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ヴァージニア・ウルフは叔母の遺言によって年500ポンドの年金を受け取る身になり、「自分だけの部屋」を持つことができ、自由にものを書けることが出来るようになったと言っています。ウルフによると歴史上イギリスの女性はいくら才能があっても、物書きとして名をつらねることはなかったといい、たとえでシェイクスピアに妹がいて兄と同じくらい文学的才能があろうとも、妹は決して作品を作れなかっただろと断言しています。つまりイギリス社会は男性社会であり、女性は財産も主権も持てなく、もちろん「自分の部屋」もなく、ただ男性に従属するしか他の生き方はできなかったということです。それに女性は男性に勇気を持たせる「鏡」として機能していて、女は男を支えるために下積み仕事・家事を受け持ち、男たちの自尊心の下支えをしたということです。ウルフは言っていませんが、こうした自尊心肥満症のイギリスを含むヨーロッパ先進国の男たちは、自分たちのシステムをやがて全世界に広めてしまいます。つまり自分たち以外はまるでウルフが言うイギリスの女性のようなものであり、自分たちを支えるべき隷属した状態にいるべき存在としてしか認めなかったということになります。これが植民地政策であり、ひいてはこれが現在のテロの温床の元凶になっていると、私は思っています。自尊心肥満症の男たちが写る歪んだ鏡を壊すことが、テロをなくするための最大の方法だと思われて仕方ありません。テロ側もテロを阻止する側も、男たちが見ている歪んだ鏡をぶっ壊す必要がありそうです。
今日本でも「貧困女子」という言葉があります。女一人での生活はままならないものがあります。それ以上に子供を抱え、離婚した女性は大方貧困の状態になっているようです。いくら才能があろうとも安定した収入がないとその才能も発揮できそうもありません。日々の稼ぎのためにくたくたになるようでは男でも創造的なものを作り出すことはできないでしょう。男・優先・競争・社会の行き着くところ、一部の富裕層が大半の富を独占し、その他大勢は食うや食わずの生活を強いられるようになるということです。
青木雄二は2003年58歳で死んでいます。この本は2002年出版です。「ナニワ金融道」で大当たりし、このカネでビルを買い家主になり、念願の資本家になり、遊んでくらせる状態になった途端に肺がんの宣告です。少しはいい目をしたようですが、その時期があまりにも短い。大方のものが無名で死んでいくので、名が残っただけでもよしとしないといけないのかもしれません。
この本はコラムだけが青木自身が書いたもので、他の文は出版社の社員が参考文献をあさって書いたように感じられます。青木雄二の名をかぶせるとある程度売れるという思いで、青木雄二と出版社の編集部員とのコラボレーションの作品のようです。
青木の要諦は貧乏人はゼニを使わないことに限るのやということになります。ゼニもないのに見栄を張って借金などをして生活すると、女ではソープランドに売られるようになるし、男ではすかさずホームレスになるのだといっているのです。ゼニのないやつはじっと我慢して節約するしかないだろうということです。このような当たり前のことを聞かされると、身も蓋もないように感じられますが、実際そうなのですから、ゼニのない奴はじっと我慢するしかないでしょう。それができないというなら、「独立」しかありません。といっても誰もが成功するというわけではありません。いづれにしても青木は今からの厳しい状況をこう言っています。
「これまでのサラリーマンの雇われ人根性とか、貧弱な発想は、まあ、会社にいても生きていけなくなる日も間近いで」
植木等の歌う「サラリーマンとは気軽な家業ときたもんだ」とはいかないようです。青木雄二のナニワ金融道のように「社会的に見て価値ある仕事」をしないと、ゼニはついてこないと断言しています。
私は今はやりの言葉「下流老人」でありますから、海外旅行など円安も伴って、とても行けるような経済状態ではありません。ひたすらカネを使わないために、休みは寝床で寝転がっています。で清水先生の旅行記を読んで、海外旅行に気分を味わっている次第です。清水先生の海外旅行は、安直に旅行会社のツアー旅行を、といってもただブランド品を買うためのツアーではなく、世界遺産とか美術館を観るようなツアーを選んでいます。先入の知識ははじめから入れず、旅当時は各地で写真を撮り、家に帰ってから、訪れた土地の歴史を調べ、それを本にまとめているのです。単に旅行しなしっぱなしというわけではなく、旅行したあとが、先生にとって「学ぶ」という非常な楽しみがついて回るのです。旅行中もワイン飲んだり、スーパーマーケットや個人商店で買い物する楽しみもあり、「一粒で二度おいしい」ということを実践されているのです。またこの本が売れると、次の旅行の原資にもなります。この不況下先生にとってはいいように歯車が回っているようです。
