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タコを酒、味醂、醤油で煮ると堅くなります。ここではトマトの水煮缶とケッチャップを使って煮ています。トマトの成分が柔らかくするのかもしれません。ブロッコリーはゆでて、マヨネーズで食べるだけだったですが、にんにくで炒めて食べてもおいしいらしい。なすびも醤油で味付けしていましたが、トマトと一緒にケチャップで煮込んでもおいしそうです。白身魚も酢やらケチャップで「甘酢炒め」をすると、うまそうです。ニラも卵と一緒に炒めるばかりではなく、ゆでて和え物にも出来ます。たれも作れば、素材そのものは蒸したりするだけで、手間いらず、です。残ったビールで豚肉を煮ると、日本酒で煮るより西洋風になるでしょう。赤ワインで肉を煮たらまるでフランスでもいるような気分になるでしょう。
うまいものを食いたいということはまだ生きたいという意欲があるということになります。このような本を見ているのですから、私はまだ死ぬことなど考えていないのでしょう。それか死ぬことなんかありえないと思っているのでしょう。
もはや専業主婦になって、ノホホンと生活できる状況には日本はなっていないということです。大方の男が「年収500万円の壁」を越えられない状態になっています。それどころかますます落ち込んで、「年収200万から400万の世帯が増える」ということで、日本全体が貧困化しているのです。「未婚で年収400万円以上の男性ですら、4人に1人しかいません」だから年収1000万円以上はないとねーと言っているオオタワケの女は永遠に結婚できないでしょう。結婚していても「年収百万円前後のパート主婦」ではとてもじゃないがリッチな生活とはなりません。
このような状態ですから、結婚していようがいまいが、週末にワインを飲んでプチ贅沢なディナーをとろうが、昨夜の残り物を食べようが、これらの微差を取り上げて、自分が上だと思うのは時代錯誤も甚だしいということです。結婚をしてもしなくても女性も働いて金を稼がないとまともな生活はできなくなっているということです。男に頼って生きていこうなど、今ではとてもじゃないけどありえないということになります。
今の日本の社会では子供を生んでなおかつ働くというのは厳しいことですが、それでも「産んでも働くのが当たり前」という時代になりつつあります。だから女性も戦略を考えなければなりません。どうせ400万円以上超えられない男たちなのですから、育児や炊事洗濯に喜びを見出すように仕向ける必要があります。1000万円稼いで来てと、言っても無理なのですから、これらの家事に精通するように教育を変えないといけないでしょう。もはや狩猟時代や農耕時代ではないのです。熊を射止めて、女たちの賞賛を得るようなことは、まず熊があまりいないのですから、ありえません。男たちも堪忍してありえない熊を求めるよりは、眼の前の自分の息子や娘を育てる喜びを見出すべきです。
1987年、深沢七郎は心不全で死にます。ラブミー牧場に残っていた原稿をこの本にしています。18年ぶりの『『出版』だそうです。中身はほとんど同じようなことを言っています。「人類滅亡教」の教主ですから、人類は油虫といい、東京都には50人いれば充分だと言っています。死ぬのは清掃作業であるとも言っています。三島由紀夫についても派遣社員にでもなっていたら、あのような事件は起こさなかったろうと言っています。要は三島の文学は「少年の文学」であり、それに気づき絶望して「政治」に走ったということになるそうです。
「ある意味では、頭がいいということは自分をあやまっちゃうね。ちょうど水泳がうまいからといって水泳を一生懸命やったり、柔道や剣道がうまいからといってやりすぎて、体をこわしちゃうのと同じことだ。ちょっとした生兵法、大怪我のもとというのが三島由紀夫じゃないかな。あの人はお坊ちゃん育ちだからね。人生を実地で学んでいないんだね。本の上で学んだんじゃないの」
またお嬢様がアルバイトでバーなどの水商売に入ったりすると、たとえそれが短期間であっても金銭に関する考え方が変わってくるといっています。「いったん水商売をやってうまいぐあいに立ち回って稼ぐと、本当に働いた稼ぎでない金を手にすると」買い物で同じ品物でも、「うんと苦労して、砂漠の中で水を捜して飲んだのと、水道水の水を飲んだのと」の違いがあるそうです。これもある面三島由紀夫の女バージョンであるかもしれません。
日本の天皇制も、ヤクザの義理と人情も「卑怯な飛び道具みたいなもんで、それでしばってしまうんだ。百円の義理で、千円も一万円もしばってしまう。非常に安上がりにしばってしまう」ということになります。
中学生の頃世界の首都の名前を暗記していたものです。あれから50年、大方忘れましたが、それ以上に世界や日本も様変わりしたようです。私が中学生の頃は日本は加工貿易立国だと習いましたが、いまでは違っているようです。テレビとかの家電は中国から輸入しています。貿易相手国は、アメリカは2位でやはり中国が一位です。こんなに仲が悪くても中国とは切ろうとしても切れない関係になっています。食料品など輸入をやめたら、日本のチェーン・レストランなどやっていけなくなるでしょう。
太平洋という字は、いまはコンピュータで書いていますから自動的に変換してくれますが、私の頭の中では「太平洋」の「太」は「大」だとこのトシまで思っていたということです。この本ではじめて知りました。
「マゼランが世界一周で太平洋を横断する際にその無風平穏ぶりに驚き、El
Mare Pacificと命名しそれが太平と訳された」
また大西洋とは、中国語でヨーロッパのことを「泰西」と書くので、それで「大西洋」になったということです。
親潮、黒潮の名の由来もこの本で書かれています。黒潮とは実際に黒いからだそうです。親潮とはプランクトンを豊富に含み魚介類を育てるからだということです。強制的に暗記させるよりはこのように名前の由来を述べたほうが覚えやすいということは確かです。闇雲に暗記させるのでは私のようにこのトシになると何もかも失念していることになります。このように手がかりがあれば、すぐに返答できなくても、手がかりを辿っていくとやがて思い出されることが出来るでしょう。
フライパンとその蓋があれば、「炒める」「焼く」「煮る」以外に「蒸す」料理もできます。茶碗蒸しも載っています。蒸し器があるのだったら、わざわざフライパンでやることもないでしょう。「煮る」のもフライパンの口径が大きいので、何とも心もとないような煮方になります。鍋でやると肉じゃがなどは肉やジャガイモ人参たまねぎが重なり層をなすことで蒸す事の要素も加わり味がしみこんでいきますが、フライパンでは各自がばらばらで孤独な肉じゃがになるようでおいしくないような気がします。落し蓋にキッチンぺーパーを使っていますが、そのたびごとにペーパーを使うのではもったいないような気もします。私は貧乏性ですからそのようなことを感じるのかもしれません。
最近は「炒める」には強火で炒める必要はないという人もいます。この人の料理法は何事も弱火でやるそうです。電子レンジでもチンした後顕微鏡で覗いてみたら、細胞がグチャグチャになっているということになっています。弱火で優しく料理するとそれほど細胞に損傷がなく、味が出てくるのだというのです。強火でやると電子レンジとおなじことをやっているということです。私は中間をとって、はじめは弱火で、仕上げはちょこっと強火で料理しています。