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私も古本屋になろうと思った時期もありました。家に溜まった本を整理かたがた売り払えばどんなに気持ちがいいものかとおもい、古物商の免許を取得し、インターネットでショップを開店しようとして、そのホームページを作ったこともあります。ところが古本屋の友達が言うのに、結構本というものは重いもので、職業病として腰痛になる人が多いと聞き、おまけに雑用ばかりで儲けにならないと言われ、やめました。
アマゾンでも新刊と同時に古本も売っています。古本屋や素人がマーケットプレイスに入って、売っています。アマゾンとしてみれば新刊で本を売るより、これらの古本屋やら素人に古本を売らして手数料を取ったほうが断然楽で儲かる仕組みになっています。自ら在庫を抱え込まなくてもよく、労せずして手数料が入って来るのです。おまけに出品者同士の競争が激しく、「一円」本になるものが多い。たとえ一円で売ってもアマゾンには一冊ごと180円の手数料を払わないといけません。この本では業者の例として月1000冊売って、収入が100万円であっても、アマゾンには何やかやで月24、4900円も手数料を払い、年間にすると300万円近くアマゾンに払わなくてはなりません。このような仕組みを「小作人と地主」にたとえています。当然一番儲かるのは地主しかいません。
また配送内での仕事も時給900円だったものが850円に下げられ、全てアルバイトで永遠に「プアー」の状態のまま置かれます。今の日本の社会は江戸時代にもまして身分制度がかっちり組み込まれた状態になっているようです。最近の冷凍食品に農薬を混入された事件で容疑者も派遣社員だったのでしょう。働けど働けど、豊かになれない、このような状態が死ぬまで続くのだと思うと、このような地主に一泡食わせたいと思う者も多くいるでしょう。いまどんどん物価が値上がっていますが、食えなくなると一揆でも起こるのではないかと心配しています。
いまNHKで韓国ドラマ「トンイ」をやっています。トンイの息子「クム」はのちに21代の王・英祖になります。聖王だといわれていますが、自分の息子を「米櫃」に入れて、餓死さしています。それは息子の継母である歳若い「継妃」貞純王后と彼女と組んだ政治一派「老論」たちの讒訴にためです。いくら賢王であっても、若い女の「ささやき」には心動かせるものがあるのでしょう。息子よりは若い女を選ぶというのは何ともオスのサガを感じさせます。後に後悔して、「思棹(サド)世子」と贈名をして、「思棹(サド)世子」の息子である英祖の孫が22代の正祖になります。朝鮮王朝では王が絶対的権力の持ち主ではなく、有力家臣たちの思惑によって政治が行われていたようです。特に妃とその家系が曲者で、朝鮮王朝の凶事の元になっています。
朝鮮王朝が滅亡したのは直接的には日本が朝鮮を併合したことによりますが、私にはこの朝鮮王朝の王と門閥、閨閥のごちゃごちゃした政治体制がもはや野獣的植民地時代には何ら功を奏しないものになっていたと思います。両班という貴族階級が「四書五経」を暗記するだけで、何ら生産的な仕事をせず、百姓を収奪し尽し、百姓だってどうせ両班に取られるのだからといって、一生懸命労働に励みません。中には先駆的な考え方をする人もいたでしょうけど、なにせこのような状態が500年も続いたのですから、一朝一夕には変えることができません。非常に遺憾なことですが、日本は露西亜よりの王妃・閔を殺害します。この当時の状況を勝海舟は漢詩にしたためています。
「隣国交兵日
其軍更無名
可憐鶏林肉
割以与魯英」
「隣国と兵を交える日(日清戦争)
其の軍、さらに名分はない
憐れむべし、鶏林の肉(朝鮮)
割いてそれをロシアとイギリスに与えることになるとは」
勝海舟の言うとおり歴史はそうなりました。三国干渉です。その後日本はロシアとも戦争し、かろうじて勝って韓国を併合します。その条約を認めさしたのが伊藤博文で、1909年ハルピンで朝鮮人の安重根に暗殺されます。安重根は日本では犯罪者ですが、韓国では英雄として、今では中国のハルピンに銅像まで建ててもらっています。いろいろな経緯があって現在の日本、韓国、中国の状態になっているのです。本当に悲しい状況です。
