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戦前は軍国主義がはびこって暗いものと歴史の教科書で教わりますが、実際は1937年から敗戦の1945年までの8年間にすぎないもので、それ以前は花見もクリスマスも派手に街中で遊び狂っていたということです。中国で戦争が起ころうと、それは対岸の火事であり、結構日本国は明るく能天気に暮らしていたということです。ただ神経質な文学者などが漠然とした将来の不安を感じていただけです。銀座ではクリスマスには三角帽をかぶり、酔客がいっぱいで、ダンスパティー会場には男女が抱き合って踊っていました。このような状態が戦後また復活します。売春法が成立する1957年頃まで「狂乱」のクリスマスが続くのです。それ以降徐々に沈静化し、子供のためのクリスマスになりますが、最近では若者たちのセックス結合の日になっています。流川でもクリスマスには人はいません。家で子供たちとケーキを囲んで楽しくやっているのでしょう。日本国は他国の宗教の記念日を取り込んでいますが、何もこの宗教に帰依するというわけではなく、ただ金儲けのために目先のきく商人たちが拡散さしているだけです。バレンタインも最近のハロウィーンもすべて金儲けのためです。それに若者が悪乗りしているだけです。今日もNHKで高級パンの話をしていましたが、一斤1000円も2000円もするようなパンが行列づきで売れているそうです。大きな無駄遣いはできないが、小さな無駄遣いはできるという庶民のいじましが如実に表れています。このような歯ごたえのないパンを食べているとやがて固いフランスパンが見直されるでしょう。ブームに流される人は戦前にも戦後にもまた将来にも存在し続けるでしょう。このような調子もんがいなければ企業も発展しないということかもしれません。
第二次世界大戦、日本が「大東亜共栄圏」と唱えて、東南アジアへ侵入しても、東南アジアの人々は何ら欧米の植民地主義者と変わらないと思ったことでしょう。戦争遂行のための資源を東南アジアに求めてきただけですから。
日露戦争で、ロシアに負けていたばかりのトルコが喜んだように、東南アジアの人々も、神のように横柄で自分たちの主張をごり押しする背の高い欧米人がチビの日本人に捕虜にされ、とぼとぼ歩かされるのを見て、目からうろこが落ちたのではないかと思われます。終戦後に元の植民地主義者が帰ってきても、東南アジアの人々は植民地主義者の言うことをきかなくなっています。文明国という幻影に惑わされてきましたが、実際は欲深く面の皮の厚い人間にすきないとはっきりとわかったからです。山下奉文がイギリス領シンガポールのパーシバル中将を怒鳴り散らしたように、イエスかノーか単純に問い詰めるべきです。植民地主義者が契約文がどうのこうのと言い出したらきりがありません。東南アジアの人々も長い忍従の時代を経て、やっとこのことに気づいて独立ができたのです。
日本が世界の植民地を解放したのだというのは言いすぎでしょう。日本も欧米の列強も強盗に過ぎないのですから、強盗に対する扱いは銃でもって追い払うことしかないということです。日本人の私から言えば、アジア人に自主独立の覚醒をもたらしたのではないかというのが、最低限日本が第二次世界大戦での貢献であると思いたい。
タイでは貧乏県の東北ナコンラーチャシーマー県の「寒村」の出身です。これら短編小説群ではほとんど貧乏が主人公になっています。タイ王族の関係者が出てきますが、ラワン材伐採の企業の所有者は王族だとわかります。王族に対比して象使いの四角い顔の異民族系の若者がいて、村の娘と結婚する予定ですが、王族もその娘にひかれます。王族にとって村の娘も自分のものだと思っているのでしょう。最後にはその若者は象とともに伐採所からいなくなります。その夜象がものを打ち壊すような音が聞こえます。朝、昨夜の雨で増水した川には建物が流されそうです。村人が「いいところの行けよ」とポツリと言います。四角い顔の若者を思ってのことでしょう。
農民が犬6匹飼っていて、その中の一匹が見栄えがよく、よくかわいがっていました。時に外人がやってきて、その犬を見初めて、調教したほうがいいといって連れ帰ります。何ヶ月して帰ってきましたが、その犬はかつての仲間の犬に噛み付いたり、あまつさえ農民のおじいさんまで噛み付いてきます。白人がくるとその犬は愛想よくじゃれつきます。知識人の先生によると、犬は白人に清潔感を教えられ、食べ物も皿に入れて出さないといけないし、爺さんそのものがぼろ服を着ているようでは不審者と思って吠え立てるのだろうということです。爺さんも家で一番いい服を着てみたのですが、その犬の行動は変わりません。最後には地主と犬を調教した白人が来て、ここの土地は白人に売ったから、いついつまでに立ちのくようにといわれてしまいます。
