[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
祖父の時代は醤油業で大金持ちで広大な敷地があったが、父の時代になると、政治に関わり、酒を飲むだけで、家業をなおざりにし、資産もなくなり、高等小学校生の壮一と丁稚だけで醤油の販売など商売していたということです。その前には姉の嫁ぎ先の大阪の質屋に丁稚奉公として入っていた時もありました。雑誌などに投稿し、たびたび賞を受けていました。中学受験があるというので受けてみたところ合格し、家業と勉強を両立させるため、隔日授業を提案し、その特例を認められたこともありました。その学校は結果的には放校されたのですが、別の中学校の卒業試験を受け、合格、京都の三高へ行き、その後東大に入ります。何というスーパー学生であったことか。今の時代では考えられないことです。中学校時代には賀川豊彦を知り、中学放校も「アカ」なる言動が災いしたのでしょう。第二次世界大戦では「宣伝販」に組み込まれ、爆撃を受け、海に重油まみれに漂流したこともあります。何と言っても大宅壮一が輝いたのは戦後で、ジャーナリスティックな世界でその時代にぴったりとした鋭い考えを発していた時です。体の弱い息子とことも書いています。親負けしそうなのに気付いたのでしょう。名前も苗字も変えてもいいと言っています。でも息子は親よりも早く死にました。その分姉の方が長生きし、今も生きています。