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はじめ日本列島には縄文人がいて、それから朝鮮や中国からやってきた弥生人によって、縄文人は混血したか、征服されたかによって、今の日本人の原型が出来たのだと言うのが通説です。これに対して片山一道は骨の研究から、もともといた縄文人が弥生人に変化したのだと言っています。少しは新しく渡って来た人との交わりはあったかもしれないが、基本的にはもともといた縄文人自身が変化したのということだということです。最近私も驚いたことですが、日本人の男性も女性も足も長く伸びて、かつての胴長短足の人は若者の間ではあまり見かけなくなりました。たかが何十年で人の体つきが変わるのですから、何百年、何千年のうちに人間は元の形をとどめないほど変わるものだというのが納得できます。アフリカを7万年前出たクロマニヨン人はヨーロッパに行くとコーカソイドにアジアに行くとモンゴロイドに変化しました。万単位だと元のクロマニヨン人とは想像できないほどの変化です。別の種ではないかと思うほどです。日本の歴史でも江戸時代になると、最も身長が低くなった時代です。古墳時代の人間より背が低くなっているのです。その原因は農業を基礎にした社会の固定化により、通婚圏が狭まり、似たもの同士が結婚するので、まるで近親結婚の弊害が出たのではないかと推察されます。また階層によっても同じ日本人でも大いなる相違が出てきます。俗に「殿様顔」というものがあります。この本でも古墳時代、権力者の墓の骨とそうではない者の骨を比較したものを載せています。総じて権力者は背が高く、長顔になっているそうです。つまり栄養のいいものを食べ、よく調理されてあまり硬いものは食べないので、顎が張るような顔つきにならないということです。反対の下層のものは縄文人の特徴を残しているものが多いということです。江戸時代の徳川の代々の殿様の骨を研究したものも総じて同じような傾向になっているようです。日々の生活で人間はドンドン変わるので、悪い習慣に染まらないようにしないと、いつの間にかサルに先祖帰りしているかもしれません。
われわれ低段者から見るとアマチュアの高段者は雲の上の存在ですが、その上にプロがいるのですからプロは神様のようなものです。最近はコンピュータソフトの出現で神様の地位を脅かされていますが、やはり頂点の羽生は将棋の神様といっていいでしょう。私は将棋を40年以上にわたってやっています。将棋24では2級程度でさ迷っています。これ以上の伸びることはないでしょう。現状維持をめざして、日々パソコンのマウスをクリックしています。
今泉健司はやっとプロになって、NHKの将棋番組に出ていました。声がはずんで本当にうれしそうでした。もちろん今泉健司は私から見ると雲の上の存在ですが、いつまで経っても強くならない私と同様、プロの門前で何十年もうろうろしていたのを見ていますから、親近感がわきます。頑張って欲しいと思いますが、フリークラスを抜けるのも大変でしょう。プロになったからと言って勝たないとカネが入ってきません。へたをすると介護士の給料を下回るかもしれないのです。対局料で食えないとすると、アルバイトもしなければなりません。どの世界でも下流に位置するものは生きるのも大変です。羽生ほどのエリートはこのような経験はしていないでしょう。しかし考えようによっては、羽生の「新幹線グリーン車」の生き方がいいのか、今泉の鈍行で行く「青春18切符」の生き方がいいのか、判別できるような人はだれもいません。多くの人たちに知られているとは、羽生はもちろんですが、今泉も史上最高年齢でプロになったということでギネスに登録されているので、羽生に劣るとも思えません。案外、人の共感を巻き起こすドラマの主人公になれるのは今泉の方ではないかと思われます。全知全能な神よりは、過ちを繰り返す人間のほうが何倍もおもしろいのです。おまけに人の失敗は教訓をもたらします。私のようにいくら経っても強くなれない人間ほどこの教訓を噛み締めないといけません。後先短いといえども同じ間違いをしては、死ぬ時後悔するはめになります。
天然の鮭やマスが最近小さくなっています。著者によると乱獲によって、性成熟度を速め、はやくから子供を作り始めた結果だということです。大きなものを獲ったからではありません。生き残りのために鮭やマスは遺伝子を変え、人間の乱獲から子孫を残すために、若いうちから生殖をして子を生むようになったということです。
コオロギのオスはメスをひきつけるために鳴きますが、ハワイでは鳴くコオロギに卵を産みつける蝿がいるために、5年間未満で鳴かなくなります。
