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「ナグネ」とは韓国語で旅人を指すそうです。この本は80年代いろいろな雑誌に書いたものを集めたものです。フリーライターという仕事は不安定業種であり、金の切れ目が縁の切れ目ということで、冒頭、同居している女性が出て行ったというシーンが書かれ、小説かなと思いましたが、韓国に関するリポートです。関川は海外旅行を一つもしていないということでまず韓国に旅します。それから韓国語を習い始めます。いつの間にか韓国通になり、彼のライターとしてのポジションが決まります。「近くて遠い国・韓国・北朝鮮」をリポートするジャンルを開いたのです。80年代日本はアメリカに次ぐ世界第二位の生産力を持ち、鼻息の荒かった時期です。韓国へキーセンを求めて、淫欲な顔を連ねて渡韓していたものです。当時の韓国は、今もそうですが、日本に追いつき追い越せという異常な敵愾心を持っています。柔道で、日本の田村が朝鮮の選手に負けたとき、韓国でのテレビの中継をみていた人々が踊らんばかりの喝采をしていたと関川は書いています。特にスポーツなどは日本人に負けたくないと思うのでしょう。日本人相手になると異常な力が出るようです。野球にしてもそうですが、キムチパワーで土壇場で逆転されることが多い。
歌手・都はるみの「涙の連絡船」について解説し、彼女の父が韓国人であり、戦後北朝鮮に帰還した人々のこともこの歌の背景があるのではないかと言っています。美空ひばりそう、演歌には暗いものが背後になるのでしょう。「演歌」は「怨歌」とも書かれる場合があります。
イギリスにお茶が入ったのは、ポルトガルの王女キャサリンがイギリスの国王チャールズ2世に嫁入りしたときです。1660年のことです。王女は中国の茶器や日本の漆器を持ち込み、宮廷に茶会を広めました。上流にはやるとそれが下流に広がります。このような状況のときに、1756年に慈善家ハンウェイとジョンソン博士の論争が起こります。慈善家ハンウェイは貧乏人が高いお茶を買うより、その分もっとましな栄養素のある肉とか野菜を買って食べるほうがいいのではないかと言い、特に緑茶は体には悪いと主張していました。当時お茶は紅茶でなくて、緑茶が主流です。慈善家ハンウェイは緑茶の工程で茶を熱するのに銅の釜でするので、緑青が茶に混じると考えたのでしょう。おまけに茶を飲んでいる時間は無駄だといい、人間が怠惰になるだけだと主張しています。これに対してジョンソン博士は、英国の階級主義者らしく、貧乏人が茶を飲むのは無駄であり、高い茶を買うより肉でも買って栄養をつけるほうがいいという、慈善家ハンウェイの意見には賛成していますが、有閑階級では、「茶は人々を楽しませ、勉強家をくつろがせ、運動不足の人の消化を助けるのに適した飲み物」といって、博士自身も日に何十杯もお茶を飲んでいたようです。
コーヒーでも紅茶でもそうですが、皿の上にカップを置いていますが、18世紀イギリスでは、茶は熱いものですからカップからこの皿に移して飲んでいたということです。ヨーロッパ人はおおむね猫舌だったのでしょう。日本や中国から見るとなんと行儀の悪いことか、でも、西洋人からみると、なんと優雅な仕草であろうかという感嘆している文章も残っています。
藤沢たかしの先祖はシーボルトと関係があり、蘭学者だそうです。父はアメリカの大学を出て、日清戦争では通訳官を務め、植民地になった台湾に行き、製糖業を始め、成功します。藤沢たかしは大正6年生まれで、暁月小学校に入り、そこでフランス語を習います。旧制静岡高校分科丙類(フランス語科)、京大の経済学部と進みます。卒業して三井炭鉱付属の化学工場勤務、それから徴兵を受けて中国大陸に、敗戦から日本に戻り、元の会社に戻ります。50歳になり代議士の引き合いで拓殖大学の事務員になります。男も50台、更年期があるといわれるように、ふっと立ち止まって考え込む時期があるのでしょう。それを「中年クライシス」という人もいます。家族のために一生懸命働いてきたあと、子供たちもそれなりに目鼻が立ち、もう一度自分自身を振り返ると、そこには青春時代自分が思い描いたものと現実の齟齬に気づき、果たしてこのまま人生を終えてもいいものかと考えるのでしょう。藤沢たかしにとってそれはフランス語であったということです。50過ぎて、次男が山で転落死し、彼自身も直腸がんになり、人工肛門をつけるようになります。生命には期限があると知ると、ますます、なされてないものをそのままにして死ぬことを耐えがたく思われてきます。それで藤沢たかしはパリ大学に留学したのです。単に箔をつけるために留学したのではありません。やむにやまれぬ自己確認の衝動であると思われます。昔の人は大概50歳前後で死んでいたのですから、青春の再現の噴出は起こらなかったのですが、80歳まで寿命が延びると、そのような気持ちにでもなるのでしょう。
私もタイの音楽が好きで、YouTubeでミュージックビデオを見ています。ポップな音楽もあり、民謡的な音楽も、演歌のような音楽も、古典的な音楽もあります。日本の古典音楽の楽器で笙というものがありますが、笙に似たケーンというタイの楽器があり、この音を聞くと何かしら懐かしさを感じられます。農村の青々とした稲田の広がっている風景を感じさせるのです。タイもまったく同じで、田んぼが広がっているのです。
