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1652年に江戸に来た、オランダ人・アドリアーン・ファン・デン・ブルク一行にスウェーデン人のオフロ・エリクソン・ウィルマンがいました。この人が日記を残していて、長崎の出島を管轄する筑後守の屋敷に挨拶した時の模様を書いています。その時、井上筑後守政重から言い寄られて困ったということを書いています。ウィルマンは聖書のソドムの話を出して、男色を行っていた都市は神によって焼き払われたと言うと、筑後守はこう答えたそうです。
「ほんとうですか、それなら、日本中に火をつけねばならない」
かつての日本はそこらじゅうにホモ関係があり、これが当たり前であったことがわかります。文明開化が始まった明治でも、丸の内の原っぱなどでは少年が二、三人薩摩男たちに襲われ泣き叫ぶ声が聞かれたそうです。明治維新の覇者である薩摩長州の影響がこの方面でも色濃く残っていたということになります。
最近アメリカのロック歌手エルトン・ジョンがソ連のプーチンと電話でホモの合法について話し合ったというニュースがありました。結局これはエルトン・ジョンが騙されていてということがわかりましたが、外国でもこの方面の人たちが多いということがわかります。イスラムではこの人たちは死刑になるそうですが、国民の何パーセントはこの方面の傾向があるのですから、その人たちは毎日身を削るような生き方を強いられているのでしょう。その点日本では変わった人と言われるくらいで、死刑になることはありません。今日も歌舞伎町界隈では大いに盛り上がっているはずです。
デリヘル「愛情工房・性戯の味方」の社長であり、自らもデリヘル嬢として第一線で活躍しています。昨今のこの業界の料金の低劣化に対し、単に体の射精だけではなく、「心の射精」という合言葉のもとで高品質を唄いそれなりの料金体系で日夜頑張っています。「女性器」はあれば売れる時代ではなくなりました。長いデフレの傾向と、現在も景気はいいようですが、実際はごく一部のものだけで、大半は相変わらず苦しい現状で、「女性器」の供給はあふれかえっていますが、需要はそれほどでもない状態になっています。もはや風俗は女性のセーフネットではなくなっています。人生行き詰まったら風俗へという構図は跡形もなくなり、どのような女でも入れる業種ではなくなりました。別嬪か、別嬪でなければやる気のある女性しか通用しなくなっています。別嬪でもやる気がないとか、技術がへただと自然とこの業界から締め出されています。
この業界で成功できる女性は「意識的に」「ぶりっ子」が出来る人です。男と対決するといったキャリアーウーマン的女性は成功しません。気位の高い女性にはこのぶりっ子がなかなかできないそうです。私は男性ですからその辺の事情はよくわかりません。可愛く見せるということは結構難しいことらしい。女性によると、ぶりっ子とは「あえて負ける」状態を作り、男性の警戒心を緩め、男をこのぶりっ子の土俵に上げると、男は手も足も出なくて女性のコントロール化に置かれるそうです。このようになると女性が言わないまでも、女性がこうなって欲しいと思うと無意識的に男性も女性の思いに添うようになります。ぶりっ子はひ弱そうですが実際は女性の冷徹な知性が詰まったものです。水嶋かおりんもこの技術を獲得したことによって人生変わったと言っています。男性への嫌悪感を持っていた彼女はこの技術を得たことによって、それまで男を獰猛なライオンだと思っていましたが、実際は飼われている犬やネコのようなものであると気づきます。男たちも男はこうあるべきだというジェンダーにとらわれて、 強面の顔をしていますが、裸で付き合えば彼らの泣き言も聞かれます。水嶋かおりんはもはや一介のデリヘル嬢ではなく、男の心を癒す精神科の医者のようなものであります。
この本は2012年11月4日に読書録にあげています。改訂版だと思いましたが、同じものでした。当時はこう書いています。
『要はインターネットでストアーを開設し、これに伴う諸々の仕事はアウトソーシングして自分の口座にどんどんカネが入ってくるようなシステムを作れと言っているのです。ティモシー・フェリスは最初健康食品のようなものを売っていました。めんどくさいことはインドなどの業者に任せ、入ってきた金で世界を好きなだけ旅行をしています。したいことの「先送り」人生ではなく、今やりたいことをすかさず行うというのが、NR(ニューリッチ)の生活心情です。
