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マスコミ業界にいて、昼も夜もないような生活をし、とうとう体と精神を壊し、しばらく休養の後、便利屋を開いたという人です。肉体を使い、汗を流すことは本来の人間のあり方で、労働の後のビールが本当にうまいと感じられたのはこの仕事をしてからだと言っています。
自宅を自分でリホームしたことで、近所から家のちょっとした手直しを頼まれます。それがクチコミで広がって、商売できるようになりました。生来の器用さがあったのでしょう。それよりもまして、彼が言うところ、道具の良し悪しで仕事がきまるということです。便利な道具があると素人もそれなりに仕事ができるということになります。
松尾も1947年生まれ、私と同じ年だ。まだやっているのだろうか?この本が出版されたのが2008年、で、この本に書かれている彼のホームページにアクセスしてみたが、出てこない。まだ死んでいないようですが、便利屋はやめたのかもしれません。ところがどっこい、「松尾信之 ホームページ」で検索してみると、http://nekonoteya.jimdo.com/が出てきました。おまけに団塊オヤジのつぶやきと称して、ブログhttp://debuneko.cocolog-nifty.com/blog/も書いていて、自分の借り農園で作った夏野菜のトマトやきゅうりやとうがんの写真を7月20日にアップしています。おまけにこの本をKindle版の電子書籍までしています。マダマダ元気で活躍しているみると安心しました。
この本を読んで、将棋のプロ・桐谷を思い出しました。将棋では7段止まりでしたが、株の世界では「株主優待の桐谷」として名が通っています。彼の若い頃は平和公園に来て、アマチュアのへぼをからかっていましたが、プロの世界に行くと、タイトル一つも取れません。しかし証券会社に将棋を教えに行き、そこで株の手ほどきを受けます。一時は3億まで資産を増やしましたが、リーマンショックで、5000万円まで落ち込みます。それから彼は株主優待権のある株だけ買い、それらの金権をショップに売って生活費を賄っているようです。将棋指しは引退したので、対局料はなくなりましたが、年金は出ているのでしょう。このような投資の仕方で食っていけるのですから、銀行に入れて利子もあまりつかない預金など、彼から見るとあほらしいと思えることでしょう。
夕凪の方法は、株主優待の権利がつく前に、これらの株は値上がりするので、何ヶ月前に買っておき、優待券確定の二、三日前に売り抜けて、利益を確実なものにするというやり方です。彼はこの方法を確立して、資産を億にし、会社員を辞めて、資本家の悠々自適ライフを楽しんでいるようです。また桐谷のように、優待株を売らないでおいても、スタバ株100株(11万4100円)でドリンク券2枚つくので、これを金券ショップにもっていけば、300円くらいになるのではないでしょうか。銀行の利子よりははるかに高い。いづれにしても資本主義社会ですから、金銭にセコイといわれても、これらの手段を使わない手はありません。今お家騒動をしている飯屋の「大戸屋」の優待券は、100株(12万3600円)で525円券4枚分ももらえます。優待券が欲しくなかったら、米2キロ分も送ってくれるそうです。
三田も団塊世代の2番目に多い1948年生まれです。早稲田を卒業しています。早稲田の文科系では、まともに卒業するよりは中退の方が大物になるという伝説があります。三田は文藝協会やペンクラブの理事長になっていますから、一応「大物」といえるでしょう。しかし、作家としてはどうなんでしょうか?私は読んだ事がないのでわかりません。芥川賞をとった「僕って何」という題名を見る限り、ドストエフスキーのような重厚な作家ではないような気がしてきます。この本でもクラッシクより演歌が幼少期から今日まで影響を与えられたということですから、私もそうですから親近感がもてます。同じ時代の空気を吸ってきたという安心感もあります。出てくる歌謡曲は古くは古賀政男から沢田研二というようにほとんど知っていることばかりです。歌謡曲で泣けるくらいですから、感性もほぼ同じなのでしょう。古賀政男のギターのメロディーは戦前の暗い世相を偲ばせ、三橋美智也の甲高い声はやがて始まる高度成長時代の前触れを、沢田研二のあの崩れかかった投げやりな態度は、熟覧したバブル前の社会の反映であります。今日の歌謡曲は受難の時期に入っているのかもしれません。これといったヒット曲もなく、時代を象徴するような歌謡曲などありません。今の若者が好む歌は我々にはこれが日本語かと思うものばかりです。いくら早口でも私は吉田拓郎まではついていけます。それ以降はさっぱりわかりません。私も若い頃は演歌のマンネリズムに飽き飽きしていましたが、この年になると、このマンネリズムがまるで子守唄のように安心感をもたらします。大袈裟に言えば、万葉から続いた日本人の心根がほのかなと漂ってくるような気がしてきます。
