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篠原孝義さんの生まれた実家は、今でいうところの、中区住吉町、昔では水主町(かこまち)、明治橋と住吉橋のちょうど中間どころにあって、当時では大きな煙草屋をやっていました。戦後原水爆運動にかかわりあっています。昭和19年飛行機の部品を作っている会社に入社し、それから原爆受け、その後どのような仕事をしたのかわかりません。原水爆運動をしたと書いていますが、どのような仕事をしたのか書かれていません。彼の父は清岸寺の檀家総代をしており、ゆくゆくは息子を坊主にしたいと思っていましたが、原爆や葬式佛教に嫌気がさして、篠原孝義さんは佛教嫌いになります。スチュワーデス殺人事件のことも書いていますから、カソリックの教義も信用ならんという思いの文章もあります。戦争の反省から自由を束縛するような教義やドグマには腹に据えかねるといったところでしょう。