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昭和は戦前と戦後の別れ、我々団塊世代は物心ついた昭和30年頃から4,45年の、青年期を過ぎ、大人になった期間が、今この歳になって、最も懐かしく思われます。写真集を見ると、広島駅のすさまじい変わりようが目につきます。私たちの頃はまだ木造の駅舎だったのです。東京に行くのは寝台車「安芸号」があって、私の記憶では翌日の早朝に到着した気がします。宇品線もあって、悪がきどもが竹や小石をレールの上においてそれが「ひしゃげる」のをよく見ていました。機関士が大声で怒り飛ばしていましたが、悪がきどもはニヤニヤ笑っていました。小さい頃はいのこさん祭りが面白く朝早く起き、鬼面をかぶり棒をもって街々を練り歩き、自分より小さい子を脅しまくっていました。後でお菓子やぜんざいを振舞われ、こんな楽しいことはないと思っていました。学校にプールがないものですから、川でみんな泳いでいました。海水パンツをはいているのは金持の息子で、我々貧乏人は「金つり」といっていた、今で言うところの「Tパンツ」、黒色の三角形の布地に紐を付けたものをはくか、それか「フルチン」つまり素っ裸で泳いでいました。川の中には飛び込み台も作られていましたが、我々勇気あるものは橋の上から飛び込んでいました。あれから60年、今や風呂の入るのも溺れるのではないかと心配しています。
この写真集で気づいたのですが、戦前と戦後の大人たちの顔つきが変化しているようです。戦前はごつごつして、何かしら先住民という感じですが、戦後はそれなりに文明人らしき顔になっています。栄養が良くなったということでしょう。
これは2013年3月31日にアップしています。これは文庫版で、今回はハードカバー本です。読んでいるかなと思いつつ、最後まで読みました。元首相の森喜朗の売春法違反で捕まったのは、警察関係の「エライ」人のリークだったそうです。新聞記者の新人は「サツ回り」をやらされます。警察関係者の仲良くなるのは当たり前です。余りにも仲良くなって警察の広報担当になっても困ります。則定という検察の「エライ」人の愛人を見つけ出し、検察の機密費で遊んだり旅行に行ったりしているのを突き詰めています。手切れ金をパチンコ屋に払わせたりして、とんでもない検事総長もいたものです。男の矜持も女の貞操も金と権力の前では夏場のチョコレートです。西岡研介には鋼の心を持って悪と対決して欲しいものです。
谷崎潤一郎の「細雪」に出てくる「いとはん」の会話は大阪の上流階級のもので、大阪が発展するにしたがって、職住の分離が起こり、上流たちは芦屋に家を作り、従業員たちは職場に住むか、近くのアパートを借りるかして、富と貧の離反が起こったのです。だから富豪の娘たちである「いとはん」の会話はめったに聞くことができるものではなく、やはり上流でないとつきあいはないのです。最近は彼女らの大阪弁も変わりつつあるようです。これらのお嬢様には、富豪のお父さんの差し金で、将来有望な東大での婿さんを取り入れ、それによってやや東京言葉に近くなっているようです。
ではなぜ「おもしろいおばさん」ができたかというと、大阪のローカルテレビでその日の夕食の献立を聞く番組がありました。これが何年も続き、そこに出たオバサンは面白いキャラクターを持っていたということで、大阪にはそういったオバサンが多いと思われたと解説しています。しかし広島の私から見ると、その番組などは見たことがありません。やはりタレントの上沼恵美子の影響が強いのではないかと思われます。お姉さんと若い頃から漫才をし、最近では太って、図々しいオバサンになっています。彼女のイメージから、ケチでえげつないことを平気で言う大阪のオバサンが定着したのだと思います。NHKで笑福亭仁鶴と一緒に出ていた番組を良く見ていたものです。仁鶴が止めないと、ずっとしゃべり続けるような女です。お姉さんは常識のある女性でしたが恵美子は見栄っ張りですぐわかるような嘘をついていました。役柄でしょうけど、これが面白く、大阪はこのような女が多いと思い込ませていたものです。
