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上野の西郷ドンの銅像は、奥さんに言わせればあんな顔ではなかったということです。何人もの画家が描いていますが、眉毛が太く、眼力のある目で、がっしりした顔つきから体もそれなりに大柄であったろうと想像されます。西郷ドンが若いころ島に流されて謹慎中、たちの悪い蚊に刺されて、金玉が異常に大きくなる病気になっています。だから西郷ドンはズボンを着用することなく、上野の銅像のような着物を着ていたのでしょう。腫れ上がった金玉はさらしで巻いてつっていたのかもしれません。その病気を持つ患者の金玉の写真を見ましたが、まるで大ぶりのかぼちゃ二つが股から垂れ下がっているのです。これでは歩くにも難渋します。
ちょんまげをしていた頃からたった20年で、飛行機を作ろうとした男が四国にいました。愛媛県宇和島の二宮忠八です。看護兵でしたが、軍に飛行機の開発を提案して受け入れられず、それではということで、独立し、薬科業界で頂点になり金をもうけましたが、その頃ではすでにライト兄弟が飛行機を飛ばしたといことで、飛行機開発をあきらめたそうです。それにしても明治維新からたった20年そこらで空を飛ぼうとするなんて、世の中には先の読める人が少ないながらも必ずいるということがわかります。今日本は停滞気味か衰退の退潮であるようですが、このような元気な人が出てもらって、再び日本を活気ある国にしてもらいたいものです。
資本主義が爛熟すると、創業家一族が経営にタッチしなくなります。この本では「所有」と「経営」に分かれるといっています。株を持った資本家と、雇われ社長とその会社の従業員とになります。資本家は短期のサイクルで株の配当を期待します。低成長と革新的技術の枯渇にみまわれた会社の社長は、今期の利益を出すために従業員の首を切ったり、本業以外の投資や、買収、合併といった操作で何とか利益を出そうとしています。長期的な展望で会社を経営することができなくなり、金融会社に操られて、カジノ経済に繰り出すわけになります。ギャンブルとはゼロサムの世界ですから、誰かが儲けると誰かが損をして、胴元つまり金融会社だけはがっぽりと手数料を取るといった仕組みになっています。これがアメリカのラスベガスだけで収まれば別に問題はないのですが、グローバリズムでカジノ経済を世界にばら撒き、規制を撤廃し、自由に賭博をやらせるような環境を作り出します。そこで何が起こるかというとバブルの崩壊で、えいえいと溜めてきた年金や郵便保険の原資がろくでもない債権を買わせられ、あっという間になくなってしまうことになります。ほくそ笑んでいるのは詐欺師まがいのアメリカの金融会社です。通貨のドルすらアメリカが紙くずに過ぎないと宣言すれば、日本の企業が辛苦して溜め込んだドル建て何百兆円もの預金など、レモン一個も買えなくなります。このような危なっかしい資本主義をどのようにすすめていったらいいのか、誰だって確信を持ってこうだといえる人はいないようです。行過ぎたグローバリズムをやめて、国々がそれぞれに規制を復活し、金融経済の暴走を防がないといけないということは、うすうすながら気づいているようです。
古代日本語には「ん」がなかったということで、空海がサンスクリット語から「ん」を作ったといっています。だから「神皇産霊尊」という神の名も「シンコウサンレイソン」ではなく、「カミムスビノミコト」といい、「天地」も「テンチ」ではなく、「アメツチ」といっていたということです。だから万葉集時代の知識人は「天地」という漢字の中国読み「テンチ」は発音できたかもしれないが、書きようがないので「アメツチ」とルビをふっていたのでしょう。漢字には「ん」がつくのが多いのですから、空海が「ん」を発明して、途端に日本語に和語に変換しなくてもいい漢語が増えたということになります。
