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事大主義という言葉は福沢諭吉が最初に考案し使っています。当時福沢諭吉は朝鮮の独立を援助するため、金玉均や朴泳孝ら近代化促進の政治家を援助していましたが、今まで通りの大国清国に頼る旧来の政治家たちによって駆逐されます。金玉均は上海で暗殺され、切られた首が朝鮮に送られています。このような状況から福沢諭吉は朝鮮の「寄らば大樹の陰」でよしとする、独立して自ら考える政治をしないことで事大主義の国と言ったのです。
明治が終わり大正時代になると、大正デモクラシーが起こり、普通選挙が始まったが、大衆は力のある者に寄り付き、日本人こそ事大主義者でなないかという批判も出ました。ところが大正昭和と時代が進むにつれ、軍部が台頭し制御しきれなくなります。考えることもなく付和雷同の国民だけだと、悲惨なカタストロフィー起こるということがこの第二次世界大戦でわかりました。
敗戦後大いに我々の事大主義に反省をしましたが、高度成長時代からそのことを忘れ、世界をまた侮蔑するようになり、再びアメリカによってバブルをはじけさせられて、シュンとなります。