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なんやかやと文句を言ってくる韓国ですが、お隣の国で無視することもできず、日本と似ているようで似ていない、また、何という執念深い国民であろうかと思いつつ、どのようにしてこのような考え方になるのか、「知りた」いような気持ちになります。いずれにしても明治の時の朝鮮合併に端を発しています。朝鮮から見ると文化的後進国の、弟の文際である日本が文化的先進国の兄である朝鮮をこけにしたというところから、両国の確執が始まりました。中国の柵封体制で、中国が一番で、中国に忠実な朝鮮が二番目という事大主義という考え方で固まり、その他の国は夷狄=野蛮国に過ぎないと思っていたら、その野蛮国日本が朝鮮から中国=清を蹴散らし、一応朝鮮を「独立」させてもらったのですが、朝鮮王宮の人々は自分たちの贅沢と利益のために、ロシアや、相変わらず中国の清の外国勢力を引き入れ、日本の思うとおりにはならないようにしています。そこでとうとう日本が切れて、「チョーナー」(殿下)の王妃の閔氏を殺害します。「チョーナー」=高宗も禅譲させられ純宗に変えられます。これ以降日本は高飛車になり、ますます朝鮮に嫌われるようになります。伊藤博文も朝鮮を殖民地にすべきでないと言っていましたが、そうかといってロシアが朝鮮まで下ると、日本が危うくなるという考え方もあり、今から見てもどうとも言えない状況だと思われます。もう少しソフトにやればよかったのではないかと思いますが、今の韓国を見ても、理屈なしのネゴシエーションを駆使するのですから、どのような提案をしてもきくような相手ではありません。過ぎてしまったものは仕方ありませんが、こういう歴史的な考え方は日本的で、過ぎてしまっても、韓国では牛の咀嚼のように蒸しかえりの技法で、自分の都合のいいような解釈をしています。
東京タワーは朝鮮戦争のおかげでできたのだとわかりました。朝鮮戦争で壊れたアメリカの戦車を溶かした鉄で出来たものです。東京タワーを世界遺産にしようとすると、かならず韓国は文句を言ってくるでしょう。
最近UFOと遭遇した時の航空自衛隊のマニュアルが政府から出ていましたが、UFOがいると真面目にかんがえているのでしょうか?全てがわかっているわけではないのですから、UFOもいるかもしれませんが、テレビの娯楽番組のテーマであったUFOがいきなり軍事的対象に格上げされたことに違和感を覚えます。
明治から大正にかけて欧米の科学が流入します。神道や仏教や儒教と重なり合って、奇妙な混合物ができます。日本人独特の駄洒落も加わって、ある面納得できるような気持ちにもなります。欧米から催眠術、目に見えない光・ラジウムやレントゲンなどが輸入されると、もともと日本にあった「霊」と結びつき、「霊」と「Ray」が重なり合って、これが民間精神療法のバックボーンになります。この本の表紙に載っている手かざしの写真も、手から「霊」=「Ray」が照射され、相手の病気が治るのだという理屈になります。実際治った人もいたのですから、「霊」が存在しているのかもしれません。催眠によってそう思うだけだという人もいます。一種のプラシーボ効果だという人もいます。科学が全て解明しているわけではないのですから、何とも言えません。
明治中期から大正にかけてこのような民間精神療法の本が多く出版されていて、後の昭和時代でもそのブームが再演し、今日のアロマ療法とかにつながっていくのです。
外国のボクサーや格闘技家に刺青を入れているのが見られますが、ガキのいたずら書きのようなものばかりです。金のないときに彫ったものですから、彫り師も素人かもしれません。
