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近くて最も遠い国といわれている韓国、北朝鮮、今日のように険悪な状態になっているのはどうしてでしょうか?隣国であるということがもっとも大きな原因でしょう。国境を接している国はお互い利害が対立するためにいろいろ問題が起こるのでしょう。おまけに長い歴史が絡んできます。遠くは神功皇后の朝鮮征伐、元寇、豊臣秀吉の朝鮮出兵、最近の朝鮮併合とあり、特に明治の後半、日清・日露の戦争で勝ち、それまで謙虚であった日本人が自信を持ち、庶民のレベルでも朝鮮人や中国人を馬鹿にし始めたことで、朝鮮人や中国人の反感をいまだに生み出させているのでしょう。日本軍が進軍したところの現地人がまず最初に覚える日本語の単語は「馬鹿やろう」です。おまけにビンタです。ヨーロッパの旅行者が、朝鮮で背の小さい日本人が背の大きい朝鮮人を怒鳴り散らしたり殴ったりしているのを記録しています。李朝最後の皇后「閔氏」を、たとえ朝鮮内部の政党闘争が絡んだとはいえ、日本人の浪人が殺したとは、CIAに勝るとも劣らぬ謀略の限りを尽くしていることになります。日本が敗戦して、しばらく在日朝鮮人が荒ぶった時期がありましたが、われわれ日本人にとっては腹立たしいことではありますが、われわれの所業を省みえれば、それも遺憾しがたいものだと思われてきます。
昔も今もそうですが、芸能界は在日や朝鮮系の人たちが多い。学校を出てもまともな就職先はないのですから、自営するか、芸を磨いて俳優になるか歌手になるか、スポーツ選手しか生きる道はないのです。美空ひばりだって父親が朝鮮の人ということで、「悲しい酒」いつも美空ひばりが涙を流すのは、父親の苦難を思ってのことだと、野村進は解説しています。いまだに朝鮮系を馬鹿にする風潮がありますから、芸能人も自分の出自を隠しているのが多い。私も少年のころ力道山にあこがれ、外人選手を空手チョップでバッタバッタと殴り倒していくのに喝采をしていたものですが、彼が朝鮮人だとわかるとがっかりしたものです。しかしよくよく考えてみると、在日はヤクザも多いいけれど、野球では金田、張本、金本、新井など球史に残る人物も多く、芸能界でも華やかにしてくれ、実業界では孫正義、ロッテの会長などの大金持ちもいます。これらはみなギャップを跳ね除けて、大成功した人たちで、ギャップのない我々がそこまで到達しないのか不思議でたまりません。「なにくそ」という思いが強いほど成功するのでしょう。孫正義の自伝を読むと他人事ながら泣けてきます。
水野潮はタイの女性と結婚し、女性の実家であるチェンライという農村に家を建てて住んでいます。チェンライは観光で有名なチェンマイの近くにあります。隣の国ミャンマーとの国境に近い村です。バックパッカーで世界を放浪し、タイの女性に捕まり、1980年代から90年代、あっという間に時間が過ぎていったと書いています。家を建てたらまず最初に入るのは猫だそうです。猫を飼っていなかったら、どこから猫を借りてきて、家に入れるのだそうです。水野潮の想像によれば、猫の目が宝石のように見えるから、カネがたんまり儲けられるという思いがあるということになります。タイの女性は鉱物の金に大好きで、金のネックレスのプレゼントが一番喜ばれるそうです。はじめは日本人だからということで金持ちと思われていましたが、自分たちと同じくらい貧乏だとわかると、仲間に入れてもらって、農村生活を楽しんでいます。中には問題な人もいて、仕事もせず、年寄りの母からカネをせびり、飲んだぐれで、飲んだらけんかばかりしている男もいます。タイの音楽のミュージックビデを見ると、飲んだくれてばくちばかりをしている中年の男たちが再々見受けられます。水野潮によれば、このような暑いところで一生懸命に働くと死んでしまうということで、タイの男たちのぐうたら加減さを擁護しています。実際に嵐の日にはマンゴーが地上に落ちてきます。洪水の日には、台所から釣り糸を垂れると、魚が釣れます。カネがなくてもそこらに生えている草を刈り入れて食べることができます。米がなければ、隣からもらうだけです。でも少しずつタイも変わりつつあります。裕福さを知ると、タイの農村にまで資本主義経済が忍び込み、金持ちはエライということになってきているようです。
インドにはカースト制とは別に職業別の集団もあるようです。調理人という職業集団には、カースト制の最高階級ブラフミンもいて、アジャンタ九段店にもそのような人がいて、司祭階級らしく完璧菜食主義者で、気難しくて妥協性がなく、2年くらいでやめてということです。鍋ひとつにしても肉をいためた鍋は決して菜食主義者には使うことができないそうで、日本だから仕方なくその鍋も使っているといっています。今のインドでは大分廃れていますが、昔調理人集団は家族全員で、結婚式の大掛かりな料理を請け負うのです。長いのは一週間も飲み食いするのですから、その支度たるもの大変なものになります。
