[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
串間 努、日曜研究家と自称しています。サラリーマンをしながらミニコミ誌に小学校時代のグッズやおかしのことを書いていると、これが編集者の目に留まり、この本になったということです。日曜日にコツコツ書いていたので、「日曜研究家」と自称したのでしょう。日曜日は大方ダラリとしている人が多いのに、名前まで努ですから、このような努力をすると、きっと将来いいことにつながるのでしょう。
昭和40年代はわれわれ団塊世代では高校生の時代の始まりですから、串間 努が40年代小学生なので、我々より10歳ばかり年下だと思われます。昭和30年ごろから高度成長期に入り、我々の父親やちょっと上のお兄さんあたりがいろいろなアイディアを出し、いいも悪いも好き勝手な製品を作り出していたものです。私の父親も飲食業界はじめて、自動給茶装置を作っています。カンターの前に銭湯のような蛇口がついていて、それを回すとお茶が出る仕組みです。母がいちいちお客さんにやかんからお茶を汲むのは肩が凝ると言ったからです。今では大きな会社になっていますが、広島のふりかけの社長が私の父と軍隊で一緒だったので、流川に来たらよく店に寄ってくれました。この社長、インスタントのジュースを売り出したことがあります。うる覚えなので、はっきりジュースなどとは言えないのですが、まあ画期的な製品です。このように高度成長時代は商売のためにいろいろな思い付きを試したものでした。失敗も多かったでしょうが、将来につながる製品も多く出たということです。
大使館の料理人の父親と雑役をする母親との愛でに生まれました。小学校一年は大使館の子供らが行く学校に入りましたが、適応障害で退校、京劇の役者を育てる学校に10年間いて、それから映画界でスタントマンを目指します。2,3年は鳴かず飛ばずでしたが、二十歳に主演した映画がヒットし、一躍大金持ちになります。漢字では「成龍」と書き、英語名はジャッキー・チェン、数々の危険なスタントを自分自身で行い、頭の骨が割れたりする大けがをしています。やがてハリウッドに進出しますが、これも2,3年は停滞しましたが、やがて映画がヒットし世界的な役者になります。胡錦濤国家主席がアメリカに来た時、ホワイトハウスに呼ばれ、オバマからあなたのファンであると言われています。若い頃は台湾の歌手テレサテンと付き合い、いいところまでいきましたが、別れ、その後テレサテンは不可解な死に方をしています。カネと若さがあるのですから、女などはいくらでも寄ってきます。結婚していた時に、別の女優を妊娠させたスキャンダルを起こしています。妻は気持ちを抑え、大波乱にはいたりませんでした。どこの社会でも金持ちのボンボンに問題が多いことは当たり前のことです。親の苦労を知らないで育ったのですから、忍耐強く耐えるということができないのでしょう。ジャッキー・チェンの一人息子も覚醒剤を使って逮捕されています。これにたいしてジャッキー・チェンは自分も散々悪いことをしたが責任は自分で取らないといけないと言い、息子に自立を促すようなコメントを残しています。私は一生独身でしたが、この歳になって親というものがいかに大変なことがわかるような気がします。
ネイサン・ラーブはアメリカの骨董商であり、主に手紙とか証書とかを扱っています。歴史をよく知らないとその価値がわからないものを扱い、利益率の高い商売をしています。もともと歴史が好きな父親が弁護士の傍ら趣味で商売をしていたのですが、それが本格的になり、息子のラーブとその妻も加わって、アメリカでは名の知れた骨董商になっています。
ケネディが暗殺されてその日の大統領専用機エースワンでの無線でのやり取りがテープに残っていて、2時間ぐらいまとめられて、公表されていますが、実際は4時間以上もあるのですが、編集されたその原本のテープは見つかりませんでした。ネイサン・ラーブはケネディと親しい海軍大将の遺品からそのテープを見つけ、売ろうとしたのですが、政府関係筋から圧力を受け、政府のものだから返せと脅されます。多分政府関係者はケネディ暗殺で都合の悪いことが記録されているのではないかと心配したようです。弁護士の計らいで売ることができましたが、とりわけ騒動にならなかったので、録音には大したことは残っていなかったのでしょう。
日本でも骨董にはまがい物が多い。アメリカでも同等です。サインなど真似て書いていますが、目利きの骨董商では一見するだけで真贋がわかるそうです。歴史の本を多く読み、実物を多数観察すると、ゴミクズから宝を発見できるのです。
現在では温暖化が問題になっていますが、縄文、弥生、古墳、古代、中世、近代と日本の歴史においては、寒冷化や長雨が問題を起こしています。温度の高い時の干ばつもありますが、件数としては少ない。モンスーン気候帯ですから、天気予報図でも見てわかるように雲の流れが中国大陸から日本に流れてきます。大雨やそのために冷夏になると、水害や不作により社会が混乱していきます。人間食えなくなると、中国も日本も争いが起こります。中国の混乱時は日本の混乱時でもあります。大方はそれぞれの国内で飢餓や騒乱は収まっていましたが、元寇のときだけは世界的低温のために、蒙古軍、朝鮮軍、中国軍の連合に侵略されそうになりました。今の大相撲を見てわかるように、その時大風が吹かなかったら日本はモンゴルに征服されていたでしょう。危ういところでした。でもこの神風という信仰が後々日本人から合理的な精神をなくさせたように感じさせます。補給を考えない、その場限りの戦略で第二次世界大戦ではみじめな負け方をしました。一か八かのギャンブル精神で戦争をしたわけです。このような性格はいまだに治っていないようです。誤って送金された4630万円をカジノで一か月足らずでつかってしまった若い男を見ればわかるというものです。
江戸時代は性におおらかで、明治時代になってキリスト教が入り、性に対する抑圧が強くなった説がまかり通っていますが、実際は農業などに従事する女性は重要な労働の担い手であり、そうたびたび妊娠することはできません。子供が3人以上増えると農作業に差しさわりが出てきます。そのために間引きをするようになります。たびたび幕府は堕胎の禁止を出していますが、生活できないようだとそれをやめることができなかったようです。たとえ生まれても幼児期に死ぬ子供も多いし、出産のときも母子ともに死ぬことも多くありました。だから奔放にセックスをやっていたわけではありません。
一茶の性日記を見ますと、50代の一茶と28歳の菊は日に5回もセックスし、三男一女を得ましたが、すべて幼児期に死なれています。菊も38歳に亡くなっています。まさしくこの38歳が江戸時代の平均寿命です。これは年老いた一茶が何としても後継ぎが欲しかったのでしょう。
遊郭も貧困女性のセイフティ・ネットでありましたが、喜んでする仕事ではありません。貧乏な親に5両から20両の間で売られてきたのです。借金を返そうにも、遊郭で働くだけで借金が増える仕組みになっていて、死ぬか病気になるまで働かせられます。このような仕組みに慣れ親しんだことで、第二次世界大戦の「慰安婦問題」に行き着きます。ロシアのように強姦するよりはカネを払って合意の上でやっているのだからましだろうというのは、日本人男性の屁理屈です。カネを払おうが払うまいが、女性の自由な意思をないがしろにして、そうせざるを得ないような仕組み=遊郭を作ったことです。戦前では当たり前のことであったことも、時代が進歩すると、当たり前が不自然だということがわかるのです。