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兵庫県警の捜査4課(暴力団)の経験を生かし、探偵業、彼に言わせると、「危機管理コンサルタント」をやっています。前にあったように、溝口の書いた警察のキャリアがパチンコ業界に天下りをして、何も仕事をしないで、毎日散歩や屈伸運動して、高い俸禄を食んだ者と違って、猿田明彦は暴力団に殴られたり、穴に埋められそうになったりして、身を挺して、カネを儲けています。1948年生まれ、65歳、そろそろ現場がきつくなる年頃です。いくらラグビーで体を鍛えたとはいえ、俊敏性はなくなっているでしょう。そのかわり、どのような状況に置かれても言葉を使って脅したりすかしたりして自分に有利な方向に向かわせるようなノウハウを身につけているようです。同時に人脈を豊富にし、これこれの問題に対してこれこれの人物に相談すべしという人間関係相関図がきっちり頭に入っていて、瞬時にそのファイルが取り出せるようになっているようです。
暴力団担当の刑事は暴力団以上に暴力団の組員に見られるということですがまさしく猿田明彦もその通りだそうです。猿田明彦が現役の頃暴力団との関係は情報をやり取りする「いい関係」だったのでしょう。いまでは暴対法の強化で、暴力団がマフィア化し、犯罪が潜在化しつつあると猿田明彦は嘆いています。ヒットマンも外人を雇い、犯行を終えるとその日のうちに国外に逃がしてしまうそうです。だから検挙が年々難しくなってきているようです。おまけに犯罪の素人がいろいろ学習して、暴力団以上に怪しい仕事をし、世間を騒がしています。一見平和そうな日本も裏を改して見れば、非常に危うい状態になっていることでしょう。
風邪やうつ病くらいで病院に行くなということです。熱さましや咳止めの薬をもらっても意味がないということです。生体が自分を治そうと思っているのに、このような毒物を飲むのはかえって悪くするようなものです。
「現代の医学とは、かかればかかるほど悪くなるのである。悪くしないともうからないのだから。」
イスラエルで病院がストした一ヶ月間、病院が開いた時の月より死亡者が少なくなったという実例があります。アメリカでも心疾患や癌よりも「医原病」――医療で死亡することが多いということです。医療先進国でそうなのですから、日本もおして知るべきです。日本の医師の大方がもし自分が癌になったら、一切の治療を受けないと言っています。手術を受けようが、受けなくても、抗がん剤を飲もうが、飲まなくても、放射線照射を受けようが、受けなくても、治るものは治るし、治らないものは治らないとわかっているからだそうです。癌は医療を受けると早死にする確率が高いとも言っています。下手に治療をしないで、そのままのほうが長生きするとも言っています。
私も去年肺病で死にかけ、抗生物質の点滴で何とか治りましたが、これも内海流に言うとこうなります。
『抗生剤は猛毒である。人間は生物としてさまざまな細菌と共生しているが、抗生剤はこの共生を破壊し、かつ耐性菌などのおおくの問題をおこす。これらを総合すれば、感染症で死にかけているから、どうせほっとくと死んでしまうから、リスクのある毒で「博打」を打とう、それが医学の姿でしかない。そして、抗生剤は科学的には細菌に対する有効性は確かにあるので、あとは人体の問題に帰着するということだ。つまり、抗生剤を用いた後の結果は生命力に左右されるしかない。』
だから医学の出る幕は、「本気で死にそうになっている人だけが、現代医学によって救われる可能性がある」ということになります。
「本当に死にそうな人だけが西洋医学の毒により死にかけの体を活性化することができる。」
だから結論は風邪や癌などほっておいたほうがいいということになります。
たまごの値段が去年の11月頃から段々高くなっています。今でも一パック230円くらいします。去年は夏暑かったもので、鶏がたくさん死に、値段が上がったという人もいます。多少値段が上がったとしても、魚や肉より安いのですから、大いに食べないといけないでしょう。ビタミンcだけがないだけで、「ほぼ全部の栄養素が含まれている」ということですから、肉を噛み切れなくなった老人には最適な動物性たんぱく質です。気をつけないことは、固ゆで卵は消化に手間取るということで、半熟より1時間も長くかかるので、胃弱の人には半熟か生がいいでしょう。賞味期限の日にちも、生で食べられるまでの日にちということで、それを過ぎると火を通せば食べられます。捨てることはありません。