私もこの年になると道学者めいてきて、何か小言を言わねば気が済まぬようになってきています。清水先生はタバコ好きで旅行中もタバコを切らすことがありません。あるホテルで従業員に部屋の中ではタバコを吸わないで、バルコニーで吸ってくれと不機嫌そうに言われ、なおかつそれを見届けるためにその従業員が部屋をのぞいたということに、カチンと来て清水先生はバルコニーに吸殻を足で擂り潰したと書いておられます。後で反省もしているのですが、先生もそろそろ後期高齢者になるのですから、タバコをやめられたらと思う次第です。私はもともとタバコを吸いませんが、以前は店でお客さんがタバコを吸うのは自由でした。私が肺炎になり、タバコの煙がいたく肺に刺さるような気がして、それ以降禁煙にしました。むせかえることもなくなり、いまのところ快調です。多分清水先生の家はニコチンの煙でくすぶられ、変色していることでしょう。奥さんの健康にもよくありません。テレビでも宣伝していますが、禁煙外来に行くことを勧めます。
カナダ系ユダヤ人が志願してイスラエルの最も関門の高い軍の一員なり、戦闘までしたことを書いているものです。しごきにあい、くじけそうになりますが、最後まで頑張り、名誉ある特殊部隊のメンバーになることができたのです。どこの軍隊でも新入生をいたぶります。日本の戦前の軍隊だけではありません。アメリカでも軍隊の訓練はしごきといえるものです。イスラエルの軍隊はまさしく戦争中なので、若者を鍛えることに国運をかけているようです。私はここで映画にもなった野間宏の「真空地帯」を思い出します。いやいや軍隊に入った真空地帯の登場人物と、自ら志願して軍隊にはいったアーロン・コーエンの違いが見て取れます。私は父からも軍隊での無用な暴力の話を聴かされたものです。どうも日本では古参兵が自分の楽しみのために新兵を殴っていたり、腕立て伏せを何回もやらせたりしています。まさしく「私怨」から、そうしているように思われるのです。古参も新兵もどちらも徴兵で集められ、高い志向などもともと持っていないのですから、このような男所帯での気晴らしといえば、新兵をいじめることしかないでしょう。アーロン・コーエンの場合は、イスラエル国の存続のためにカナダから駆けつけてきているのですから、モラルの高さが違います。しごきはこれから起こるだろう戦闘で何か役に立つだろうと信じているので、苦しいけど耐えて行っています。やがて訓練を終えてテロ集団を襲撃する特殊部隊の仕事をします。あまり詳しいことは書かれていませんが、銃を撃って手向かってきた子供を撃ち殺したとあります。このような特殊任務は1年でお役ごめんとなります。それ以上続けると人間的におかしくなるようです。アーロン・コーエンはイスラエルの軍隊に留まることを勧められましたが、アメリカにいる母の元に返ります。そこで警備会社を作り、ハリウッド俳優の個人警護をしたり、9・11以降テロに対する仕事が急激に増え、イスラエル特殊工作員という肩書きはアメリカ国家の中枢、警察の中枢までも幅をきかしているようです。
世界は大まかにわけて、儒教文化圏、キリスト教文化圏、イスラム教文化圏になると思われます。われわれが最も知らないのはイスラム文化圏です。われわれは中国の歴史やヨーロッパの歴史は教えられてきましたが、イスラムの歴史はとばしてきたか、教えられても試験に出ないと思っていい加減にやりとばしていたのでしょう。私もインドのアーショカ王くらいしか思い出せません。インド以西の中近東にどのような国があり、興亡があったのかは少しも知らないのです。この本を読むために、世界歴史年表をみましたが、ヨーロッパからトルコ、ロシア、中近東にかけて多くの民族が征服したりされたりを繰り返しているのが見て取れます。今ここに住んでいる民族はかつては1000キロも離れた場所に住んでいた民族かもしれないのです。私のような粗雑な頭では何年かかっても理解できないでしょう。紀元前3000年前から歴史があるのですから。清水先生も訪れる国について簡略な歴史の説明をされていますが、時には歴史の説明のためにこの国に来ているのではないといって、その説明を投げ出されていることもあります。しかしながらその国に入り、そこに住んでいる人と接すると、5000年の文化の「底力」を感じられることがあると言っています。
「モロッコ」の章で、「カスバというのは、モロッコ観光におけるキーワードの一つなのでざっと説明しておこう。カスバとはアラビア語のマグリブ方言で、中心都市、街、という意味だ。だから一つの意味は中心街ということで、アルジェリアのカスバなどはそれである」
私が「カスバ」ときいて思い出すのは昔の歌謡曲です。「カスバの女」というもので、歌謡曲でありながら、どこか異国の歌のようでもありました。歌詞で「ここは地の果て、アルジェリア。どうせカスバの夜に咲く、酒場の女の 薄情け」とあります。やっと私はカスバとは繁華街のことであり、地名ではないのだとわかりました。