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今日朝のニュースで四国の伊方原発は再稼動していて、うまくいけば本格的に営業運転すると出ていました。南海トラフの大地震が予想される中、福島原発の二の舞にならぬかと心配しています。300年前に「宝永地震」と言われる南海トラフ大地震が起きています。その次に1946年に起き、平均して110年に一度の割合で周期的に起きているのです。今度は2030年までには確実に起こるであろうと推測されています。このような状況は869年の貞観地震と時代とよく似ているそうです。この地震の前振りとしてあちらこちらで地震や火山の噴火が起こり、富士山や阿蘇山も噴火し、東北地方にこの貞観大地震が起こります。その9年後の878年に相模・武蔵即ち関東に直下型地震が起こり、またその9年後に仁和地震という南海トラフ大地震が起きているのです。津波によって伊方原発も収拾がつかなくのではないかと心配されます。地震や大噴火は1000年単位や一万年単位で考えないといけません。鹿児島湾は2万9千年前の桜島の大噴火によってできたものです。7千3百年前には鹿児島沖の薩摩硫黄島で巨大噴火がおこり、海を伝わって火砕流が九州本土まで乗り上げて、縄文人の集落を焼き尽くしています。九州にも再稼動した原発がありますが、火砕流を押し寄せたら手の施しようがないでしょう。悲しいかな我々は目先のことしか考えが及びません。1000年や1万年は地球から見ると一瞬でしかありません。大地は安定していると思いがちですが、年々少しずつ動いているのです。年々ひずみが溜まり、それが支えきれなくなったとき大地震や噴火が起こるのです。九州の地震で倒壊した家を見るにつけ、確固たる家や高層建築物は日本にはそぐわないものであるという気がしてきます。風船のような家がもっともふさわしいものであると思えます。揺れると、大地から浮遊できて、移動できるような家が出来ないものでしょうか?
斎藤孝が訳しています。鴎外の文は難しい漢字が多く、全集を全巻読み通せるものではありません。中国の古典に通じ、自在にそれらの言葉を扱うのでなければ、なかなか意味を汲み取れないものです。「蘇家の人物鑑定法」の蘇家は何時の時代のどういう人物なのでしょうか?中国古典の素養のないものにはチンプンカンプンです。このチンプンカンプンすらも漢語からきていて、「珍文漢文」のことではないかと思われます。「慎独」(しんどく)という漢字も斎藤孝は「一人つつしむ」と訳していますが、この言葉の漢典はどのようなものなのでしょうか。調べてみましたら、「礼記」からの出典です。「男の鍋覗き」という言葉もありますが、これはさすが日本固有の言葉遣いでしょう。孔子がこのようなことを言ったということは聞いたことがありません。孔子に妻がいたかどうかわかりませんが、孔子の日々の料理は誰が作っていたのでしょうか。「慎独」と唱えるくらいですから、案外自分で作り、まずかろうとうまかろうと文句も言わず静々と食べていたと思われます。どんな大学者でも、妻がいると、その妻はこの男がとんでもない阿呆に見えてくるようです。ソクラテスも散々妻に罵倒されています。孔子は妻が多分いないことで、今日まで威厳が保たれているのではないでしょうか。
桐谷広人は独身です。話によると、広島に恋人がいたのですが、米長に彼女を紹介すると、米長は彼女を愛人にしたそうです。女にしても、低段者の桐谷よりも、高段者でタイトル保持者の米長に頼った方が楽が出来ると思ったのでしょう。何しろ収入が何千万と数百万の違いがあります。おまけにネームバリューが違いすぎます。再々米長はお忍びで広島の愛人に会いに来たようですが、やがて飽きて、桐谷に彼女と結婚せよと命令します。いかに将棋界の先輩であろうとも、恋人を寝取って、散々使用した挙句、中古にした女の後の面倒を見よとは、あまりにも虫が良すぎる。このようなことで彼は独身を続けているのです。将棋界も2007年引退し、株だけが彼の情熱を高めるものになっています。今では優待株の覇王として有名になっています。日夜ママチャリを乗って、優待券の消化につとめています。生活費のほとんどはこれら優待券を換金して、そのカネを当てているのでしょう。テレビなど出て、それもまた収入になっています。今のところ贅沢をしなければ、仕事をしなくても食えていけるのだと思われます。日経のやらせかもしれませんが、時には将棋連盟に行って、子供たちに将棋の指導対局も行なっている写真が載っています。米長が死んで行きやすくなったのでしょう。