前天皇と正田美智子さんとの結婚は私が小学生6年の時です。梶山季之はそのときには週刊誌の遊軍記者として活躍しています。それから産業スパイ小説で有名になり、作家として長者番付1番になったりします。余りにも根詰めて仕事をしたので、取材先の香港で45歳で亡くなっています。戦前は朝鮮のソウル生まれ、敗戦で広島に帰り広島二中(観音高校)、広島師範大学を卒業して東京に出て行くのです。あとがきで藤本儀一が書いていますが、朝鮮、ハワイ、広島を軸にした「積乱雲」という小説が未完のまま取り残されました。自分が生まれ育った朝鮮、母親がハワイの開拓民であったこと、それから広島での青春時代、自伝的な小説かもしれません。
安倍総理の国有地払い下げ問題は今に限ったことではありません。昭和20年代30年代、安く国有地が払い下げられ、なかには国税庁長官も妻の名義にして国有地を安く手に入れています。
「彼らが成功する瞬間」という項目では、関東大震災でいかに儲け、成功した人を紹介しています。「事業とは個性」で、「人を使い、金を使い、物を作り出す意味では、ひとつの総合芸術」であり、そういう創業者は魅力があって「小説になる人物」が多いと言っています。だれが焼けた電柱を買いましょうか。それが関東大震災ではいたのです。電柱の土から上に出た部分は焼けていますが、地中に残った部分は焼けていません。これを掘り出して薪として売ったのです。ただ同様なものが大金に化けます。このコロナウィルス惨禍、きっとこれを逆手にとって大儲けする人がいるでしょう。マスクを作るような平凡な考えでは大儲けできません。焼けた電信柱を買うような発想がないとチャンスなど無いということです。私もいろいろ考えてみたのですが、マスク以外おもいつかない。これでは「魅力的な人物」とはいえず、ドラマでも通行人の役しか与えられないでしょう。
遺伝子や脳内物質の研究から患者に効く薬は何かといった生理的神経科医と違って、江口重幸の最初の論文が憑依についてのことで、患者だけではなくその人の周りの家族の話も聞き、そのような環境で患者が精神に変調を来たしたかを調べる方法をとっています。精神の変調があろうとなかろうと、「物語」ということは、文学にも通じるし、文化人類学の範囲にもなるし、民俗学にもかかわってきます。
アメリカ流の、これこれの症状にはこの薬といったような治療の根底は実証実験の「エビデンス」があるからです。しかしこの実証実験も、強大な製薬会社の意向に沿ったものになり、巨額の補助金を出してくれる製薬会社の製品の無効性を表現しづらくなっているようです。アメリカでも精神分析を何年も続けてもよくならないということで、「物語」療法から、「エビデンス」主体の方法に変わったのですが、この方法にも難点があるようです。
江口重幸が扱った実証例を見てみますと、やはり時代は反映しているのでしょうか、昭和時代、患者には富豪はいませんが、中間層だったものが下層に落ちるかもしれないという恐怖で精神に変調を来たしたものが多いと思われます。戦前大方が貧者であったころは、大本教の教主のように最貧民から大宗教家に変身します。ところが高度成長を味わった人にとってはランクを下げるということは精神的にストレスを感じるのでしょう。日本にはないように思われますが、階級(環境)の移動こそが発病のきっかけとなります。大本教の女教祖はもはや下がるところがないのですから、居直ることしかできません。そこでぶつぶつといったことが物語になり、それで安心立命を得ます。高度成長時代の患者も、階級(環境)の移動の混乱時には好転しませんが、それを受け入れ、自らを物語ることができるようになったら、少しは症状が改善するようです。物語るということは結局自分を突き放して客観的に見ることができるようになったからだと思われます。
私はタロットをやりますが、お客様に物語をきかせているようなものです。
「真実は心を鍛えるが、物語は心を癒す」という有名な言葉もあります。