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北朝鮮も韓国も似たようなもので、いくら取り決めをしてもその後すぐそれを反故する人たちだということです。この前、韓国と慰安婦問題の合意がなされましたが、多分この問題はこのまま沈静化することなく、また再び何かの時に持ち出されるでしょう。シンシアリーによりますと、韓国は日本を叩くことによって成り立っている国だということです。
「反日がないと、韓国は死んでしまいます」
小学校から反日を教育されています。日本に対して悪いことをしても韓国では賞賛されることになっています。「反日即愛国」というもので、対馬の寺の仏像を盗んでも、韓国の裁判では返還する必要はないと出ています。靖国神社のトイレを爆破した犯人は韓国ではよくやったと褒めたたえられています。まったくこちらが精神的に「疲れる」隣人です。
最近の韓国の事件で、英国の加湿器のメーカーの謝罪会見で、被害者が会社の外人の幹部を殴っているニュースがありました。1500人も死んでいるということで、ひどい製品であったのでしょう。それにしても謝っている人間を殴ることはないでしょう。私は、かつて不祥事を起こした日本の会社の、謝罪会見を思い返してみましたが、罵声とかは飛び返しますが、殴っているといった記憶はありません。シンシアリーも言っていますが、韓国人はこのような謝罪会見において、被害者だという、絶対有利な条件を確保すると、やりすぎるという反省心はなくなります。これがいわゆる「ハン」(恨)の思想です。
『「悪」を設定することで、自分が「善」になれます。「歪」(下)を設定することで、自分が「正」になれます。逆に相手を赦せば、自分の格が下がります。だから赦しません』
英国の除湿機メーカーは慰安婦問題のように、たとえ賠償金を払ったとしても、永遠に謝罪を強制されるようになるでしょう。
この「ハン」(恨)が千年の続くと言われれば、もうお手上げです。そうですか、もうご勝手にというほかありません。これは何もかも儒教を曲解したせいだということです。儒教では年長者を奉る教えがあります。それが朝鮮では「上下」の問題になり、両班とそれ以外のもの、「配慮を一方的に受ける者」と受けられない者と別れます。その階級差の中に(「ハン」(恨)の思想が紛れ込んでややこしくしているのです。
『「ハン」(恨)とは、相手と比べたがる歪みからきたもので、負けを認められず、自分は不正な方法で負けた被害者だから実は「上」であると信じ続けることである』
だから日本の評判が落ちると、韓国はその分自分たちが上がったと思うとシンシアリーは書いています。このような小難しい隣人たちに対してどのような態度をとったらいいのでしょうか?このような隣人にさしたのは私たちのせいかも知れません。が、このような弱気ではいけません。すぐ反省したがるのは韓国人につけこまれます。気に障りますが、何を言われても一応無関心を装ったほうがいいかもしれません。
私が考えることは、何年も前からそれを考えている人がいるということがわかります。経済格差を利用して、物価の安いタイなどに老後を過ごすということ。この本が出版されたのは2008年です。その頃でも、純朴だと思われたタイの若い女性が、日本の高齢者男性を騙し、すかんぴんにさせて、放り出すといったことが書かれています。それから8年も経っていますから、もはや日本の貧乏人がタイに渡っても、あまり豊かな生活も出来ないし、あわよくばきれいなネイチャンと楽しい思いが出来るという夢は、夢のまた夢になっているかもしれません。厚生年金で月20万円あれば、ある程度リッチな生活がタイではできるかもしれません。私のような国民年金では8年前でもぎりぎりの生活しか出来ないと言っています。知恵のついたタイの女性も日本の老人に厚生年金か国民年金かと聞いてくるそうです。国民年金ではプレゼントを散々願って、適当に吸い取ったら後はポイと捨て去るようです。これではタイの経済難民と変りがありません。でもタイ人であるとタイ語ができるので、何とか生活は出来るでしょう。しかし学習能力も減退した日本人老人にはタイ語もしゃべれないものですから、何とも惨めな状態になります。