江戸後期から明治にかけて外国の艦隊の水兵たちは日本で刺青を入れることがはやりました。これが評判になってイギリスの王や皇太子までも刺青を日本で入れるようになります。日本ではヤクザか遊び人しかしないものを欧米では地位の高い者や金持までも刺青を入れています。男ばかりではありません。女もそうです。チャーチル首相の母親はアメリカの富豪の娘で、イギリスの貧乏貴族と結婚しました。この母親も刺青をしていたそうです。もちろんチャーチルもいれています。あとがきにも書いているように、第二次世界大戦後の処理についてのヤルタ会談に出席したチャーチル、ルーズベルト、スターリンはみな刺青持ちです。ヤルタ会談はしまの境界を決めるヤクザの寄り合いと同じようなものです。日本と不可侵条約を結んだスターリンは弱り目の日本を見過ごして日本に攻め込み北方領土を取り込みます。ロシアは仁義亡きヤクザとわかります。それに慌てたルーズベルトの後継者トルーマンが日本に原爆二個落とし、ロシアに警告を与えます。アメリカもマフィアに劣らず冷酷な者だとわかります。アメリカも自分たちの要望を通すためには手段を選ばずという国民であることがわかります。いずれにしてもヤルタ会談以降の世界の枠組みは白人優位の世界観でやっていこうということです。第二次世界大戦終了後75年経って、アメリカの人種差別騒動を見るにつけ、その優位性も陰りがみえてきたということになるでしょう。刺青を入れたからといっても、それが脅威でなないということがだんだんみんながわかってきたのでしょう。
明治のはじめころやなかころまで、江戸時代の雰囲気が幾分かは残っていましたが、大正になると「モダンな」と形容されるように、都市部では背広姿が板に付いて来ます。やっと日本も先進国の一員になったという思いが出たころです。明治では汽車が開通したということだけで大騒ぎをしていましたが、大正のころになると、その汽車を使ってどのような旅ができるかと言った解説本が多く出ています。それに自動車、飛行機、スキー、望遠鏡、顕微鏡、蓄音機、ラジオ、シンセサイザーのような新しい楽器テルミン、磁気を使った万能治療器などが次々とでてきます。新しい明るい未来を期待していたのですが、結果は戦争に明け暮れ最後には「国敗れて山河あり」の状態になります。大正時代はこのタイトルどおり、一瞬「夢見る」ことが出来た稀有な時代だったかもしれません。
昭和3年から昭和六年までの日記と銃で撃たれ療養中に書いた随感録との合冊です。昭和四年田中義一内閣は張作霖爆死で天皇から譴責を受け、それで浜口が内閣を作ります。昭和五年11月東京駅で狙撃され、一命を取り留めましたが、翌年の八月に亡くなっています。浜口雄幸の最大の仕事はロンドン会議での海軍軍縮条約の締結です。世界平和を願っていた浜口ですが、事態は刻一刻軍部の歯止めがきかなくなり、中国で勝手に事変を起こしたりし、これが結局アメリカとの戦争になるのです。この日記を見ると毎日多くの人と会っています。政治家とは人とあうことだということがわかります。安倍首相が病気で倒れたというのもうなずけられます。人に会うだけでもストレスです。それも難しい問題を持ち込んでくる人が多いのですから、普通の人では勤まらないでしょう。浜口雄幸は自分でも無趣味だといい、大蔵時代、政党の幹事長、内閣総理と仕事に没頭しています。妾や愛人も作っていないようです。無粋ですからそのような色事には縁がなかったのでしょう。東大の学生のときは養子先の娘と結婚していました。現在の国会内では院内淫事が多いと聞きます。浜口雄幸を見習えといいたい気分です。浜口雄幸は読書についてもこう述べています。
「・・・判断力の萌芽すら未だにできていないうちに、名もなき者の著述を甲から乙へ、乙から兵へと、其の所取り、この所取り、抜き読み的多読乱読する傾向が大分見えるようである。これでは書物を読むにあらずして、書物に読まるるのであって、仮令万巻の書を読破すといえども、活社会に善処し、活事物を判断する上において、寸毫も益するところはないのである」
まったく仰せのとおりです。