私が小さい頃夕方遅くまで遊んでいると、よく親たちが人さらいが来るよと言って、驚かしていました。それかサーカス団に売られるよとも言われていました。昭和になっても「人さらい」という言葉が残っているということは、かつては現実にあったということになります。この本によりますと秀吉が人身売買禁止令を出したということですから、それ以前は大いに「人さらい」があったのでしょう。森鴎外の山椒大夫のなかで、安寿と厨子王丸もひどい目に会っています。中世の説教節では厨子王丸を逃した安寿を焼き鏝で額に十字焼き入れた拷問をしています。母親は足の筋を切られて、雀を追い払う案山子にされます。この本に出てくる「小栗判官」も説教節の一つです。照姫も売買され、とうとう遊郭の水汲みになります。「小栗判官」を全編通してやると、「昼過ぎから、夜の9時ごろまで」かかるそうです。昔の説教師は寺の祭りなどでこの話をして、銭をもらっていたのでしょう。やがてこれらの芸人が江戸時代になると、浪曲師や落語家になっていくのでしょう。
日本神話の天照大神の天岩屋戸伝説は日食が関係するとみて、コンピューターソフトで紀元前から紀元後の日食が起こった日のデーターを出しています。146年、154年、158年、168年、217年、248年、273年、248年、273年、少し飛んで、454年、479年、522年、574年、628年、641年、653年。古事記が712年、日本書紀が720年に出たのですから、かつての女帝・卑弥呼が天照大神にあてがわれたのでしょう。卑弥呼が活躍した時代は、後漢書で、146年から189年「倭国大乱」と記され、「梁書」では178年から184年、卑弥呼が倭を治めると書かれています。239年には卑弥呼は難升米を魏に派遣し、金印と銅鏡100枚をもらっています。卑弥呼が死んだのは249年で、また国が混乱し、卑弥呼の「宗女」・「よと」を建ててまた国が安定しています。作花の結論は、「どれかに(日食)特定するのではなく、何回もおこった日食の記憶とそのときの女王、すなわち初代のヒミコから推古天皇までの記憶がすべて重なって伝えられ、7世紀末にアマテラスの伝説にまとめられた」ということになります。
超新星爆発も最も古いものでは、185年に「後漢書天文志」に、393年にも記されています。1006年、1054年、1181年の客星は「明月記」にも載っていています。1572年と1604年はケプラーによって観測されています。
私が子供の頃、藤島恒夫が歌う板場(調理人)の演歌がありました。
「包丁一本、さらしに巻いて、旅に出るのも 板場の修業、待っててこいさん 悲しいだろうが ああ 若い二人 思い出にじむ 法善寺 月も未練な 十三夜。
(せりふ)こいさんが、わてをはじめて法善寺へつれて来てくらはったのは藤よ志に奉公に上がった晩やった。はよう立派な板場はんになりやゆうて、長いこと水掛不動さんにお願いしてくれはりましたな。あの晩から、わては、わては、こいさんがすきになりました」
このセリフを何とも情感をこめて言うのです。「わては わては」というところで、呼吸困難で死ぬのかと思うほどです。
昭和26年、上野が中学卒業して、大阪の仕出し屋「川喜」に「奉公」に出たときは、そのようなロマンチックな「こいさん」などいません。先輩に素手や鍋や包丁の峰で殴られていました。なにしろ先輩たちは戦争帰りの荒くれ者だからです。しかし上野は親元が貧乏で、また田舎者育ちですから、変な知恵がついていなく、職を変えようとする気転などありません。上野の経歴を見れば、「運根鈍」が成功の秘訣だと感じられます。何も知らず「食」の世界に入ったことが、「運」で、少々叩かれたぐらいでやめない「根性」と目先のきいたはしかいところがない「愚鈍さ」があったからこそ、この道でそれなりの名声をえたということになります。