少し前、コンビニのアイスボックスに店員が入り、ふざけている動画の投稿で物議をかもしていましたが、アジャンタ九段店でもそのような悪ふざけをやっています。いまでは炎上し、謝罪するはめになるようですが、浅野哲哉がアルバイトをしていたときは、アジャンタ九段店には毎日満員盛況振りを示しています。このようにはやった店が86年に突如やめてしまいます。そのころはバブリーな時代ですから、もし物件を借りていたとすると、法外な家賃の値上がりがあったのでしょう。地上げ屋などが暗躍し、アジャンタ九段店の跡地に高層ビルでも建てたのでしょう。
浅野哲哉自身はインドを何回も旅行し、日本でアルバイトをし、そのもうけた金でその旅行の費用に当てています。法政大学を中退しましたが、「インド食文化を探求するフリーライター」として活躍しているそうです。イラストもうまく、アジャンタ九段店の店内をきめ細かく描いています。これを見ると、ゆうに100人くらいお客さんが入れそうです。これが何と何回転するのですから、ずいぶん儲けたことでしょう。
タイからマレーシアに入るとき、入管のポスターにはヒッピー入国禁止と書かれていて、前川健一は長髪を切られています。サンダル履きで長髪なのでヒッピーに見られたのでしょう。好きな格好で世界を漫遊する、何と素敵な生活でしょうか。遠くはアフリカ、この本では東南アジアの国々を回っています。屋台の食い物に目がなくて、あちらこちらで食しています。水などがぶがぶ飲んでいますが、腹痛にならないほど現地の人の体質になっているのでしょう。おまけに辛いものが大好きで、もはや日本人の平均的な嗜好を超えています。前川健一は若いころアルバイトで中華料理屋のコックをしていたと書いています。いざとなれば世界のどこにいても、中華料理屋があればアルバイトをして旅費を稼げることができたでしょう。でも今では本も何冊か出版し、その印税で物価の安い東南アジアを回っているのでしょう。そうはいっても現在では前川健一67歳にもなり、2000以降本も出版していないところを見ると、世界漫遊はやめているかもしれません。たった数冊の印税では食ってはいけないでしょう。年金も国民年金でしょうから、年金では暮らしていけません。東南アジアの物価の安いところで、年金暮らしをしているかもしれません。私のように刺身を食いたいとか、あっさりしたものを好むのは東南アジアの物価の安いところでは住めないでしょう。やはり前川健一のように若いときから胃袋を鍛え、何でも食えるような体質にしておかないと海外には移住できません。
YouTuberには世界を旅行するのを動画としてアップしています。豪華客船にのったり、航空機で100万円以上もするファーストクラスに乗ったりして、そのリポートを動画にしています。それらに費用はYouTubeから出ているのでしょう。ここにも豪華客船の食事やらファーストクラスの食事などリポートしていますが、ホテルのしゃれたレストランとメニューと同じものです。東南アジアのカキ氷の氷は鶏肉を冷やしたものの氷で、それを日本にも昔あった手回しの機械で摩り下ろすのです。前川健一はそのようなカキ氷も食っていて腹痛を起こしてはいません。
1972年の4月から1年間ソウルに行き、留学したのですが、その日に戒厳令が引かれ、大学は閉鎖、繁華街で飲み歩き、雑談したり、ときには韓国の文芸書を買い、読んだりしているうちに、何ヵ月後に大学が再開し、韓国語と文学を研究したということになっています。彼は朝日新聞を休職し、ソウルに来たのです。年は47歳です。その前にも二度記者としてソウルに来ています。それに彼はソウルの小学校や中学校を出ています。それから日本に帰ってきて新制の東京大学文学部に入学し卒業しています。多感な時代ソウルにいたということで、懐かしさもあり、同時に韓国の変わりようを見てみたいということもあって留学を決意したのでしょう。明洞の飲み屋街に若い娘たちが多くいることにびっくりしています。4年前に記者としてソウルに来たときは、この明洞には男ばかりで、その酔っ払い相手の飲み屋のかみさんか、ホステスさんくらいしか女性はいませんでした。それが大学生かと思われる女性が夜遅くまで歩き回っているのです。
この時代の韓国の大統領は朴正煕で、日韓基本条約で得た3億ドルの無償提供資金で「漢江の奇跡」を起こし急成長を遂げた時代です。今も留置場にいる朴槿恵の父親です。父親も母親も暗殺され、彼女が大統領時代、その反日ぶりにイライラさせられてものでしたが、ある面かわいそうなところもあります。田中明も書いていますが、教条的な反日はかえって中身を薄くするものであり、また日本の謝罪もそれを口にするとかえってうすペッらいものになると言っています。韓国と日本は言語もよく似ているものであり、お互い文学書など読みあい、理解を深める必要があると結んでいます。