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チンパンジーやボノボと人間が分離したのが約500~600万年前、DNAの違いはたった1.8%です。チンパンジーやボノボを観察すれば、本来の人間のセクシュアリティがわかると言っています。要は「乱婚」なのです。農業が始まる一万年前の先史時代、狩猟採集時代には部族内の男と女は分け隔てなくセックスし、子供はみんなが父親、みんなが母親でうまく機能していたのです。冷蔵庫などありませんから、獲ってきた獲物は即座にみんなで分配しました。溜めるということはしません。自然が食物の宝庫で、明日になればまた何とか獲物にありつけるのです。ボノボのメスは誰とでもセックスしますからオスの緊張度はあまりなく、オス同士の戦いなどはありません。チンパンジーは一見上位のオスの支配に服しているようですが、その実メスは下位のオスと隠れて多いにセックスをしています。今でも人間の女性はセックスのクライマックスになると「よがり声」を発しますが、この意味はこの種の共通の「乱婚」性によります。他のオスたちにもっと私とセックスして呼びかけているのです。女性は資質の高い男性を選ぶために、財産や財を勝ち取る能力のある男を選ぶという通説がありますが、これは農業が出来てから後のことです。先史時代の女たちは自分の膣の中で数多くの男たちの精液を戦わしていたのです。だからチンパンジーもボノボも人間もこの楽しい競争で男のペニスや睾丸が他の動物に比べて異常なほど大きくなっているのです。農業が出来て、土地に区切りが出来ると、男も女も誰もが共有するものではなくなります。とくに女は土地と同じ存在になって行きます。何十万年も乱婚で過ごしてきた人類が一夫一妻に暫時なって行きます。しかし現在この人間性を無視した制度がいろいろな破綻をもたらしています。男は浮気します。女は性欲なき者と扱われ、無理して貞節を装っていますが、思わず発する「よがり声」に太古の郷愁が甦ってきます。この本でも書いていますが、日本の女性は日本では慎ましいセクシュアリティを強制されていますが、毎年多くの女性がタイのリゾート地ブーケットに飛行機でやってきて、「行きずりのセックス」を満喫しているようです。日本の女ばかりではありません。欧米の女も「イスタンブールやバリ、ガンビア、タイ、ジャマイカ」などで「後腐れのない」セックスを楽しんでいると書かれています。
「サクラ」が日本の象徴であると我々日本人は思っていますが、東南アジアの人たちは韓国が「サクラ」の国だと思っています。こうなったそもそもの端緒は日本のツアー会社が韓国の鎮海市の桜並木を紹介したことによります。おまけに韓国ドラマやK-Popの流行がそれに輪をかけて、東南アジアの人々にサクラは韓国のものであると思わせるようになったのです。2012年には韓国では外国人旅行者が1000万人を超え、日本を抜いてしまいました。そのうち韓国人は日本の軍歌「同期の桜」はもともと韓国で歌っていたものであると言うかも知れません。日本刀も韓国人が考えたもので日本人に教えてやったんだと言っているくらいですから。いくら金儲けとはいえ、日本の観光資源である「サクラ」を韓国にもあるのだと宣伝するのは「国益」に反するといえないでしょうか?私も鎮海市の桜満開の写真を見ると行ってみたくなります。おまけに韓国時代劇ドラマの絢爛豪華の王妃や女官の、たとえ整形顔でも、美しい顔を見ると私の男性ホルモンであるテストステロンがジワリと湧いてきます。
日本は自国の観光資源をアピールすることがへただと水津陽子は言っています。文化財である遺産をただ展示するだけで、それを「磨いていない」ので、「原石に近い宝石、蔵の中にしまわれ埃を被っている骨董品」で終わっています。それらを輝かすためには「物語」が必要であるとの主張です。国家一丸となって、韓国に負けないような日本国の壮大なドラマを作る必要がありそうです。
武装革命を主張した赤軍派の議長が今半民官営の駐車場の係員になっています。写真を見るとおとなしいおじいちゃんに見えます。かつては火炎瓶を投げ、道路の舗装をはがしそれを機動隊に投げつけていたものです。彼は理論家ですから、そういったことは下っ端に任せ、武装革命をアジっていたのかもしれません。大学の授業料の値上げの問題に端を発し、各大学にバリケードを築かれ、独特な字体で書かれた立て看板が林立する時代、彼・塩見孝也は左翼のスーパースターであったのです。1970年に逮捕され、府中刑務所で20年余り囚役し、1989年に出所します。2007年「清瀬市シルバー人材センター」の会員になり、いまもこの仕事を続け、時給950円で、一ヶ月9~10日程度で働いています。月にまとめると、4,5万円くらいしかなりません。