人間でも、ラクトース分解酵素であるラクターゼが離乳時以降なくなり、乳を飲まなくなりますが、牛を飼ってから7000年も経つと、中にはラクターゼが成人になっても消えないで、牛の乳を飲める人間ができてきます。遺伝子が改変してその環境に有理に働く性質になってきたということになります。ということは、今現在自分では気づかないかもしれませんが、何世代も経つといつの間にか人間は変わっていっているのだということがわかります。
昨日私は買い物にスーパーに行ったのですが、若い女性の背が高くなり、足もすんなり伸びていることに気づきました。私の腰のあたりから上に彼女らの尻があります。これではいくら私ががんばって大きくしても、立ちセックスはできそうもないと感じられました。みるみるうちに世の中は変わっていくのがわかります。アメリカでは反対の女性の身長は短くなり、太っていく傾向にあるようです。どうしてそうなるのかははっきりとわかりません。長身の女性が飽きられたのかもしれません。鮭やマスのように自分の子孫を残すため、体の大きさを司る遺伝子を改変したように、アメリカの女性も男をひきつけるためにその遺伝子を変えつつあるようです。
ミヤンマーの山奥で表紙の写真のようにバス横転事故にあっています。幸い下川裕治とカメラマンには表向きたいしたケガがなかったようですが、バンコクに到着してレントゲンを見たら、下川裕治の肋骨が3本も折れていたそうです。打ち身だと思って痛いのを我慢してそれから船に乗ったりバスに乗ったりして旅を続けていました。仕事だとは言え、ご苦労なことです。でも好きなことを仕事にしていて、この事故も記事になるのですから、この本に躍動感が出てドキュメントとしての価値もありそうです。それにしてもバス会社に治療費とか慰謝料とか請求しているということが書かれていませんから、はなからそういうものを諦めているのかもしれません。有名出版者との共同企画で保険料もかけているだろうから、自腹を切る必要はないと思われます。
「最近は、シニアのバックパッカーが増えていますからね。それなりに本は売れますよ」
何百万部も売れる本に企画など現在では考えることも出来ません。何百万人かのシニアの中で何万人かの需要者を期待して本作りをしているようです。我々団塊世代の閑を持て余した連中が買ってくれるのではないかと期待しています。
下川裕治は日本の衰退を食の方面から気づいています。若い国は食べ方から違うようです。
「日本のテーブルとは、そこに漂うエネルギーが違った。全員の食べ方が太いのだ。高齢化が進む日本ではさまざまな階層で食が細くなっている。老人の食は細く、シニア層はメタボを気にして食を細め、ダイエットに支配された若者の食も細い。先細りとは、つまりこういうことかもしれなかった」
ベトナムの女性は軽くごはんを二杯も食べ、おまけに食べるのが早いそうです。私は最近タイの歌謡曲をYou Tubeで聴いていますが、テレサ・テンや美空ひばりのように堂々と歌っている歌手がいます。日本のように音響機器で調節して、歌手の下手さ加減を隠すということをやっていないようです。このようなところからも衰退する国と今から伸びるだろうという国の違いがわかるような気がします。
今頃のテレビに出るお笑いタレントの有様を佐藤忠雄はこのように述べています。
「バカを承知でバカのフリをやり、それがどんなにタアイのない愚かな行為であるかはやっている本人自身が百も承知なのだと宣言するように互いに手を叩いて笑い合っている。そこに表現されているのは、伝統的なバカのフリをするコメディアンというあり方を超えて、バカのフリが上手いと言って仲間内で誉め合っている仕合せいっぱいの幸福感であり、それで生じる、あるいは生じさせている身内の和合の笑いである」
笑いの私小説化といわれるでしょう。楽屋内のネタで自足し合っている危機感のない人たちかもしれません。昨日私は邦画を見ましたが、もたもたして、話の展開のスピード感はなく、青臭い役者たちの、大方は予想が出来る感想場面が多く、同時に見たハリウッド映画のおバカ映画のめちゃくちゃな爽快感の足元にも及びません。現在の日本ではどこもかしこもガラパゴス現象化になっているのでしょう。世界規範とは遠く離れているようです。江戸時代ではこのようなあり方もできたでしょうが、この頃にこのようなことをやっているとやがて日本は後進国にも追い抜かれて、今世紀末には日本はなくなっているかもしれません。
私はトシをとったのでしょう。今頃の漫才を聞いてもおかしくも何ともありません。やはり夢路いとしと喜味こいしの漫才がいい。笑いをよびおこすタレントはみな死んでいます。遠くはチャップリン、花菱あちゃこ、横山エンタツ、エノケン、金語楼、伴淳三郎、由利徹、八波むと志、渥美清、藤山寛実・・・生きている人はいません。