大概な人は「誠実に1日8時間仕事働くことによって、あなたはやがては上司になり、1日12時間働くことになる」ということで、実質自分が好きなことはできないようになります。
ティモシー・フェリスはこのようなシステムをつくったおかげで、自由時間ができ、今では6カ国語もマスターし、日々格闘技の練習にも精出しています。巻末に金持ちになるための参考になる本を出しています。古典というものはあまり見つかりません。ソローの「森の生活」くらいなものです。「デジタル遊牧民」とって本などお荷物になるだけでしょう。いまでは先進国ではどこでもインターネット環境が整っていますから、パソコンを使えば好きな本はどこにいても手に入るでしょう。私もこのようなことができるならしてみたいものですが、インターネットを駆使して金儲けできるほどの能力はありません。』
ティモシー・フェリスはアインシュタインの言葉を引用しています。
「ある程度の年齢を過ぎると、読書は、クリエイティブな要求からあまりに心を遠ざけてしまう。どんな人でも、本を読みすぎ、自分の脳みそを少ししか使わなければ、思考する習慣がおろそかになるのだ」
私もある面自動読み取り機になったような気分がします。解像度の悪いスキャナーのようなものです。私は考えないために本を読んでいるようなものです。「思考する習慣」をなおざりにした結果、最近バイクに乗るときにつけるヘルメットがブカブカになったように気づきました。脳が萎縮しているのでしょう。有名な歌手の名前など思い出せないことも多くなりました。記憶の領域には多く詰まっているのに何一つ想起できないとなると、これは一種の便秘で、いくら新たに本を読んでも、少しも頭の中に入ってこないとになるし、解像度の悪いスキャナーという表現もわかるような気がします。もちろんこれら仕入れたもので新たなものを作り出そうという力などありません。インプットもアウトプットも出来ない脳になりつつあります。むしか私の父が同じ話を繰り返し話していましたが、そのうち私もそうなるのでしょう。悲しいかな、これが老化の現実なのでしょう。
目からウロコが落ちる思いです。会話を中心とした今の英語教育では植民地になり、二流の国民になるということです。小学校から英語とか、会社の中の言葉は英語にするというのはアホのたわごとです。この会話英語程度では日本人男は白人社会での切り捨て自由の派遣社員、日本人女では白人男にただでやらしてくれる娼婦くらししかなれません。(永井忠孝は教養がありますから、このようなあけすけのことは言っていませんが、この本を読むとそのようにとれます)いま英語がペラペラしゃべれて、会社でエリートを自任している日本人男も英語が会社で公用語になると、出資した欧米から白人エリートが入ってきて、あれやこれや命令されて、ぐだらない仕事を押し付けられ、経営はこれら白人が執り行うようになり、エリートからの陥落が始まります。いまのところそこまでいっていないようですが、ソニーの白人外人社長は月に一度出社するだけで一億数千万円ほどの給料をもらっています。英会話を習っている日本人女たちも、自分たちの文化の根・味噌汁と糠漬けを忘れ、ワインとチーズの世界に憧れ、白人男を見ると、目に色を変え、日本人男の前では見せたことがないような早業でパンティーを脱ぎたがります。(このようなことを永井忠孝はもちろん言っていません。私が推度しただけです。流川で自慢げに白人男を連れまわしている女を見るとそう思えてくるのです。もてない私のコンプレックスのなせることかもしれません))永井忠孝はエスキモー語を専門にしていますが、英語を話すようになったエスキモー人は自殺者が多いといっています。フイリッピンでも英語が公用語になっていますが、アメリカ社会で一流になった人はいません。つい最近電気店の前でカラオケで英語の歌詞を歌っていた女の子がアメリカの音楽業界からスカウトされましたが、アメリカ社会の慰め者としてしか利用価値はなさそうです。