タイのミュージックビデオで、奥さんがいるにもかかわらず、若い女を家に入れている男がいます。奥さんは耐えているようですが、若い女が奥さんに自分の汚れた下着を洗うようにと突き出します。とうとうそれに切れて奥さんは若い娘を叩きます。それに対し旦那は古い奥さんを家から追い出します。奥さんは仕方なく屋台を出し自活します。そのうち旦那が脳梗塞か脳溢血を起こし、倒れます。若い女は介護もしなくさっさと出て行きます。奥さんは戻ってきて、懸命に旦那の介護をします。徐々によくなり、めでたし、めでたし、最後には夫婦が仲むつまじいシーンで終わります。前川健一も言っていますが、タイの男たちは浮気者で、このように妻がいても若い女といちゃつく男が多いようです。田舎出の女性歌手が人気者になり、カネを儲け出すと、男がつきます。その男は字も読めない女性歌手に付け込み、女性が稼いで得た土地や家などすべて自分のものにしてしまいます。やがて若い女性を仲良くなり、女性歌手と別れます。それに対して女性の兄がとうとうその男を殺してしまいます。タイの芸能界にはこのようなことが多く、大物歌手もやくざの女に手を出して殺されてしまいました。「微笑みの国」といわれるタイの裏側はこのようにどろどろとしたものもあるのです。日本の老年退職者がタイに来て若い女と結婚しましたが、この女の元か、現役かわかりませんが旦那に殺されメコン川に沈められた事件もありました。どの国もカネがかかわると、凄惨的な事件になるのです。
今度は切々と男性が歌うミュージックビデオですが、4,5回に分けてドラマ仕立て模様になっています。若い男女の結婚前から結婚後、女の子が生まれて、その子が5歳くらいなるまでの物語です。結婚前別嬪の女は男からモテモテです。しかし美男子から捨てられます。仕方なく、うだつのあがらない男と結婚します。でもこの男は真面目で農業をしているのですが、少しも豊かにはなれません。業を煮やした妻は赤子を置いて、都会の金持ちと一緒になります。この貧乏男は戻ってくれと懇願するのですが、女は拒絶します。やがて女の子が4,5歳になると、元妻は子供を引き取ろうとします。タイ語はわからないのですが、二人の言い方を見ると、元妻はこのような貧乏では子供にいい教育もできないとか言っているのでしょう。やがて子供を引き取る日がやってきます。このシーンは涙なくしては見られないものです。私も涙ぐみました。女の子は元妻の腕をはらって、父親にしがみつくのです。元妻は腹を立て、金持ちの旦那と高級車に乗って帰ります。やがて金持ちが何か不正をしたのでしょう。旦那は警察に捕まります。元妻は新しい旦那の借金のかたに、暴力団に売られます。そこで売春を強要され、拒否すると殴られます。元妻はそこを抜け出し、元旦那のもと逃げ帰ります。暴力団員が追っかけてきますが、元妻は隠れて見つかりません。その代わり元旦那が殴られます。殴られながら、元旦那の視線は隠れた妻に向けられ、出てきてはいけないと諭します。やがて暴力団員はあきらめ、銃を一発空に向けて撃ちます。妻ははっとして両手で顔を覆います。その後、体の衰えた妻を旦那がかいがいしく養生し、妻も元気になり、めでたし、めでたし、親子三人幸せな日々が到来します。これをみるとタイの高度成長時代がわかります。放し飼いの鶏の卵や青菜を市場に持っていって売っても大して儲からないということです。金持ちの旦那はバンコクに数軒の店舗をもっていましたが、美容院かマッサージ店かと思われます。暴力団とつながりがあるとなると、裏では性的なマッサージをしていたのでしょう。純朴な国だと思われているタイも一歩裏を見れば、金儲けに狂奔するどの国とも変わりません。
「排泄を探ることは、人間を知ることでもあるのだ。これからも、その国と親密になるために、現地の人々と同じように、食って寝て出す旅を続けていこうと思う」
斉藤政樹はこの本を締めるに当たって、こう書いています。どの旅のガイドブックを見ても便所の情報は載っていません。この本が出て24,5年経っていますが、世界のトイレ事情はどうなっているのでしょうか?私もソウルや釜山に、7,8年前に行きましたが、ソウルのホテルではトイレットペイパーが流せなくて、くずかごに入れていました。人間の基本的な習慣は早々変えることができないのかもしれません。斉藤政樹はわざわざくずかごにあるウンコのついたトイレットペイパーも広げて調べています。マニヤックな男でもあります。
豚にウンコを食わせるトイレを見るために、ネパールの奥深い村まで出かけています。タイの奥地にもそのようなトイレを見に行っています。ネパールの豚は斉藤政樹のウンコに歓喜狂乱したそうですが、タイの豚は遠慮深そうだったということです。
イランやインドネシアのイスラム教徒のトイレは、自分の左手に水を受け、それで肛門を洗うのだそうです。インドもやはり左手でトイレットペイパーの代わりをしています。おまけにインドではベジタリアンが多く、斉藤政樹もそれに習って、肉や魚を食べないと、糞切れもよく、あまり臭くなく、ガンジス川の水を飲んでも腹を壊すことがなかった証言しています。
中国ではよく知られたように、トイレに戸はありません。丸見えです。みながみなそうですから恥ずかしさもないのでしょう。天安門広場には網の目の鉄板が下水の上に敷かれていて、それが即席の便所になります。何か催し物があれば、その上にテントが張られ、トイレになるのです。トイレの中では仕切りなどありません。一列にウンコ座りになっているのを見ると壮観な感じがするでしょう。