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1985年以降、「フォーブス」に載った400人の、許可してくれたウルトラ・リッチを訪ね、インタビューをしてまとめたのがこの本です。この頃からも、少数の富裕家がアメリカ全体の富の、2割か3割かくらいもっているのでないかといわれています。現在ではもっとこの数値は上がっているでしょう。それに最近では日本もそうですが、中間層の所得の減少です。貧困層はもっと下降しています。一人勝ちは富裕層だけです。金持は会計士や弁護士を雇って税金を払っていないようです。抜け穴を探し、資産が代々受け継がれるような仕組みを作っているようです。ロックへラーは現在では7代目8代目になっているようですが、一向に資産が減っている様子はありません。由緒ある金持以外にも一代で大金持ちなった人もいます。ダイナスティの発生です。古女房と離婚して、トシが30も違い、自分の娘より若い女と結婚したりすると、遺産相続で大問題が起こるべくして起こります。高視聴率のドラマにもなりました。富豪になるとどんなおじいちゃんでも若い女がつくのです。食事など昼はリンゴとサラダ、夜はベーグルにちょっとした鶏肉料理、おじいちゃんですから食も細いのでしょう。若い妻は彼の死後のためにじっと我慢をしているのでしょう。案外アメリカの大金持ちは質素な生活をしています。400億円や500億円の資産がありながら、年間20万ドル、2000万ちょっとしか使っていないというのですから、株の配当は溜まるばかりです。資産家の子供たちはもちろん真っ当な子供もいますが、精神的にどうかなと思わせる人物も多いとパッカードは言っています。
金持がしみじみと言っていますが、金持の利点はこの一言に尽きるようです。
「金を持っていていいことの一つは、それについて考えないですむし、話もしないですむことです」
戦後は終わったといわれた昭和30年代、日本の女性も大いに変わったのかもしれません。しおらしさと控えめな女性から、欲深い、したたかな女性にと。変わったというわけではなく、もともと欲深いしたたかなものが、アメリカナイズされた戦後30年代、しおらしさと控えめな演技がしつつ、金儲けにいそしんだということかもしれません。いまだにアイドルグループの握手会に行って、下半身を膨張させて頭はぼっとしている男子に比べ、純真そうなアイドルの女の子は歳のかけ離れたプロデューサーに身を任せ、次のステップを画策しているかもしれないのです。それは半グレと付き合い、日々違法薬物でハイになるセックスを続けているかもしれないのです。
この小説も映画女優になったものと、芸者になったものが力ある男たちを利用し、金や名声を勝ち取ろうとするのですが、最後には二人とも失敗をします。まだこの時代いくら解放されても、男からふんだくって高笑いとは行かないようです。
現在、経済で男たちに凌駕できないと知ると、女たちは新しい戦略を唱えだしています。「ミーツー」戦略です。私もやられたとい文面を拡散して、セックスハラスメントで、男たちを問い詰め、奈落のそこに追い落とすのです。異民族間の戦いも激烈ですが、異性間でもこれから先予断を許さない状況になってくるかもしれません。
悪女も悪男も結局は欲ですから、欲をなくすことが平和になる根源です。でも生きているうちは欲を消滅できません。ですから前回のアメリカ短編小説家の言うとおり、時たま人と会って(ミーティング)、心静めるために瞑想(メディテーション)、それでもだめなら「マスターベーション」ということで難局を乗り切るほかはないようです。
