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居酒屋チェーンのワ○○や衣料会社のユ○○ロはこの本ではブラック企業として明記されています。なぜ○○として直接名前を書かなかったのは、私のように力のないものには、これらのブラック企業のお抱え弁護士から、高い損害賠償をちらつかした「通告書」が送られてくるそうです。新聞社のような大手メディアには送ってきません。あくまえも力のない弱い個人を狙って、口封じのためにこのようなことをしているのです。一応体裁は法に則った文面ですが、ヤクザの恫喝とかわりがありません。ヤクザだったら銃弾が飛び出すかもしれませんが、これらブラック企業では個人では払えそうもない高額な損害賠償の裁判をちらつかせます。最近ではこのようなものは「スラップ訴訟」と言われています。英語ではStrategic Lawsuit Against Public Participationといい、「市民参加を妨害する戦略的民事訴訟」といわれるものです。一般市民だけではなくこれらの企業で働く労働者にもこの手法は用いられます。要は「訴訟・係争費用で相手を怖じ気づかせる方法」で力のない個人を叩いているのです。
社会の不正義に戦う弁護士もいるにはいるでしょう。しかし弁護士も人の子です。いい暮らしがしたいと思うと、金持のドーベルマンになって、金持ちに歯向かう貧乏人を食い散らすしかありません。最近の不況下で弁護士も仕事の量が減っています。おまけに弁護士も増員されたので、パイの取り合いで年収70万円しかない弁護士も多々居ることになっています。ブラック企業であろうがなかろうが、これらの番犬になって、吼えまくるしかありません。と同時に騒ぎを大きくして、弁護士代のかさ上げを画策しています。それか煙のないところに煙をたてて、「紛争そのものを創造して」自分たちの仕事を得ているということもあります。思い上がったこれらの番犬はもはや「依頼者の利益を実現」することではなく、自分たちの仕事を「増殖」させて、自分たちの収入を増やす目的のために活動しているのかと思えるほどです。
わかりにくい文章です。紀元前5世紀頃からイタリヤ半島は戦争に明け暮れてというのはわかりました。私にはヨーロッパの人種は一種類にしかみえませんが、この狭いイタリア半島にいろいろな部族がひしめいて争っているのです。おまけに北アフリカのカルタゴが絡んできて、シチリア島を取られたり奪い返したりしています。この当時の戦争もひどいもので、勝者は敗者の男たち全員の首を斧で切ったりし、女などは自分のものにしてしまうか、奴隷として売ったりしています。ローマ市の人口は130000人ほどで、男が60000人いたとして、兵士として起用できるのは10000人くらいでしょう。500年経って、増えても250000人くらいしかいません。紀元後ローマ帝国が領土を広げたことは、農業技術の改良と戦利品として奴隷を確保したことによりその労働力で穀物を増産できたことで可能になったということになるでしょう。そのうちにこの奴隷がキリスト教を持ち込み、強者であるゼウスの神話に「良心の呵責」を注入し、単に戦争に強い男から悩める男に変身させたのでしょう。キリスト教徒をライオンに食わせて興じていたローマ人に果たしてこれは人間としてやっていいものかどうかためらうようにさせます。かつては敗者の首を楽しげに切っていた頃の大らかさはなくなります。やがて悩める男から知性が発達し、ルネッサンスを迎え、いっきにまた西洋が世界の覇者として甦ります。
あとがきにも書いているようにフランソア・イナール先生の文章は長く、訳するのに困難を極めたということです。関係代名詞を使って、長ったらしい文章になっているのでしょう。
戸田郁子さんは韓国人の写真家と結婚し、「ソウルは今日も快晴」というエッセーで韓国でベストセラーになった本も書いています。隣国であるので似かよっているところもありますが、全く違うところもあるようです。