インドでもイギリスの影響から英語を話しますが、自国語をないがしろにした反省が最近出ています。いくら英語が達者になっても、英国社会やアメリカ社会では二流民で決して白人と同等になれないということがわかってきたからです。だからペラペラ会話英語など学ぶ必要はありません。真に必要なのは英語の文献を読み解く能力です。日本でのバイリンガルの大半はペラペラと英語はしゃべれますが、ちょっと難しい英語の本など理解できないそうです。日本語も中途半端、英語も会話程度ではそのようなことは出来ないのは当たり前です。いまではもう会話くらいは翻訳機が出ているので、いちいち高いゼニを出して白人から会話英語を学ぶ必要はありません。明治時代の学者のように英語の文献を読み解き、白人特有のこすっからい性格を見抜く目を持つ必要があります。「いつまでもあると思うな、英語とアメリカ」新しい標語を作りました。いまからは経済の中心はアジアに向かってくるそうです。中国語学ぶ必要がありますが、それができないならたどたどしい日本人英語会話で十分です。アジアに人たちとネイティブなアメリカ人が会話すると意味が通じませんが、日本人のたどたどしい英会話ではアジアの人々と通じることができるのです。わざわざアメリカ英語会話を学ぶ必要はないのです。ネイティブ真似るとかえってアジア人との会話ができなくなります。いまからは声を大にして、アメリカ人に対してもっと日本人英語を学べよと言い、それをしないとアジアから取り残されるぞと忠告しないといけません。アメリカ本土に日本風英会話教室を作る必要がありそうです。
いまはソ連が歯舞、色丹、国後、択捉島を日ソ不可侵条約を破って、終戦のどさくさ紛れに不法占拠しています。ソ連はこれらの島々に韓国や中国に投資を促しています。抗日70周年記念で習近平とプーチンと朴大統領が仲良く会談しています。我々の神経をさかなでる光景です。昔から朝鮮は中国やロシアや日本にはさまれて、あっちについたりこっちについたり、態度が定まりません。たとえは悪いですがカネと庇護を求める性悪な妾のように見えてきます。朝鮮から見ると日本はすぐバカヤロウと怒鳴る暴力的な旦那かもしれません。中国から見るとかつては属国で蛮人のようなものが、西洋列国の尻馬に乗って、清王朝の腐肉に喰らいついた狂犬のように思っていることでしょう。ロシアから見ると、白色人種のプライドを著しく傷つけた、二流人種でありながら一流人種の格好をしたがる分相応を知らないとんでもなく、許しがたい奴だと思っているはずでしょう。これら近隣の諸国と仲良く出来ないことは悲しいことではありますが、歴史のいきかがり上仕方のないことです。シリアのように国民同士が市街戦をやっているのを見ると、虫の好かない国に囲まれていても、まだ日本には内戦がないのが仕合せと思わないといけないようです。かつて日本が三国干渉を受けて、臥薪嘗胆してやっと日露戦争でロシヤに勝ったように、ここ当分の間はじっと我慢し、ロシアが原油安で国が持たなくなるのを待ち、韓国のサムソンが倒産することを願い、中国のバブル崩壊に期待をかけることしかありません。
かつて日本は満州の植民地経営をし、満州に多額の投資をしましたが、戦争に負け、何もかも失いました。一応満州国は独立国の体裁をとっていましたが、実際は傀儡政権であり、満州国皇帝溥儀は日本軍部の人形でした。満鉄線路の周辺に日本から食い詰めた貧民を入植させましたが、敗戦後これらの人々はひどい目に会いました。長與善郎は西欧の強欲な植民地政策と違って、五属協和の「王道楽土」を目指しているのだと書いていますが、実際は日本のエゴがまかり通っていた状態だと思われます。しかし朝鮮でも満州でも学校や病院や工場など建て、これらが敗戦後朝鮮や中国の近代化に役に立ったことは紛れもない事実です。イギリスなどインドにそのようなことは一切やっていません。このくらいは感謝して欲しいと思いますが、朝鮮での「バカヤロウ」とか中国での「平手打ち」の評判が悪くて、悲しいかな、日本人はあまりよく思われていないようです。自戒として心の底では染まぬことかもしれませんが、態度では他の近隣の諸国の人々に対して親切にしないといけません。「爆買い」をしてくれる中国人には、英語を習うよりは中国語を学んで、意思の疎通を緊密にしないといけません。