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ソニーがパソコンを作りよりは、エンターテイメント業界に重点を移したように、アメリカの企業の早くから物を作るよりは、映画とか音楽とか遊園地など、産業界の水商売に手を伸ばしているようです。物を作る企業もエンターテイメント性を取り入れないと、競争から脱落するので、その製品とは関わりのないような広告を作り、話題性を高め、自社の認知度を高める政策をとっているようです。マイケル・J・ウルフはエンターテイメントの専門家として、コンサルタントを生業にしています。彼によりますと、今からの社会はまじめに仕事をこなしているだけでは駄目で、何か面白いことを添加しないと仕事の存続も発展もないということになります。そうかといって面白いことはそうそうなく、ソニーも「ゴジラ」という映画で、宣伝の割にははやらなくて大損しています。おまけに大衆は飽きっぽい人たちで、かつてはヒット曲は10年も続いたものですが、今では今日ヒットしたら明日にはもう忘れている状態になっています。この本は1999年に出版されたもので、まだインターネット草創期で、マイケル・J・ウルフもどう扱っていいものかわからないようです。流れとしては新聞を駆逐するだろうといっていますが、まだ中身・コンテンツはテレビにかなわないだろうともいっています。しかし現在若者はテレビを見るよりYou Tubeを見ているほうが多いようです。それらの製作者も素人が多く、好き勝手にやっていますから、かえってそれが面白く、玄人受けする画面など、やらせだと思い、信用からほど遠いところにあるようです。
「民」とは敗戦国の人民で、目を刃物でつぶされ、奴隷になった人たちを指します。同様に「妾」とは負けた国の女たちで、これも奴隷にされます。「臣」も敗戦した国の人ですが、優秀なので目をつぶされないで戦勝国で奴隷として使われます。「宰」とは「臣」のなかでも飛びぬけて優秀な人たちを言うのです。
最近中国の共産党が作った2050年の世界地図がありますが、日本は静岡県までは中国の東北部県に属し、かろうじて東京以北が日本国の自治権になっています。こうなると西日本の大方の人は奴隷状態になるのでしょう。まさか目はつぶされないかもしれませんが、臓器移植の材料になるかもしれません。目だって大事な臓器ですからそんな無駄なことはしないでしょう。女たちも共産党幹部を接待する「喜び組み」になるかもしれません。
「取」も元来の意味は、戦争で死んだ敵の耳を切り取り、褒章にあずかるということなのです。豊臣秀吉も朝鮮でやっていましたが、これは中国に見習ったのでしょう。
「弔」(とむらう)は、中国でははじめ人が死んだら原野に放置していたのですが、禽獣に食い荒らされてかわいそうだということで、親族が弓で持って追い払っていたということです。だから真ん中の棒が死体です。でもやはり腐っていくので、土の中に埋めたのが「墓」で、土を盛り上げてその中に埋めたのが「墳」ということになります。原野に死体を放置したという意味の漢字は「葬」ということになります。草冠が草原で、死体を、一番下のつくりは担架のことを表し、それで運んでいったということを示しています。まったくよくできた言語です。
マサチューセッツ大学海洋工学を卒業したルイス・ピーノルトは当時ライジングサンといわれていた日本に来て日本鋼管に勤め、3年後ロンドン大学に入り、その後日本語が堪能なため、東京でアメリカのコンサルティングの会社に勤めます。そこの会社の受付嬢と最初の結婚をし、忙しくすれ違いの生活が多く、嫁は日本の実家に帰り、シンガポールでルイス・ピーノルトは中国系の新聞記者と仲良くなり、日本の女性とは離婚します。日本の女はおとなしく、離婚はそれほど修羅場にはならず、反対に新しく結婚した中国系の女とは日々争いに明け暮れたと書いています。何しろ英語も中国語も「I」とか「我」を主語に立てるのですから、自己主張が強く、折り合うことができないのでしょう。ほとほと中国女に懲りて、こんどはインド系の女性と結婚しています。この本の出版は2000年ですが、現在もインドの女性とうまくやっているのでしょうか?
