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木畑紀子さんは素人の演劇評論家と言っています。寛美が好きで、たえず高評価を与えています。藤原寛美も木畑紀子さんの評論で励まされていると言っています。2度雑誌の企画で対談しています。私は中学生ころ、テレビで土曜日松竹新喜劇を中継しているのをよく見たものです。泥臭い芝居ですが、人情があり、笑いながら涙が出ることもありました。俗に説教芝居と言われていましたが、親子とはこうあるべきだという寛美の変わらぬ思いが詰まった芝居をしていました。これが当たり前すぎて文句も言えない状態なのですが、実際現実では家庭内での事件が多いところを見ると、寛美の描く理想的な家庭などなかなか難しいことがわかります。当時さえそうなのですから、現在の夫婦と子供一人という少子化家庭では、もはや寛美の思うような芝居はできないでしょう。
大阪の芸人は借金で苦しめられる人が多い。
「わいは女が好きや、世間の奴らはわいのことを女たらしとか、後家殺しとかいうけど、アホ抜かせ、女もこしらえんと金ばっかり貯める奴は一人前の芸人とはいわれんわい・・・・」
この桂春団治のセリフから、寛美も藤田まことも大借金をおっています。女だけでなないかもしれませんが、芸人は複式簿記ができなく、これができるなら芸人にはならないでしょう。記憶に残るのは寛美、藤田まことであり、いくら優秀な人でも記録として財務省の職員録に残っているだけです。死んでから何年もたっていて、まだ思い出されるということは何と芸人は偉大かと思われます。
この本が出版されたのは2008年、サブプライムローンショックが起きた年です。数学者や物理学者がウォール街に入ってきて、大半が理解できない数式を使い、金融工学なるものを打建て、くず債権を価値あるものであるように見せかけ、売りまくったが、結局くず債権だとわかって、全世界で100兆円もの損失を出したという年です。ある者は売り抜け莫大な金を手に入れたが、失敗した者も政府が税金で補填してくれて、相も変わらず高い給料を取っていて、非難されていました。アメリカの裕福層は政府と一体になって、損をしてもその損を最小限にとどめる方式を確立しているようです。共和党も民主党も企業からの献金で戦況をしているのですから、大口献金者の意向には背けられないのでしょう。共産主義より資本主義の方が発展するといっても、大半が貧乏でごく一部がいい思いをしているというのはどう見てもううまくいっているようには思えません。道徳的にどうなのかと言っても、金儲けのためなら他人がどうなろうとも知ったことかという連中が多いのですから、彼らにつつましい生活を要望することは土台無理なことです。あのゴーン氏もいまだに裁判にかけられてはいません。金があれば脱獄もできるということがよくわかります。
前作「フレンチコネクション」が大ベストセラーになり、映画にまでなりました。今回の「マフィアワイフ」は「フレンチコネクション」のマフィアの幹部の妻の聞き語りです。彼女は15歳から学校へは行かなくて、ヤクザがたむろするバーや断酒場や食い物屋に入り浸りし、ホステスなったりしています。アメリカのドラマを見ると、高校生と言っても女性は特に化粧でもすると、二十歳過ぎに見られ、色気がむんむんと出ています。おのずとマフィアに出会って17,8歳ころ結婚をします。彼女の亭主は逃げ回っているマフィアのドンの甥っ子にあたります。それが覚せい剤取引で徐々に商売を広げていきます。それなりの大物になったとき、夫婦ともども捕まります。警察の入れ知恵で、50キロものアヘンの隠し場所を白状すれば夫の20年の刑を4,5年に短縮できると、彼女に言い、旦那に白状させるようにと説得するようにとすすめます。結局旦那が吐いて、その50キロものアヘンは押収されました。保釈されてもその後の収入は途絶え気味になり、亭主は保釈料を払い戻してもらって刑務所に入りなおしましたが、その保釈料は身内のひとの保釈料にとってかわられます。