著者たちの経歴欄を見ると、女性が多く、男性では大学で文学を教えているか、アルバイトでその日暮をしている男が、どちらかです。多分両方とも白人系が多いのだと思われます。最近はアメリカでは、日本もそうかもしれませんが、真っ当で優秀な男は文学などチマチマとした面倒くさいことはすることはなく、手っ取り早く大金がもらえる職場に入るようです。アメリカの文学部も日本の文学部も女性ばかりで、これを学んだとていいところの就職できるとは思っていないでしょう。言葉を操作することは女性に向いていることであり、収入の高い男と結婚し、経済的心配をなくし、男が外で働いている時、家で好きな本を読んだり、好きなことを書き散らしていくことが彼女らの理想ではないかと思われます。それが少々の金を生み出してくれるなら、万々歳です。この傑作選を見ても家庭内のゴタゴタことを丁寧に書き込み、さもあらんかなというリアリティーをかもしだしていて、ほぼアメリカ・ホワイトの中間層や、ややそれに劣る階層の日常がこれらの小説群からうかがい知れます。
アメリカのもてない女性の独白を聞いてみましょう。
「一年半も節度を持って過ごしてきた私は、自分の願望は神様にお預けして、三つのMだけを実践してきたの。つまり、「ミーティング」、「メディテーション」、そして「マスターベーョン」ね。でもエレクトロニクス技術にいくらお世話になったところで、淋しいときには、やはり昔ながらの方法で夜毎小さなピンクのボタンをこするようになるものよ」
明治のころはまだ江戸時代の刃物三昧の残像が残っていて、「天誅」を加えるといった政治的テロがありましたが、今では「自粛警察」といった、嫌がらせ程度で終わっています。昔にさかのぼるほどに政治的には熱くなっているようです。
「テロリズムはハラの黒いキツネとコワイイヌが必要といわれる。そしてもうひとつ加えるならば、冷静なコミュニケーションにヨワイ民衆のバックアップも必要ではないだろうか」
「国家のために逆賊星(亨)を刺したる次第です」と供述した犯人に対して室伏は上記のコメントをしているのです。自分の意にそぐわないからといってすぐさま刃物を振るようでは、民主主義ではなく、赤穂浪士の世界であるということです。法治国家とはいえません。江戸から明治ですから流れについていけない人も多くいたでしょう。
明治維新から160年ほどたった今、相も変わらず、賄賂や汚職はありますが、そのようなニュースを見ても明治のようにいきり立つ人はあまりいません。これらを引き起こす政治家や大企業の幹部などは、優秀な弁護士に囲まれてめったに有罪になることはないのです。最近では検察もやる気が無く、時の権力におもねているようであり、時たま民衆を喜ばすために芸能人の麻薬摘発に精を出しているだけです。マスメディアも優秀な大学のお坊ちゃま、お嬢様を縁故か正規かしりませんが採用し、「冷静なコミュニケーションのヨワイ民衆」に咬んで含めるような記事も無く、各役場の広報担当になっているようであります。生活支援金を今すぐくれと刃物を出した男は即刻捕まりましたが、日産のゴーンはどこに行ったのでしょう?10万円では捕まえやすいが、何十億となると足がすくむのでしょう。原付バイクはよく警察官に止められますが、高級車ベンツは警察官の横を何気も無く通り過ぎます。
最初の覚書に、この小説は3部作であり・・・とあり、この一冊だけでは意味が分からないかもしれません。主人公と思われるのはエジプトのアレキサンドリアに住む美貌のジュスティーヌ、いろんな男と絡んで物語が展開します。全然関係の無い男も出てきますが、それはこの物語を語る男との関係で出てくるだけです。物語る男もジュスティーヌと関係し、主要人物の説明欄では学校の先生となっていますが、小説のなかでは医者でもあるような記述があります。この小説のクライマックスは謝肉祭だと思われますが、エジプト・アレキサンドリアのイスラム教の世界で、キリスト教行事を堂々とやる神経の図太さに、西欧先進国の横暴さを感じずにはいられません。この語り手も、もう一人のイギリス人の外交官も、女だけではなく、若い男まで触手を伸ばしています。フランスの外交官も現地の女との別れ話で、高級車を石ででこぼこにされています。この小説ができたのが第二次世界大戦が終わって10年後のことで、その頃まだイギリスの力は中東にはあったのだと思われます。植民地に対する宗主国の気質が残っているのでしょう。