コンサルティングという仕事は「知識」を売り物にするのですが、ルイス・ピーノルトによるとその「知識」にしても詐欺のために使われるものであって、詐欺の常套手段であり、それらしく見せることが重要です。そのためには有名大学の学歴を身につけ、飛行機でもファーストクラスに乗り、ホテルも一泊何十万円する部屋の予約を取ったりします。それらはすべてクライアントから出た金ですが、あえて強く吹っかけることが、かえって信用されるということになります。
解説でもこう書いています。
「アメリカ経済の強みは、こつこつ繊維とか鉄とかプラスティックとかで額に汗してモノを作ることにはなく、情報とか、金融とか、そしてコンサルティングといった、どこか実体の乏しく、何となくいががわしいが、しかしゴマンとあぶく銭を稼げるギョウカイにあるように思える」
アメリカという国は詐欺師の国であると同時に、軍事力が世界最大ということで、強盗にもゆすり・たかりにもなれる国でもあります。ライジングサン時代、日本の銀行がアメリカに食い入ろうとしましたが、いいようにあしらわれて、不良債権をつかまされ、今日の没落に陥った大元の原因です。現在もそれに懲りていなく、ソフトバンクなどはアメリカの投資会社から薦められてクズの会社を買わされています。
大まかに金貸しの日本史を述べると、大和朝権ができたころは、国が農民に田植えのために籾を貸し与え、収穫のときは何割かを増して種籾を返してもらうということから出発し、仏教が広まると寺院が金貸しを始めます。鎌倉、室町になると、「土倉」という金融業者が出てきます。質屋でもあり、金主から金を預かり、高利で他人に貸して高い利息をとったりしています。この時代何度も徳政令出て、高利貸しは損をしたようですが、実際はその何倍も儲けているのですから、どっこいどっこいだったのでしょう。特にこの頃から御家人に賭博がはやり、もともと利息など考えない、熱くなっている連中ですから、あっという間に借金もぐれになり、にっちもさっちもいかないようになったのでしょう。江戸時代になると両替屋ができ、これが金貸しもやり、大名の米を管理する「札差」が大名相手に金貸しもやり、庶民にいたっては、「座頭貸し」(盲人の金貸し)やら、「日銭貸し」とか「烏金貸し」とか多彩な金貸しが生まれます。もし私が江戸時代夜鳴きそばの屋台の商売をしているとして、朝、「日銭貸し」のところに行き、100文借りて、そのうち20文は利息として取られ、80文でものを仕入れ、運がよければその夜120文の売り上げをし、次の朝「日銭貸し」へ行って、100文返し、また20文利子を差し引かれ、100文借るという生活を繰り返すようです。これではいつまでたっても、借金漬けで浮かばれるような生活にはならないでしょう。そうかといって今の私も70過ぎても働かないといけないということは、江戸の夜鳴き蕎麦屋とあまり変わらないということになります。
江戸末期日米修好条約が締結されましたが、これによって日本から小判が出て行き、金がほとんどなくなったということです。日本の武士の無知に付け込んでハリスがごり押しした条約の結果です。
中国の成り立ちは今から3000年前に、東の殷と西の周と相克・合体したことからはじまります。東の殷は豊かで、子安貝を貨幣として使っていました。貝のつく漢字はすべて金や財産や財宝などを示します。合体を潔しとしない殷人はその地から去り、自分たちを「商」と名乗ります。それが商人や商業になり、現代では華僑につながるものです。一方周は羊でもわかるように遊牧民族であり、羊は神に捧げる貢物を示し、羊のつく漢字は「義、美、善、祥、養、儀、犠、議、・・」ように「無形のよいこと」を示し、精神性を重んじます。中国人とは一方ではキャピタリズムを示し、また一方では、イデオロギー論者でもあります。砕けて言えば、カネと論法ということになるでしょう。中国語も「我愛・・」でもわかるように主語のある言語であり、英語とよく似ています。ヨーロッパも中国も民族同士戦い、負けると消滅を繰り返してきたのですから、どうしても「我、我」と大声で叫ばなければいけなかったのでしょう。
この本で面白いと思ったのは、宋代の「笑苑千金」のなかにある、「三千貫の報酬で死刑の身代わりを引く受けた男の話」です。この貧乏男は一千貫を父母の老後に残し、一千貫を自分の弔いの費用に、あとの一千貫は自分の墓の横に積んでおくというのです。なぜ一千貫を墓の横に置くのかというと、銭を持って帰る人々が自分のことを金持ちだと思ってくれるだろうという理由からだそうです。やはり中国人には「面子」が銭と同等に必要であるということがわかります。「面子」をつぶされるほど、中国人は怒り心頭することないのですから、虎の尾っぽである面子を踏まないように外交面でも注意深くやっていく必要があります。