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ハンバーグ店のモスバーガー、生理用品のユニチャーム、シュレッダーの明光商会、古くからのメルシャンワイン、ソフトバンク、画廊、留守番通知電話など、多くは創業者、メルシャンワインだけは後から来て立て直したもの。これらの男たちの共通したものはバイタリティーがあるということです。20代30代に何かをなさぬものは、50,60になってもたいしたものではないとわかります。かつて竹さんも忙しいころ、食料品店の営業マンがよく来ていたものです。ただ注文を聞き取って帰る人はこれはだめだなとわかります。機転のきく人は、注文以外にあれが足りないのではないかと尋ねます。配達する商品を持ってきても、新製品の見本も持ってきてセールスします。このような人はあっというまに配達員から格上げされて、重たい荷物を運ばないでもいい営業マンになっています。私もその頃人生の半ば50代頃で、そのような配達員の生態をみて、私の20代も通り一遍のことしかできぬ、機転のきかぬダメ男だったと思い、だからこんな冴えない50代を迎えているのだと思っていたものです。しかし私は金のかからない将棋という趣味を持ち、享楽街にいたにもかかわらず女性に溺れることなく、おまけに酒も飲まないということで何とか無難に70代まで漕ぎ着けました。ここにいたってコロナウィルスで店を休んでいますが、これが収まればまた低空飛行を死ぬまで続けるでしょう。
「読書は愉しみであるべきだ。名前こそ文学だが、文学は学問でなく遊びなのだ。だから読書の皆さんも存分に遊んでいただきたい」
楽しんで読めばどう読んでもかわないけれど、英米の文学書を読むためには、最低、聖書、ギリシャ、ローマ神話、シェークスピアくらいはかじったほうがいいと思われます。これら原典資料をたくさん知れば知るほど、解釈の幅が広がるというものです。すべての物語・文学は独立しているものではなく、根底には過去から連綿と引き続いた感情・思い・考え方があるからです。
トーマス・C・フォスターは演習として短編を取り上げ彼の解釈を載せています。題は「ガーデン・パーティ」といい、丘の上の大金持ちとふもとの貧乏人との物語です。その日金持ちの家では庭でパーティーの準備をしています。同じ日にふもとの荷馬車の御者をしていた男が蒸気機関に驚いた馬に跳ね上げられ死んでしまいます。金持ちの娘はパーティーをやめようと進言しますが、母親はパーティーを続行します。やがてパーティーは終わり、残ったサンドウィッチやシュークリームをバスケって詰めて娘に事故のあった家に向かわせます。薄暗い部屋の中で娘は死者と向き合います。で、最後は迎えに来てくれた兄と抱き合い、「人生って」といいますが、次の言葉が出てきません。兄の「そうだね、ローラ」でこの短編は終わります。
トーマス・C・フォスターはローマ神話、豊穣の神デーメーテール、その娘、ペルセポネー、それを略奪した黄泉の国の王ハーデースの物語を下敷きにしているといっています。神話の内容は、ハーデースがペルセポネーをかっさらい、黄泉の国に閉じ込めたので豊穣の神デーメーテールは嘆き悲しみ、まるで天照大神のようにその役割を捨てたので大地に食物が育たなくなります。それで仕方なくハーデースは六ヶ月間はペルセポネーを母の元に返し、六ヶ月間はハーデースのもとにいるという約束を取り決め、それで再び大地に作物が実ったという神話です。短編で娘が薄暗い死者のいる家に行くのは、黄泉の国であるハーデースに行くことと同じことで、少女が大人になるということは黄泉の国に行って、少女がいったんは死なないといけないのだということを意味しているのです。
表紙の絵のモデルは林寛子さんでしょうか?ボートに書かれている漢字は日本語風ではないようです。中国だとすると相変わらず肖像権も著作権もない無法地帯だと思われます。前書きにも、中国での日本批判のたけなわ頃、「釣魚島はわれわれのもの、蒼井そらはみんなのもの」と中国男が叫んでいたと書いています。中国男はぽっちゃり系の女性が好みのようです。
