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日本の将来がこの本の通りだとすると暗澹たる気持ちになります。非正規雇用で収入も少なく結婚もできなくて、おまけの少子化で一人っ子が多いという世代が老人になると、本当に天涯孤独という状態になってしまいます。親が死ぬとパラサイトもできなくなり、生活保護となるのですが、それができるかどうかはわかりません。三分の一は亭主一人の稼ぎで中流生活ができ、三分の一が中流生活を夫婦二人で仕事で頑張って何とか中流生活を成り立させていますが、どちらか一人病気でもなるとすぐ下流に落ちてしまいます。あとの三分の一が非正規雇用などで収入が少なく、結婚もできず、この人たちの老後は惨憺たるものになります。これが2040年に想定されていることです。私たち団塊世代は兄弟も多く、姪や甥もいますが、それら姪、甥の世代は兄弟もいない、親戚もいないという状態になります。親身に世話をしてくれる人はいないのです。日本の失われた何十年もこうした不安があるから、人は金を使わないし、ただ貯金するだけで、画期的なものに投資するという冒険などできそうもないということからきているのかもしれません。それでますます日本は収縮していくのでしょう。それに伴って階級が固定化され、流動性はなくなり、貧乏人はいつまでも貧乏人となることでしょう。
ルーズベルト大統領が脳溢血で死んだあと、副大統領のトルーマンが第二次世界大戦の末期からの四か月間の在り方の模様を描いています。副大統領職は閑職で、単なるお飾りです。ルーズベルトが推し進めたヤルタ会談などの外交政策は何ら副大統領に教えられてはいません。トルーマンは単に無害だから、副大統領に据えられたのです。トルーマンの経歴は、高校出で、農業をやっていました。軍隊に入り、酒保(コンビニみたいなもの)にタッチし、除隊して故郷で衣料販売店をその酒保に携わった軍隊友達と共同で立ち上げますが、倒産します。カンザスシティの酒場の経営者、(地方のヤクザのようなものです)に担ぎ上げられ判事選挙に立候補し当選します。とうとうそのヤグザの引き立てによってアメリカ下院の代議士になります。トルーマンはおとなしく聞き分けがよく反抗心など持たないこまめな人なりです。魅力はないが、安心できる人物だったのでしょう。ワシントンでは「田舎のおじちゃん」と言われていました。ルーズベルトにとっても自分の明るさをそこなわない地味なトルーマン副にすることで、自分の立場を万全にしようと思ったのでしょう。ルーズベルトの政治のやり方は自分のブレーンを組んで、各役所から上がってくる文書などほとんど読まなく、強引に自分のやり方推し進めました。反対にトルーマンは朝早くから起きて、今まで外交のことやらあまり知らされてないものですから、上がってくる文書を読み、ブレーンと会って意見を聞き、新聞記者とも話し、結局みんなから高評価を受けます。ルーズベルトのように独断専行をしない人でした。ルーズベルトと違って徳のソ連に対しての態度が少し強硬になります。ソ連が日本参戦に加わるのは、アメリカ将兵の犠牲が少なくなるので喜んだのですが、ソ連近隣の共産化には反対しています。それにどうも日本は死に体であったにもかかわらず、原爆完成まで日本が戦争をし続けるようになかなか飲めない無条件降伏を突き付けています。どうにでもこうにでも金をかけた原爆を二発も炸裂させないと気が済まないということです。これはルーズベルトからの日本人蔑視の在り方です。ドイツへの無差別攻撃にはためらいもありましたが、日本への無差別攻撃には何一つ批判が出ていません。トルーマンの言動の中にはこのようなものもあります。
「アメリカ人の犬訓練士をヒロヒト(天皇)の上に置く。日本人にヨーロッパのような誤解を与える機会はない」
ルーズベルトの死に対して当時の日本政府鈴木貫太郎首相は戦い中でありましたが、お悔やみの言葉を発しています。ところがこのトルーマンの言葉を知れば、いかに背広を着こなした紳士であろうとも、その根はインディアンを殺しまくった荒くれ西部男と変わりないことがわかります。