韓国人は本音でものを言う人種だというのを信じて、新婚当時、義母が食事の準備を手伝わなくてもいいからテレビでも見ていなさいといわれて、テレビを見ていると、義理姉から、旦那さんからも注意されています。義母は彼女の家の鍵をもっていて、彼女の留守の時、冷蔵庫に自分が作ったおかずを入れて置いてくれています。これも日本では考えられないことです。プライバシーなどありません。韓国ドラマ「棚からぼた餅・・・」でも嫁と姑、小姑との言い争いが面白く画かれています。嫁が旦那にトーストとコーヒーの朝食をとらせているのを見て、義母がキムチのない朝食を食べさせるなんてと文句を言っています。この「文句(ムング)」も韓国では「文中の語句」です。非難する言葉ではありません。「愛人(エイン)」は恋人のことで、「心中(シムジュン)」は二人して死ぬことではなく、漢字どおり、心の内だそうです。「是非(シビ)」は韓国語では「言いがかり」のことを意味します。広島の呉にある山・野呂山の「のろ」も朝鮮通信使が瀬戸内海を航行している時に見て、「のろ」と言った、つまり高い山じゃのーと言ったことから来ていると、ある韓国語学習者が言っていました。韓国の受験も日本以上に激しく、いい大学を出ても就職先が決まらないともかかれています。中国についで韓国もアメリカに留学する人や移民が多いということですが、ある人によりますと、自国が信じられないからそうなるのだと言っています。中国では幹部の子弟たちが盛んに移民規制のゆるいカナダに留学していますが、これら裕福な幹部への怨嗟が高まり、吊るし上げを食う危険性があるので、避難場所を確保しているのだということらしい。韓国もサムソンだけでは就職がままならぬので、仕方なくアメリカなどに生活の基盤をおろそうとしているのだということになります。
親という漢字は、木の上に立って見るという三つの漢字からなっていると指摘されると、なるほどと納得してしまいます。青春時代親は鬱陶しいものだと思っていましたが、死ぬ間際のこのトシになると親の有り難味がよくわかります。親がこの商売と家を残してくれなかったら、私はたぶんホームレスになっていたでしょう。この寒空、汚い格好で自販機のあたりをうろついて、小銭がないかと探し回っていることでしょう。
「親の意見とナスビの花は千に一つもあだはない」
もっと真剣にきけばよかった。
私の父親は臆病な私によく言っていました。
「山より大きなイノシシはいない」
やはり大きくなろうとおもったら男は勇気をもたねばなりません。私にはそれが欠けていますから、何一つ大きくなったというためしがありません。この商売も年々縮小に向かっています。借金する勇気もないので、このままジリ貧になっていくでしょう。
昔から私は笑い顔がいいといわれていました。美男子ではありませんが、笑い顔に私の素直さがよく現れているのでしょう。カネもないのにありそうに思われたりしています。何もかもこの笑顔が人を錯覚させるのでしょう。
「笑っている顔にはツバは吐けない」
一度タロットをして笑っていると、ビールをかけられたことがありますが、ことわざにも例外があるということです。
売れる商品とは「物語」が必要だと言っています。戦後から1980年までは「豊かな家族に必要なモノを揃えていくこと」という物語でモノが売れていたのです。テレビも洗濯機も自動車もそうです。その手先として電通などの広告会社が「物語」を作り、その商品がないと家族の幸福は得られないと脅迫めいたコマーシャルを作っていたのでしょう。ところがバブルが弾け、家族物語の主体者・世帯主の収入の上昇が望めなくなり、反対に減退し不安定になると、そのような「家族物語」はもはや語ることが出来ません。それに代わり「ブランド」の「物語」が「家族」に代わって「個人」に向かいます。豊かであろうが、貧しいであろうが、「家族」のための消費はもはや何らの感動をもたらすことがありません。その物語は陳腐になったということです。ところがこの「ブランド物語」の「主役」は結婚までのパラサイト・シングルで、「結婚して家族の物語つくることを前提としたつなぎのためのプチ幸福」を願うために、暫定的にブランドを買っていたに過ぎないのです。
現在においては「商品」そのものが物語を創生することはできません。と言うよりは、このゼロ成長時代「幸福を生み出すと期待される商品」に「期待が持てなくなっている」ということになります。「家族物語」も「ブランド物語」も飛散して跡形もなくなっています。今からの商品はそれら「幸福物語」の中心いるものではなく、これらの物語を「サポートする」周辺部に存在するようなものになるでしょう。
この本の結論として、
「モノを所有する幸福を求めているのではなくて、モノを所有する先にある幸福を得るための手段として消費するようになってきたのです」
と、いうことで、ますます現在売れる商品の混迷度は深まっています。