一物が出現します。これでそこに居合わせた人々が大笑いをし、この僧侶もまた大いに笑ったということです。このような馬鹿話を千年前に書き残している日本は偉いというのかアホかというのかわからない国ではあります。
去年私はクックパッドの株を1052円で100株買い、現在では882円になっていて、1万2千円ほどの損になっています。株式配当金が700円ちょっとありましたが、株は損をするものだとわかりました。この株価の低落は内紛によるものです。オーナーの佐野陽光と社長の穐田誉輝との対立です。穐田誉輝は社長をから降ろされました。社長を降ろされたといっても資産は数百億円ももっており、他の会社の社長もしています。菊川怜と結婚して話題にもなりました。優待券や総会でのお土産を期待して株を買ったのですが、今年の総会でのお土産は中止になり、優待とはクックパッドのプレミアムサービスだけです。保存フォルダをもてて、レシピをそれに入れることだけです。損をしてまでも売りたくないので、今はただもっているだけです。
この本でも書いているように、毎日溜まっていくビッグデータからある種の傾向を掴み、それを事業に結び付けていくと、確実に儲かる商品を開発することができるということにあるらしい。それも毎日食べる商品やそれに関連するものですから、一旦ブームに乗れば莫大な利益が得られることになりやすい。実際に大手の食品会社がこのデータを参考に商品開発をしています。巨大企業だけではありません。個人だって、レシピを開発すれば一躍有名になります。「沼さん」といっても分からない人が多いかもしれませんが、私もその一人でしたが、具たくさんのサンドウィッチのことです。「おにぎらず」、「スコップコロッケ」「冷凍卵」もはじめて知りました。「スキレット」とは厚手の鍋やフライパンのことでオーブン料理もできるらしい。「無限ピーマン」とはピーマンを切って、シーチキンの缶詰の缶を切って、中味をピーマンにふりかけ、チーンしたもの。何事も流転するのが生の習い、止まる者は死者しかいない。これを面白いと思うか耐え難いと思うかはその人の健康状態によるのではないかと思われます。
大方の人は名前は知っているが、概略を知っているつもりのようでも、その人の著作はほとんど読んでいないというのが、古典だという代物のようです。キケローときけば、古代ローマの人で、紀元前ちょっと前に人であるということは、歴史の教科書や倫理の読本で知りますが、彼の著作物まで手を伸ばそうとする人はあんまりいないでしょう。巻末に出ているキケローの年賦によると暗殺されています。カエサルの暗殺者のプルータスの支持者でしたが、カエサルの後継者のアントニウスと対立し、その一派に暗殺されます。63歳で亡くなっています。「友情について」の要点は、注意深く友を選び、それも徳のある人物を友にし、終生変わらぬ愛情を持って付き合うことだということになるようです。弁論術の雄でもあり、法律家でもあり、政治家でもあるので、数々の政敵も倒し、最終的には政敵に暗殺されましたが、東洋の賢者のように「隠遁」という概念はさらさら頭にはなく、あくまでも世情の一線に立ち、自己の顕示を行なうと生き方に徹しています。
古代ローマも古代ギリシャも友情と言うと、どうも同性愛も関わっているのではないかと思われます。公衆浴場での男たちのやり取り、オリンピックの素っ裸の競技、それを見ている男の観衆、今ほど同性愛の偏見はなく、ソクラテスも若者を精神的な手助けをするのは、単に精神的なものだけではなく、肉体にも関係があったのではないかと思われます。