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三波春夫のファンであるということを言うのは何か気恥ずかしさを感じます。三波春夫の中には、反発したいようなものと、そうかといってそれをやると私そのものがなくなるような気がします。要は「ダサイ」日本があるということで、決して教科書で学んだ西洋の教養には交わらないものです。あえて言うなら、三波春夫の芸は「一人オペラ」ということになるでしょう。西洋のオペラは「恋愛」が中心課題ですが、三波春夫の場合は「忠義」とか「ヤクザ」がテーマで、狭いテリトリーでごちゃごちゃやって、取るに足らない恩義などを感じつつ、少ない成果を得るか得ないかにしても、男の連帯感を感じつつ、男泣きする世界です。合理的ではないが、飯の種である「忠義」を前面に押し出し、明治時代以降の圧倒的な西欧の文明に対抗させたのです。最終的には機械文明である西欧のブルドウザーに日本は押しつぶされましたが、たとえロシアの強制収用所で働かされ、共産党の洗脳を受けても、三波春夫の心の中には不条理な日本の精神構造がしっかりと残っていたということになります。
我々団塊世代は浪花節を聴いた最終世代であります。虎造の真似をしたものもいたでしょう。三味線に演台、何とも貧しい演劇環境です。このような状態から戦艦大和まで作ってしまいました。
顔について三波春夫はうまいことを言っています。
「男の顔は履歴書だという人がいるが、私はそうは思っていない。顔に苦労や履歴を貼り付けて歩くのではなくて、それを乗り越えてこそ男の顔ではないだろうか?だから私は男の顔は心の高さだと、言ったほうがいいと思っている」
バブルの最盛期には4万にも達しようとした株価がはじけて7000円台になり、最近ようやく1万6千円くらいになっています。私の将棋友達の飲食店の主人も株崩壊から、店も崩壊し、夫婦別れをした人もいます。その後よりを戻して、また一緒に暮らしていますが、60前に一人ぼっちになった友達のアパートに将棋に行ったときは、何ともわびしいものでした。この人はまた競輪も好きで、休みにはよく宇品の競輪場に行っていました。将棋指しはもともとギャンブル好きが多いのでしょう。将棋にはほとんど運はありませんが、あるとすれば秒読みなどで、「指運」というものがあります。慌てて指した手がうまく決まったというときに、使われる言葉です。
プロの将棋家で、株が好調な時に専門家をさしおえて、株の奥義の本を出した人がいます。米長邦雄で、笑いが止まらぬほど儲かったので、自分は株でも天才だとおもったのでしょう。バブルの最盛期には誰がやっても儲かっていたのです。真のプロは、この頂点で株を売り抜けた人です。将棋の天才にしてもこの頂点が見分けられなく、散々な目にあっています。米長にいいところはこのような目にあっても将棋での成績は落ちなかったことでしょう。それか借金を払うために本業の将棋で頑張らないといけなかったともいえます。
NISAとは小額投資非課税制度で、2014年に導入されました。100万円まではどんなに儲けようが、税金はかからないというものです。100万円くらいの投資では儲けもしれたものです。イギリスにまねて作った制度ですが、ここでは日本の役人らしい小賢しい罠を張っているようです。一例ですが、5年間は無税ですが、これを過ぎると一般口座に移し変えないといけません。そのとき、買った当時の株価より少ない値段でも税金がかかる場合があるのです。損をした上に、譲渡税まで取られるケースもあるとこの本では書かれています。
今年も昭和に活躍した芸能人が幾多亡くなっています。また昭和では若々しかったタレントや歌手が、最近の動画で見ると、おじさん、おばさんになっています。それを見ているお客さんも若い人はいなく、みんな出演者と同じくらいの年頃です。日本の高度成長を担った我々の、雄姿というか、残骸ともいえそうな姿が映し出されています。野球帽をかぶってギターを弾いている人もいましたが、きっとつるっぱげを見られたくないためでしょう。私も働いていますが、彼らもいまだに歌を歌って、活動しているとは、格好のいい言い方ですが、実際は労働しているということで、カネを稼がないと食えないからではないかと思われます。往々にして芸能人は若い頃から派手な生活に慣れ、イソップ物語のキリギリスそのものでありますから、アリのようにコツコツと若い頃から貯蓄にいそしんではいないでしょう。