FBIは膨大な予算をもらいながら、それにふさわしいほどの仕事をしていなかったということが一人の内部告発者によって世間にさらけ出されました。博士号を持つ研究者と言っても証拠の物品の取り扱い方は杜撰で、よく言われる検察のストリーに沿った証拠固めをしているだけであって、何ら科学的な方法でやっているわけではないということです。爆発物の組成を調べるには、研究所自体がクリーンで、不純物が入らないような環境を作らないといけません。ところがこの博士の研究室はゴミだらけだったそうです。ほぼ真っ黒なO・J・シンプソンの裁判でも、血液採取の証拠集めのやり方が杜撰であったので、俊敏な弁護士にそこをつつかれ、結局無罪になりました。
今ではアメリカはDNA鑑定は裁判所では証拠として認めていないそうです。にわかに信じられませんでした。今からは指紋よりDNAだと言われていましたから。DNA鑑定では、素材そのものが汚染されていなく、また鑑定者のやり方で微妙に違うというところも出てきます。
日本の役所で予算をつけてもらって仕事をしないという役所がないことを祈ります。
1950年代、アメリカのマフィアはキューバの独裁者バティスタ大統領と組んでカジノホテルを作ります。その主導者は戦後、イタリアに追放されたマフィアのドン・ルチアーノでしたが、アメリカの圧力でキューバにいられなくなります。それに代わるのがユダヤマフィア・ランスキーです。アメリカマフィアをまとめたのはランスキーで、欲張ったアナスタシアは理髪店で殺されます。ランスキーは経済ヤクザでしたが、時には殺しも命令しなければならない事情もあるでしょう。キューバではアメリカマフィアとキューバマフィアが融合して巨大な娯楽産業を作り出しました。駆け出しのケネディもキューバで性接待を受けています。マフィアのトラフィカンテのホテル「コモドーロ」で売春婦三人の接待を受けています。マジックミラーになっていて、トラフィカンテそれを見ていて、ケネディが先で大統領になったので、この時のことをビデオに撮らなかったことを悔やんでします。またキューバには巨根36センチの持ち主がいて、毎夜、お客の指名の女性とセックスプレイをして見せていたそうです。またショウレヴューでは、このような寸劇が演じられました。コーヒーを出された女性のお客が、ボーイにミルクは?と聞きます。するとボーイはズボンを脱ぎ、陰茎を出します。するとその女の客が陰茎を嘗め回し、やがてコーヒーカップにポトポトとボーイの液体が入ってくるという、はしたない寸劇です。バティスタ政権は賄賂主体の腐敗政権であり、やがてカストロらがキューバを制圧していきます。淫乱を極めたハバナの街にもカストロ軍が入ってきます。まるで現在のアフガニスタンの状況と同じです。バティスタは用意周到に有り金を持ち出し、最終的にはポルトガルに居を決めています。ランスキーらも有り金は持ち出したのですが、キューバに投資した分はすべて無になりました。ランスキーが死んだとき、遺産の現金は5万ドルしかなかったそうです。
社会的に出世するためには、アメリカでも日本でも、いい大学に入り、アッパークラスの子弟と友達になることです。フォレスタルはアイルランドからの移民の子で、彼の父は建築業で成功します。フォレスタルは高校を卒業して一時働きましたが、ダートマス大学に入り、プリンストン大学に転学しています。一単位欠けていたものですから、大学は中退になりました。しかし優秀な人は違います。社会に出るとたちまち高収入を得るようになります。もちろんそこにはプリンストン大学で知り合った優秀な弁護士の助力もありました。第一世界大戦では海軍に志願し、それが終わると、経済界に戻り、とんとん拍子で副社長、社長と出世します。ルーズベルト大統領時代になると、ホワイトハウス行政補佐官に推薦され、太平洋戦争が起こると海軍次官から、海軍長官になります。現在フォレスタル級空母と呼ばれているのは、この長官を顕彰してのことです。戦後、陸、海、空が統合されて、それを総括する初代の国防長官になります。ところがソ連との冷戦における激務と、ちょうど中年でうつ病にかかり、自殺してしまいます。どうなるかわからないのが人生だということになります。