哲人ニーチェは長細い卵が丸っこい卵よりおいしいとどこかで言っていましたが、私にはその差がよくわかりません。また卵の色によって味の違いはあるのかということもわかりません。この本によりますと、色が違っていても栄養素は変わりがないということで、差は余りないと思われます。卵も呼吸をしていますから、冷蔵庫にしまう時は丸い方を上にしなければなりません。その丸い方に「気室」があり殻から外の空気を吸い込んでいるのです。
昔は卵のぜいたく品でした。「はれ」の日しか卵焼きはなかったものです。遠足などで卵焼きを入れてもらって大喜びするくらいでした。また「巨人、大鵬、卵焼き」というのもありました。当時子どもが最も喜ぶものでした。巨人の長島も脳梗塞のリハビリに明け暮れ、相撲取りの大鵬もこの世にいなくなりました。卵焼きだけが目立たなく生き残っています。
格言。「人生は短く、卵は尽きない」正月早々、凛とした格言ができて、今年も乗り切れると確信しました。
子規が夏目漱石と散歩している時傍らの稲が後に米になることを漱石は知らなかったということに驚いています。龍之介はこのことを夏目先生に問いただしています。夏目の返答は「坊ちゃん」そのものです。負け惜しみの強い言い草です。
「僕も稲から米がとれる位のことはとうの昔に知っていたさ。それから田圃に生えている稲も度々見たことはあるのだがね。唯その田圃に生えている稲は米のとれる稲だということを発見することができなかったのだ。つまり頭の中にある稲と眼の前にある稲との二つをアイデンティファイすることが出来なかったのだがね。だから正岡の書いたことは一概に嘘とも云わなければ、一概にほんとうとも云われないさ。」
「アイデンティファイ」できなかったことは知らないことと同じです。
龍之介は夏目の負け惜しみの強さの例をもう一つあげています。面白いので龍之介の文を写します。
「それから又夏目先生の話に子規は先生の俳句や漢詩にいつも批評を加えたそうです。先生は勿論子規の自負心を多少業腹に思ったのでしょう。或時英文を作って見せると――子規はどうしたと思いますか?恬然とその上にかう書いたそうです。――ヴェリイ・グッド!」
昭和8年、文藝春秋に書いたものです。地方の小学校の先生がさるかに合戦を題材にして、サルを資本家、カニを労働者にたとえて教えていたということを導入部にして、おとぎばなしについて考えたものです。また桃太郎についても、たとえ相手が鬼であろうとも、数を味方にして「征服」するのはよろしくないといったような非戦論主義者の解釈の仕方もあったのでしょう。現在でもこのように考える人もいるでしょう。それに対し寺田寅彦はもっと広角な目でおとぎばなしを見ないといけないと言っています。
「おとぎばなしというものは、そういう人間世界の事実と法則を教える科学的な教科書である。そうして、どうするのが善いとか悪いとか、そんな限定的なモラールや批判や解説を付加して説明するにはあまりにも広大無辺な意味をもったものである。それをいいかげんなほんの一面的なやぶにらみの注解をつけて片付けてしまうのではせっかくのおとぎ話も全く台無しになってしまう。」
もっと明快に、「おとぎ話は物理学の教科書と同じく石が上から下に落ちるという事実を教える」とも言っています。
おとぎ話即物理学とは面白い考え方です。いまではおとぎ話即精神分析学となっている風潮もあります。最後に寺田寅彦はおとぎ話の鑑賞の仕方をこのように結論付けています。
「われわれは子どもに時分にはおとぎ話はおとぎ話としてなんらの注釈もなしに教わった。・・・そうしてそれらの話の中に含まれている事実と法則とがいつとなく自然自然と骨肉の間にしみ込んでしまって、もはやもとの形は少しも残らなくなっているが、しかし実際はそれらのものの認識がわれわれのからだのすみからすみまで行き渡ってわれわれの知恵の重要な成分をなしているのである。もしこれらのおとぎ話を、尻の曲がったごうなの殻にでも詰め込んで丸呑みされていたのであったら、とうの昔に体外に排泄されてどこかよその畑の肥料にでもなっていたことであろう。」