悠々自適で自宅でくつろぐという生活はできないのでしょう。この本に出てくる芸人、榎本健一、古川ロッパ、横山エンタツ、石田一松、清水金一、柳家金語楼、トニー谷、金語楼だけは愛人が多過ぎて、その生活費のために働いていましたが、他のものは人気が衰えても、仕方なく死ぬまで働いています。我々がテレビっ子の時代、もはや榎本健一、古川ロッパ、横山エンタツ、石田一松、清水金一の芸は古臭いものでした。と言っても、石田一松、清水金一はあまり知りませんが、榎本健一、古川ロッパの舞台中継を見ても、あまり面白いものだと思われませんでした。エンタツ・アチャコの漫才はそれなりに面白かったのですが、もはやコント55号のテンポの速さをみるにつけ、時代遅れだなと感じたものです。とはいっても、コント55号が人気の時にエンタツ・アチャコがやっていたかどうかは、記憶が定かではありません。多分やっていたような記憶はあるのですが、最近の私の脳も靄がかかってきているのです。コント55号の坂上次郎ももはやこの世にはいません。いつの間にか世の中の様相が変わっていくのがよくわかります。もう我々も長くはない。
ガラスを建物に最初に利用したのは、イギリスの植木職人のパクストンです。植民地からもたらされた熱帯植物を育てるために、ガラスで温室を作ったのです。鉄筋コンクリートを作ったのも植木職人で、こちらはフランス人です。名はジョゼフ・モニエで、コンクリートばかりで作った植木鉢はすぐ壊れ、その修復のために鉄線を巻いていましたが、はじめから鉄筋を入れてコンクリートの鉢を作ったらどうかと思って出来たものです。またまた雑学が増えました。
藤森は茶室を大きな木の上に作っています。空中庭園ならぬ空中茶室です。茶道の流派には抹茶を使うものと、煎茶を使うものとがあるというのも初めて知りました。利休につながる裏・表千家につながるのが抹茶系であり、権力と結びついた千家の茶道を批判して京都の医師小川可進が煎茶の流派を作ったということです。今でも六代目の子孫がいて、小川流を引き継いでいます。私にはお茶を飲むくらいで、型があったり流派ができたりするのがよく解せませんが、大昔は茶は高級食材であり、普段から飲めるものではないので、それなりに所作が出来上がってきたのでしょう。一杯百万円のワインを飲むのだったら、無造作に飲んでは百万円の価値を表すことができません。おのずと匂いをかいだり、ワイングラスを揺らしてみたりして、勿体をつけて、ゆるりと飲むことでしょう。それが流派になっていくのだと思われます。
銀行員や証券マンの話を信用するなと著者は言っています。彼らの目的は高い手数料を取るためにだけ、お客にそういう話を勧めているということです。また素人が株のトレーダーになっても、儲かることはなく、反対に大損することがオチです。この本の骨子は自分でデーターを集め、納得して株を買い、長期に保持することにあるということです。今までの経験から、何十年後には株の資産がインフレをカバーし、リターンが多いとわかっているからです。閉ざされた日本の不景気の20年間であっても、資金を銀行に預金していたら、低金利で資産は増えませんが、株などの投資ではそれなりに資産も増え、リターンも銀行の利子の何倍ものものが獲得できています。この世知辛い資本主義の世界では、他人に頼って金儲けしようとは、他人に利用されるだけです。世の中の流れや仕組みを勉強し、自分の資産をいいように展開しなければ、ジリ貧に陥ること間違いないようです。経済学者のケインズは株で大儲けしています。多分この人の学説は信用できるでしょう。経済学者だけは貧乏をしているようでは信用できません。経済がわかるくらいなら、たやすく金持になれるはずです。そうでないとすると、彼の経済の論文はまやかしと診断できます。そうはいっても経済はある面偶然や突飛なことで突然変わることもあります。ケインズはたまたま運がよかっただけかもしれません。中野晴啓も長期株保有でそれなりのリターンをえたということもたまたま運がよかったともいえます。今から先どうなるかわかりません。いずれにしても成功しても失敗しても、この資本主義の世界では、他人に頼ることなく、自分の決断で資金の運用をしなければなりません。たとえ失敗しても自分で納得して決断したことですから、他人に騙されてうじうじすることはないでしょう。