彼女と二人の子は福祉に頼るしかなくなります。彼女が「フレンチコネクション」の作家に連絡してきたのは、慰謝料でも取ろうとする算段があったようです。ムーアは「フレンチコネクション」では欠けていた妻という身内からの視線を考え、彼女の話を聞いたということです。証拠物である50キロのアヘンが36キロしかなかったと後で大騒ぎになっています。警察の不祥事はどこの国でもあることです。死んだ警官が犯人だと言われ処理されています。広島でも8000万円ほどが警察の金庫からなくなり、これも急死した警察官が行ったのだということで幕引きになっています。死人に口なしとはよく言ってものです。
この本の表紙の絵はドイツ皇帝ヴィルムヘルム二世が絵描きに画かせ、各国の首相に贈ったものです。剣や槍や盾を持った西洋人がいて、火災が起こっている丘の向こうでは大仏様がいてアジアの村が焼けているのです。まるで最近のベトナム戦争を想起させます。欧米の植民地主義で苦しめられたアジア人が蜂起する前に、完膚なきほど叩きのめし、二度と反抗できないようにという趣旨の絵なのです。このような黄禍論は間欠的に起こります。ヴィルムヘルム二世の時は日本が清と戦争して勝った時です。三国干渉で、ロシア、フランス。ドイツが中国で得たものを横取りします。日本が西洋をまねて他国に寄生して甘い汁を飲むのは千年早いと言っているのです。ヴィルムヘルム二世はロシアに対し我々は白色人種であり、戦うべき相手は黄色人種であり、ヨーロッパに目を向けないで、アジアに目を向けるようにと言って、ドイツの安全を確保したいという都合のいいことを考えていました。
アメリカでの中国人や日本人に対する排斥は、安い賃金で仕事をするので、白人の仕事がなくなるという恐れからです。現在ヨーロッパやアメリカでは移民が暴動を起こしますが、アジア人はおとなしく結局みんな「おしん」なのです。逆境にじっと耐え忍ぶだけです。日本人は大戦中収容所に隔離されてしまいます。
コロナ禍で再び黄禍論が巻き起こっています。アジア人はとうとう危険なウィルスになりました。どうも黄禍論が起こるということは、西欧人だけでなく、我々アジア人も自分にとってマイナスの原因はすべて他人のせいであるという人類共通の認識にあるのかもしれません。
テレビドラマ「アンタッチャブル」で、アメリカ禁酒時代のアル・カポネのことを知りました。それにしてもエリオット・ネスは格好良かったです。ところが実際は、ネスは美男だが無能な男で、女にはもてまくってだらしなく、そのような時代でありながらアル中の男だったということです。酒代欲しさにジャーナリストに自分のほら話を吹聴し、それが本になってテレビドラマや映画になったそうです。それに比べるとアル・カポネのほうがよっぽどの紳士で、慈善事業や貧乏人や困った人々を助けていたそうです。悪いこともしていたのですが、同じようにケネディの父親も禁制の酒を密売して産を為した人です。マフィアの縄張りを犯して殺されそうになりましたが、別のマフィアのボスの仲介で殺しから免れています。アル・カポネを刑務所送りにしたのは、ネスの上司・連邦検事のジョージ・E・ジョンソンです。脱税で放り込みました。複式簿記を理解していたカポネの不正を暴くにはそれ以上の知識がないと起訴できないでしょう。
「ゴットファザー」の一作目は低予算で作られたものです。それが大ヒットして3巻もできています。音楽もヒットして、それを聞くと家族というものがいかに大事かがわかります。ある面イタリア人、というよりはシチリア人と日本人の精神構造がよく似ていると思います。マフィアは日本の「おしん」であるといえそうです。貧乏な「おしん」が耐えに耐えて徐々に豊かになっていく。マフィアも手法は違うが、違法であれ、順法であれ、同じことをやっていることには変わりがない。だから残酷なことが行われようとも、それは相手が悪すぎるからだと、妙に「おしん」の我々は納得してしまいます。