「浦島太郎」にはポルノバージョンがあるそうです。平安時代の「続浦嶋子伝」で、セックスの体位まで書かれています。それ以前から中国から「房中術」が伝えられており、セックスのやりかた如何では、仙人にもなれるという考え方です。だから玉手箱を開けて浦島が一挙に老人になったということは仙人になったということで、喜ばしいことなのです。乙姫様とのセックスは「接して漏らさず」ということで、非常に高度なテクニックだったのでしょう。乙姫様も妊娠に心配なくして十分に楽しめたのではないかと思われます。
大宅壮一と彼の嫁さんの謎解き問答をメモしておきましょう。
大宅壮一「一つ口があっても万口とはこれいかに」
嫁さん「珍しからねど珍棒と表記している文献もあり」
自伝です。何事も成り上がったものより、成り上がりつつのものが面白い。大下英治の母が英治に「山より大きな猪はでん」と言ったと書いていますが、私の父も同じことをよく言ったものです。彼の父親は原爆で死に、終戦後彼の母親は古着を広島駅前で仕入れ、田舎にもってゆき売っていました。豊かでなかったので、英治は中学卒業して江波の先にある三菱造船所の養成工として入ります。給料もくれて勉強もさしてくれると言うところです。勉強と言っても造船やら溶接やらの実務的な勉強なのでしょう。ここを卒業する前、松本商業学校(今の瀬戸内高校)夜間の3年生として入学し、同時に昼間は予備校の英数学館で猛勉強し、1年後広島大学の仏文科に入学できました。知能指数も高かったと言うことですから、地頭がよかったのでしょう。大学2年生の時には結婚していて子供も生まれています。広大卒業は主任教授の、留年させても国費の無駄になるだけだからと言う理由で卒業さしてくれました。しかしモーパッサンについての卒業論文は最も面白かったと主任教授が言っています。就職ですが何社も断られ、最後一社「電波新聞」でテストケースとして雇われます。電波新聞を何部売るかによって本採用になるかどうかを決めるのです。呉や福山や岩国まで自転車で行って売りさばきます。とうとう売り手でトップになりました。採用され東京に研修に行かされます。そこで編集局の新人7名が同属会社の社長から首を言い渡され、研修に来ていた英治ら数名が編集局に回されます。しかし広島のほうが英治のセールス能力を買い、広島に戻すように本社に掛け合います。で、東京にいたいために、英治はそこをやめ、ミクロ会計という会社に入ります。今で言うところの会計ソフトを売るような会社のようなものです。その間、先輩の梶山に連絡して、これも広大の先輩ですが週刊文春の岩川隆を紹介してもらったりしています。大宅壮一の「マスコミ塾」の塾生になったりしています。そのうち週間文春の岩川に頼まれて整形手術の失敗についてのルポを頼まれます。これをきっかけにして大下英治の快進撃が始まります。
現代人はツイッターのように短い文に接するばかりで長い文は億劫がっているようです。おまけにデジタルの情報は次から次と入ってきて、振り返ることもしなくなります。だからあまり記憶に残りません。このような状況で何が生じるかというと、付和雷同の人々の増加です。脳の中には覚えた知識もなく、大方は検索によって外部から容易く取り入れることができます。しかしこれは確信が持てるほどの知識ではなく、何か頼りなさがでています。だからお互いに「いいね!」と連発して、自分の自信のなさを覆い隠そうとしているのでしょう。
一方、紙の本でも新しい知識も入ってきます。しかしすんなりと入ってくるわけではなく、読んだページを再度見たりして、時間をかけて徐々に新しい知識のイメージが形作られていきます。それから記憶に残った多くの知識の相互作用でやがて知恵なるものもできてきます。紙での読書はその人独自の世界観ができあがってくるということです。デジタルの一過性の知識とは異なるものです。紙の本ではバックボーンができて、ある面融通の利かない人間になるかもしれませんが、容易く時流に流される人間にもならないでしょう。
メアリアン・ウルフはこの本の最後、この前安部総理がYouTubeに出たとき言っていたことと同じことを言っています。
「親愛なる良い読み手のみなさん、わが家に帰りましょう」