この仕事を始めて彼は理論家としての限界を感じています。
「原始共同体社会であろうと、階級に分裂した社会であろうと、人が生きてゆきための鉄則であります。労働し、生産することで、それがいかに自分の意に沿わない労働であったとしても、これに耐えて一日一日、自己をいきながらえさせ、そのなかから、自分の幸福、家族、友人、知人、近隣の人々の幸福を創造してゆこうとするのでしょう」
「このような庶民、民衆の生活感、人生観が本当は、政治や革命の根底に座らなければ、決して、このかけ離れは埋められていけないこと。というより、このような意識、達成感に立脚していかない限り、本物の民衆自身の政治、社会革命の意識は育っていかないなー、という思いを強くしたわけです」
といっても、駐車場の合理化案に対し、塩見は敢然と戦っています。機動隊と闘うことはないでしょうけど、小難しい共産党言語を駆使し、管理会社の不理尽さを追求しています。まさしくこの闘争が塩見の晩年の生きがいになっているのは間違いありません。
ゴミ屋敷はボケ老人がわけがわからなくなりゴミを溜めたものだと思っていましたが、この本ではほとんど若い連中ばかりです。性格なのか、子供時代掃除を習ったことがないひとなのか、借りた部屋などどう汚したっていいのだと思っているのか、常識などはなから問題していない人ばかりです。あるキャバクラ嬢の部屋は、腐ったカップラーメンの汁の中に一万円札が折りたたんであったりして、カネがないから掃除代を安くしてくれと言ったにもかかわらず、結局ゴミの中から200万円分のおカネが出てきたそうです。ずぼらなのか、だらしないというべきか、世の中には理解しがたい人間がいるということは確かなようです。人間生きていくためには排泄しないといけませんが、大概このような人のトイレは壊れていて、ビニール袋やペットボトルに溜め込んでいます。男は狭い飲み口にあれをあてがってするので、あとは栓で蓋を閉めることが出来ます。女性はペットボトルを半分に切って、それで用を足しています。そのようなものが何百個もあったら、臭くてたまらんでしょう。なかにはひっくり返るものもあるでしょう。また女性は生理用品までありますから、この悪臭でこの掃除屋の仕事をやめたアルバイトも多いということです。部屋の中の天井の照明灯にとどくくらいゴミが溜まると、ドアは壊れ、壁に穴だって開きます。ゴミの下の部分は湿気ていて、ぐじゃぐじゃになっています。よくもこのような中で病気もしないでいられるとおもいます。村田らむはこのアルバイトをして、鼻炎や湿疹が出たと言っています。もし彼女でも彼氏でも出来て、家に行って見たいと言って、断られると、多分彼か彼女かの部屋がゴミ屋敷状態になっていると思ったほうがいいかもしれません。このようなものを見ると「百年の恋」も冷却し、冷凍するでしょう。
オフェル・シャガンは自白しています。若いとき、「動くモノなら何でもセックスしようとした」と言い、「出来るチャンスがきたら所構わずその場ですぐすべき」という信念をもっていたということです。発情した犬、サルに劣らぬ肉欲にとらわれた畜生だといえます。しかしよく考えてみると、犬やサルはメスが発情すると、オスも発情するのであって、人間のようにのべつ幕無しというわけではありません。人間と比べると、犬やサルのほうが、品格も備わり節度をわきまえているように思えます。人間の定義は年から年中劣情にとらわれ、チャンスがあれば男も女もやりたがるということになるでしょう。異性を断ち切った聖者・聖女はもはや人間ではありません。動物並みであると分類されます。昔の日本人はその点人間のエリートで、古事記の世界からして、日本国は神様のセックスによって作られたことになっています。現代のセックスレスの時代では思いがつかないほど性の饗宴で日々明け暮れていたのです。現在では世界で年間性交回数が最も少ないのが日本人だそうです。もはや日本人は人間ではありません。動物並みまで落ちました。もう一度浮世絵の春画を見て、人間に立ち返らなくてはいけないようです。