他人の職業はどんなものであれ興味が持たれます。鉄道乗務員といっても、車内販売の会社の従業員です。弁当やコーヒーやジュースなどを売って歩くのです。駅の売店もこの会社の系列で、鉄道会社とは別の会社です。子会社かもしれませんが、運転手や車掌とは全く違う組織に属しているのです。そうかといって没交渉ではありません。一緒に乗っているのですから、組織は違っても、お互い助け合っています。
暴露話ですから、今ではないだろうと言っていますが、かつては弁当の製造年月日のシールの張替えなど当たり前であったことがわかります。保存料がたっぷり入っていますから、少々では腐りません。漬物にカビがわいていたというクレームがあったということですが、まさか塩漬けされた漬物が腐ると思わなかったのでしょう。ということはこの弁当は一週間以上もたっているのかもしれません。
売上金をくすねるということも出ています。著者本人はしてないと公言していますが、自動販売機のカネを盗んだり、この会社の専務は自分の家に来た中元などの缶ビールを持ってきて、レジからその相当分のカネを巻き上げていくそうです。給料をもらってなおかつ余分なおカネが入ってくるのですから、昔のゆるい規範を懐かしがっています。このようなでたらめをしても会社が存続してきたということは、当時右肩上がりの状態で、年々売り上げが上がっていた高度成長期の時代だからです。余裕があったのです。商品の弁当やジュースをただで食ったり飲んだりしても、力強い経済成長の元では、痛くも痒くもありません。
現在では伝票管理をしっかりしコンピューターでし、弁当一個でも責任の所在をつかれます。ジュース缶一本で、懲戒免職の対象になる時代です。自動販売機御殿を建てた、かつてのつわものの豪快な抜き取りは、現在夢のまた夢になっています。とうとう最後にはこの人首を切られて退職させられています。あまりにも目に余ったのでしょう。
朱子学の宗主・朱熹は人間的に円満性に欠けていたようです。友からも注意されていたそうですが、一生涯相手をやり込める峻厳性が治らなかったようです。今で言う「いちがい」男なのでしょう。五経をマスターしその注釈書も出したくらいですから、相手が間違った解釈をすると、「ほとんど怒髪天を衝く勢い」で論破していたようです。ブッタや孔子より一回りも二回りも人物として小さかったといえます。事実孔子を「聖人」とあがめ、自分は聖人ではないが、それに到達するために日夜研鑽しているのだという趣旨のことを言っています。
『朱熹の一生は、常に未完成の体系を作り続けた「工夫」の過程であった』
「工夫」とはブルース・リーのカンフー映画のように、「工夫」は中国読みで「カンフー」となります。修行に修行を重ね、達人になるための努力を示しているのです。だから朱熹は一生学び、孔子に近づこうとしていたのです。孔子自身も自分は聖人ではなく、先輩たちである堯、舜、禹等々を聖者とあがめ、自分はそれに学び近づこうとする「君子」になろうとしているのだと言っています。いづれにしても東洋の思想ではある理想形があり、一歩でもそれに近づくのが人間としてのあり方だという傾向があります。そのためには日夜研鑽を積まねばなりません。結果がどうあろうとも、研鑽に大いなる意味をもたせたともいえます。西欧のように結果オーライとはいかないのです。要領よく立ち回ることはもっとも毛嫌いされます。稚拙でもいい、しかし歯を食いしばって頑張る姿勢こそ大切なのだという考え方が目に見えてきます。孔子の一番弟子である顔回のように、貧乏で満足に栄養を取れなく早死にした者のほうが、貨殖して妾を何人も持つ男よりも賞賛されるようになります。合理性はなくなりますが、それよりもまして自分は高い精神性を有しているのだという矜持がもてて、このような努力を惜しまなくなります。これが江戸時代武士道につながり、第二次世界大戦の日本軍の軍人勅語にも影響を与えました。
今一度孔子に習って、行き過ぎはよろしくない、「中庸」こそ肝心であるということも知っていたほうがいいかもしれません。