時に小説を読むということはその時代や国の状況を知ることにもなります。タイでの経済活動では王族が一番いいところをつかんでいるようです。かつては輸出輸入業も王族管理の下でやっていました。植民地にされなかったものも、はやくから欧米の企業がタイに進出してきたのもわかります。
私たち中学生ころは、セイロンと呼び首都はコロンボで、お茶で有名だと教わりました。今はスリランカになっています。本の写真はオランダ人が海辺に作った地方都市のゴールにあるフォート=城塞です。現在では刑務所や官庁などが入っています。1983年友杉がスリランカに行ったころは内戦が起こり、治安が悪いときです。大多数のシンハラ人=仏教徒と少数派のタミル人=ヒンドゥー教・イオスラム教との対立です。ほかにも少数派としてムーア人やマレー人がいます。
友杉孝はゴールで家系史を作り、どのように発展したかを調べています。たとえば金細工装身具業者はスリランカに土地を持たない低カーストの出身者ですが、それゆえにオランダやイギリスと付き合い、商売をしていきます。と同時に金貸しも行い、貸した金が焦げ付くと土地を取ったりします。とくにその金貸しがタミル人だった場合、農業従事者のシンハラ人の怒りを買います。いったん資産ができると、低カーストでも子供に教育を施し、あるものはイギリスなどに留学します。で、ますます豊かになっていくということになります。また、これらの家庭ではまたいとことの結婚が多く、資産を自分たちの家庭から漏らさないような算段をしています。その代償として、体の弱い子ができたりしています。同じような症状で死んだ人もいます。急にものが言えなくなり、一週間程度で死んでいくものです。悪魔祓いを呼んで治療していますが、たぶん脳梗塞ではないでしょうか。祈祷よりは外科手術が必要でしょう。
治安が悪いということで観光客もあまりいないようです。現在ではどうなのでしょうか。日本でもコロナウィルスがはやり、全世界から日本への渡航を禁じられているようです。観光立国を目指す日本にとって最大の試練です。今広島でもあちらこちらにホテルが建ちつつありますが、はたしてペイできるでしょうか?はなはだ疑問です。
昔、プロの将棋指しの加藤一二三が3時のおやつのときチョコレートをバリバリ食っていました。今も3時には甘い物を将棋指しは食べているのでしょう。プロの将棋界もアマチュアの将棋指しも甘い物は頭にきくと思っています。笠井に言わせますと、「急激に血糖値があがり、・・・一時的に疲れが取れたような気分になる」が、「血糖値を抑えるために膵臓が大量にインスリンを分泌し・・・かえって抑えすぎて血糖値が食べる前より低くなる」ということで、集中力が続かなくなるそうです。疲れたらまずたんぱく質をとるようにということです。ゆで卵、干物、枝豆などが最適です。世の中の常識はどんどん変わるのだということがわかります。
最近うつ病もはやっていますが、これも笠井に言わせれば、貧弱な食生活にあるということになります。うつ病の人の食生活のメニューの記録を見ますと、「肉マン、カレーライス、ラーメン」の繰り返しばかりで、炭水化物だけが多く、良質なたんぱく質、野菜などが欠けている食生活だそうで、これでは脳の、アミノ酸から作られるセレトニンなど物質が少なくなってしまいます。で、結局脳が働けなくなり、うつ病のような症状を呈するようになります。
はっきりいって、添加物満載のコンビニ食品を食べるより、自分で味噌汁でも作って食べるほうがより健康的だということです。主食(ご飯)、主采(たんぱく質)、副菜(野菜)、汁物(味噌汁、スープ)これら4皿を常時準備することで健康が保てるといっています。
80歳まで生きるとして、日に三回食事を取るとすると、87600回の食事になります。赤ちゃんのときは除き、年をとれば二食になり、あまり食えなくなるかもしれませんが、それでも8万回は食事することになります。これらの食事の中身で病気になったり、健康でいられると考えると、おろそかにすることはできなと肝に銘じておかないといけません。