私は平安時代の貴族のあり方、女をたらしこむために和歌を作り、何人もの女と寝て、どうしようもない軟弱な男たちで、これでは武士によって制圧されるのは歴史の流れで当たり前だと思っていましたが、この本を読むとどうも違うようです。現在のエリート官僚と同じように、激烈な出世競争をしていたということで、和歌はその競争の必須アイテムなのです。身分の高い女性と通じるためには和歌の優劣が重要なのです。位の高いお嬢様の心を引き止めるには、とびっきり上等な和歌を進呈しなければいけません。平凡な歌では屑篭に捨てられるだけで、気にも留められません。いったん身分の高いお嬢様と関係ができると、その家の引き立てで出世できるということになるのです。現在でも女性が好む歌手やタレントの収入が多いように、注目される男とは女の引き立てが何よりも増して必要なのです
B層とは「マスコミ報道に流されやすい比較的IQの低い人たち」ということで、小泉郵政改革のときに、ある広告会社の企画書で述べられたものです。このように頭の弱い人には、わかりやすく、短い言葉を繰り返し、そういう人たちを取り込んはでいこうという作戦です。B層とはつまりわれわれのことです。オルテガを引用し、こうも言っています。
「凡庸であることを自覚しつつ、凡庸たることの権利を主張し、圧倒的な自信の下、浅薄な価値観を社会に押し付けようとする存在」
今日ほど、B層がしゃしゃり出ている時代はありません。それはインターネットの発達で、誰もが発話したり、YouTubeで映像を流すことができるからです。長く日の目の当たらなかったB層はまるで酸素がたまりオゾン層ができそれが紫外線を遮蔽し、海の底によどんでいた単純細胞が上昇し海辺に住み着き多様性を増していった時代とそっくりです。今のところ凡庸ですが、雷鳴がとどろき、稲光に当たると遺伝子の変換が起こり、オルテガを超える人も出てくるかもしれません。
このようなことは何億年とかかることですから、今B層は何をしたらいいかということです。IQが低いのですから、それを自覚し、マスコミを一切信用せず、うまい話にはのらないことです。自分が考えたこともIQが低いのですからあまり信用せず、安易にfacebookに載せないことです。適菜収の言うとおり、わからないことはわからないという勇気を持つべきです。もかもコメントするようではテレビの雛壇にいるコメンテーターように本当にバカに思えて何きます。
1838(天保9)から1922(大正11)84年間生きていた人です。生前は125歳まで人間は生きることができると説いていましたが、それには達しませんでしたが、明治の男としては長生きのほうです。剣で斬りあっていた江戸の末期から,シルクハットをかぶって外国の外交団と会う、何と言う変わりようでしょう。
中国近代化のために早稲田大学に多くの中国人学生を受け入れましたが、1915年(大正4年)中国に対して21か条の要求を、大隈内閣は突きつけました。著者の真辺将之もこれはまずかったといっています。これによって中国において抗日の運動が高まったからです。しかしこれも現在の地点で見るからであり、前年には第一次世界大戦が起り、列強各国は世界の取り合いで総力戦になっていたのです。幸いにして日本は戦場から遠く離れていましたので、火事場泥棒のようなことをしてしまいましたが、それ以前の欧米強国のやり方は泥棒というよりは、強盗、恐喝、殺人といったようなもので、世界に惨禍を広めていました。21か条を中国に突きつけないで、日本軍が中国各地に進出していた欧米各国を中国から締め出し、日本も軍を日本に引き上げて、さあ中国さん、近代化して他国からなめられるような国にしないでくださいと武士道のような手はずをしても、果たして中国は近代化できたでしょうか。あいも変わらず、国内で諍いをし、外国と通じて賄賂を取ったりしてますます混迷を深めるだけでしょう。中国や朝鮮半島でもっとましな
日本のやり方があったのではないかと、今思いますが、当時は当時で日本の最高の知性が考えやったことですから、後付でものを考えても、埒の明かぬものであり、歴史の流れはどうにでもならぬということがわかるような気がします。