タイで行方不明になった日本人も多いことでしょう。たとえタイ人女性と結婚しても、家を建てた途端、具合が悪くなったりして死んでしまう人もいます。これらは、自然死の人もいるかもしれませんが、何か作為的なものも感じられます。殺されないまでも、建てた家などに親族が入り込み、文句を言うと、かえって家から放り出されます。何しろタイでは外人は土地など買うことが禁じられています。つまり全て妻の名義にしないと、家も建てられない状況です。妻や親戚は日本人に散々カネを使わせて、自分のものになったら、しぼりかすの老人は必要ないのです。これでは日本と同じことではないかと嘆いても仕方ありません。ただしタイでは60過ぎのおじいさんが40歳も若い女性と何ヶ月間は一緒に暮らし、いい思いも出来るのですから、たとえそのような目に合っても、帳尻があっているともいえるかもしれません。日本では20歳代の女性は、老人が超金持か加藤茶のように有名人でないかぎり、関心を持ってくれることはありません。とうのたったおばさんですら、無理難題をふっかけるご時勢です。このような日本女性と付き合うより、自分に対する愛情などもっていないとしても、タイの若い女性と付き合って、たとえカネをむしりとられても、本望だと割り切って考える人もいるかもしれません。カネをもっていても死んではもっていけません。タイの若い女性にカネをむしりとられても、「いい思い」が残るのなら、それもいいことではないか、私も考えることしきりです。
タイ人の小説なのに、日本の満州事変が背景にある小説なのです。主人公はタイの新聞記者で、満州に赴任してきます。香港からの船旅で、金髪の女性と出会います。その女性はロシアの新聞記者と名乗り、二人を軸にして筋は進んでいきます。満州警察にこの金髪は共産党要員の疑いで捕まります。何らかの理由で釈放されます。最後二人は出会って抱擁を交わし、主人公は日本へ、女性はウラジオストックへと、別れ別れになって小説は終了します。
私はタイの国の事情を示す小説を期待していたのですが、またもや裏切られました。タイの屋台の人々の苦悩や楽しみを読みたいのですが、私の生活と全く接点がないような小説です。土に根が張っていない、空中楼閣のような小説です。歴史の前提はあるのですが、さりとて満州国の日本の存在はこの小説では影が薄いし、日本が存在しないようでもあります。
セーニー・サオワポンの経歴を見ました。ここで気づいたことですが、タイは極端に格差がある国ではないかということです。西欧の植民地にならなかったのは、この国の上層部が偉かったのには間違いありません。国王を中心にして、これを取り巻く上層部は昔からずっと金持で、屋台でいか焼きを売っているおっちゃんとは根本的に違っています。日本で想像する日本の中間層とも違い、それよりもずっとずっと金持で代々それを維持続けた家系であるということです。だからこれらの人はタイの屋台でものを食ったということは一度もない人々かもしれません。最近日本でもワインを飲むようになりましたが、タイの上層部は戦前からワインを飲むような贅沢な生活をしていたのでしょう。だからタイの庶民生活を見て、日本からだいぶん遅れていると思っては大間違いです。タイの一部の人は日本よりももっと進んだ生活が出来てきたということです。だから文化的な厚みもあり、成金のようながさつさはありません。
最近の調査で東大生は金持の子弟が多いといわれています。豊かな階層はその豊かさを相続できるようになっているのです。日本も屋台の子供はやはり屋台を引っ張るようになり、階級の固定化が始まっているようです。金持集団の小説はやがて自分の国に貧乏人がいないような小説を作るようになるかもしれません。
「満韓ところどころ」で漱石は欧米の圧迫を感じ、友人の中村是公の推し進める満鉄の政策を是認しています。満州に日本から50万人も入植させて、満鉄の鉄道線路の周辺に住まわせ、満鉄への攻撃の阻止と、再びソ連が南下するすことを許さないとすることです。戦後我々はこのような植民地政策は間違いだったと教えられてきました。「アジアに多大な被害と苦しみを与えた」という論調です。日露戦争でやっと勝てたという時代で、朝鮮を礎にして、満州にまでも越権を伸ばそうとすることを、大方の当時の日本人で反対することはできなかったでしょう。たとえ先見的な目を持つ夏目漱石すら、日本のこの拡張は、西欧列国からの脅威に対抗するもので、自国の安全には欠かせないものだという思いがあったのでしょう。汚いクーリーを見る目も、同情心はなく、「不体裁」であると切り捨て、ちょうど福澤諭吉が言っているように、進歩のない朝鮮や中国を友として付き合うよりは、関係を断ち切ったほうがいいといった気持ちもあるようです。