昔の将棋指しは、賭け事の好きな連中が多かった。米長も株で何億も損をした一人です。競輪競馬、花札など賭け事に目のない連中ばかりです。花村はもともと賭け将棋していた真剣師です。今の将棋指しは優等生ばかりですから、問題を起こすような人はいないようです。しかし逸脱しない人間ばかり見ると、一抹の寂しさがあります。人間の愚かさを体現してくれる人ほど感動させる人はいません。
私もFacebookを作っていますが、活用していません。はっきり言ってよくわからないところがあるので、この前一年ぶりに書いたという頻度です。樺沢によると、何か有益なことを書き、それを毎日絶やさないように書いていって、同時に他人の記事にも「いいね!」のボタンを押し捲るということに尽きているようです。するとファンが1万5千人もなり、ランキングも一位になり、書いた本も売れ、講演の依頼も舞い込んでくるといった按配です。で、樺沢紫苑のFacebookを覗いてみました。写真もあり、動画もあります。ほぼ毎回の記事に4,50人の人が「いいね!」のボタンをおしています。たぶん赤のハートマークの数字が「いいね!」の数なのでしょう。毎日一回は書いているようです。精神科医ということですが、どこかに病院でも作っているのでしょうか。基本データー見ますと、(株)樺沢心理研究所になっていて、個人的に心理カウンセラーの仕事はしていないようです。彼の収入はこの類の本を出版してその印税や、講演の依頼で、その講演の料金で食っているようです。今まで19冊も本を出したということですから、ファンが1万5千人もいるのですから、そのくらいは確実に本が売れるということになります。1000円の本を出すと、300円くらいが印税だとすると、2万部も売れれば、600万円ということで、その他講演料も含めれば結構な金額になるようです。金儲けのうまい人は頭も賢いということなのでしょう。
林家正蔵の落語は子供時代の私にはあまり面白く感じていませんでした。玄人っぽいところがあって、子供にはそのよさがわからなかったのでしょう。林家三平や柳亭痴楽で大笑いしたほうです。林家正蔵のあだ名は「トンガリ」というもので、すぐにカチンとくる性格だそうです。この日記でも、正岡溶といっしょに、街中で素人たちと喧嘩し、警察に連れ込まれています。親がそうだから子供の信雄も警察に捕まり、正蔵が引き取りにいったことがあります。ぶん殴っています。やがてこの信雄は刺青をいれるようになり、いろいろな問題があったようですが、姉の多加子は信雄が昭和24年肺結核で亡くなったとき、多くの人が葬式に来てくれたと言っています。人望があったのでしょう。
度々この日記では正蔵が便所の汲み取りをしたと書いています。我々の戦後にはバキュームカーがやってきて、肥を吸い取ってくれていましたが、正蔵は汲み取った肥をどうしたのだろうかという疑問が湧きましたが、後半に娘の多加子がその疑問を解きはなしてくれています。つまり近くの公衆便所に汲み取った肥を流しにいくのだそうです。
太平洋戦争の初期頃はそんなに悲壮感も無く、寄席に結構人が入って演芸を楽しんでします。さすが末期になると大本営の皇軍の戦果華々しいという発表にもかかわらず、寄席に来る人が少なくなり、慰問に出かけることも多くなります。
戦争中であっても税金は取られます。昭和18年の所得税は3500円になっています。前年はこの金額より400円マイナスといっていますから、昭和17年の所得額は3100円なのでしょう。昭和19年の所得税は4000円になっています。当時の大卒銀行員の初任給が75円だそうですから、それを20万円とすれば、正蔵の18年度の所得税は現在に換算すると1000万円ちかくなります。長者番付に載るほどです。今以上に高い収入には高い税率がかけられていたのでしょう。