現在も日本は大借金国ですが、日露戦争が終わった頃の日本は、世界からその戦費を借りていて、戦争終結後賠償金が取れるかと思いましたが、カムチャッカ半島の割譲と朝鮮の支配と大陸の鉄道の譲与を受けただけなので、その借金の支払いに大いに苦慮していました。小説・「それから」に、そのことによる、日本の事情も書いています。
「・・・日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本ほど借金を拵えて、貧乏ぶるいしている国はありはしない。この借金が君、何時になったら返せるかと思うか。こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事ができない。ことごとく切り詰めた教育で、そうして目の回るほどこき使われるから、そろって神経衰弱になっちまう。話してみたまえ、大抵は馬鹿だから。自分のことと、自分の今日の、ただいまの事よりほかに、何も考えてはいやしない。考えられないほど疲労しているのだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にしてともなっている。のみならず、道徳の敗退もいっしょに来ている」
ちょんまげをしていた明治維新から40年ほど経って大国ロシアと戦争をしているのですから、国の存亡の危機を迎えていたのでしょう。今ではナショナリズムがよく思われていませんが、国が亡びるかどうかの時はインターナショナルにはなれないでしょう。この後日本はシナ事変、太平洋戦争と突き進みますが、夏目の言うように馬鹿になっていたから、そうなることは必然のように思われてきます。
私は一応浄土真宗になっていますが、父親・母親・妹の回忌など一切していません。時たま葬式写真を拝んでいるだけです。私が死んだときは、直葬にしてくれと、妹にいっています。直接焼き場に運んでもらって、焼くだけで、一切の儀式はいりません。お経や戒名など一切不必要です。要するに無駄なカネを使いたくないのです。私のような人が増えているようです。そのために寺の維持が難しくなっているようです。直葬のように極端でなくても、家族葬でも坊さんを呼んで、お経を唱えてもらうということをしなくなっています。つまりお坊さんの労働に何らの価値があると思っていない証拠です。宗教を信じていないといったような大袈裟なものではなく、果たして何十分のお経の朗誦に20万円の価値があるかどうかです。資本主義も進むと、原価計算が緻密になります。コンビニ店員に時給が900円くらいだとすると、たとえお坊さんが勉学に研鑽を積み、お経を覚えて、それを数十分唱えたとしても、コンビニ店員の時給の200倍もの価値があるかどうか、それに喪主だって、たかが数十分で、喪主の一か月分の給料と同じくらいか、ちょっと下でははなはだ納得の行かないものでしょう。今まで慣例でそういうものかとやり過ごしてきたものが、資本主義が円熟すると、お金の物差しが、疑いもないと思われた慣例すら仕分けしていきます。費用とその効果を冷静に見る世界こそ資本主義の極致といわれるでしょう。
ヨーロッパのキリスト教国でも日曜日ごとに教会に行く人は5%まで落ちています。ドイツではキリスト教者には国税と一緒に教会税などもとっています。そのためにキリスト教徒ではないと申告する人が多くいます。
島田裕巳よると宗教の進展と終息は、その国の進展から安定、降下のサイクルによるといっています。まずヨーロッパで世界覇権がおこり、大いにキリスト教が進展します。それを引き継いだのがアメリカで、今はヨーロッパは下降気味になりましたが、アメリカはメキシコからの移民によって少し上昇的か安定時期に入り、つづいて日本が高度成長時代を迎え、宗教もいろいろな団体が多く創生されています。ところが日本は人口減少と低成長かマイナス成長になり、宗教も同じ経過をたどっています。今はイスラムの世界が伸張していますから、当分の間イスラム教の一人勝ちになっていますが、やがてこれも成長が止まると衰退するであろうと予言しています。
要するに経済が衰退期にはいった我々日本人は宗教のような、実生活の飾り物にはもはや余分にカネをかけられないというのが実情なのでしょう。