[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
自己啓発本や自己成功吹聴本などを多く読むと、馬鹿になり、上級国民になれるどころか下流国民に落ちること必定だとよく言われます。それは個々の著者が自分の成功例だけで、それが本当の成功であるかどうかはわかりませんが、自慢話だけで、自分を大きく見せるために吹聴しているだけかもしれません。それでエリック・バーカーは自分の啓発本に「科学的なエビデンス」、科学実験による検証を持ち込んだというのです。科学による検証ですから、自分の言っていることはニュートンの物理学と同等に正しいことだということになるようです。エリック・バーカーの成功とは大金持ちになるということです。
科学もそうですが、95%は仮説といわれています。まだはっきり白黒つけられないことが多いのです。この本でも相矛盾したことがでています。「テイカー」か「ギバー」という問題です。一般的にいうと、上級国民のほうが「テイカー」(奪う人)が多く、下流国民には「ギバー」(与える人)が多い。しかしながら最上級になると「ギバー」が多くなるというのです。私の考えですが、使えきれないほど金がたまるとギバーになって、かつてのテイカーの罪滅ぼしをしたいという気持ちになるのでしょう。はじめからギバーであったとは考えられません。中にはそういう人もいるかもしれませんが、初めからブッタや孔子のソクラテスのような人だったら、ビル・ゲーツやジョブスのような大金持ちにはならないでしょう。「衣食住足りて礼節を知る」ということです。また「情けは人のためならず」というものもあります。他人に親切にしているとそれが自分にもかえってくるということです。何も科学を援用しなくても、諺で十分やっていけます。
トランプタワービルは実際は58階しかありませんが、エレベーターのボタンには68階まであります。タワービルでは高ければ高いほど値段が上がるということで、金にうるさいトランプがそのようないんちきをしたそうです。
名犬ラッシーはテレビでよく見ていました。あのように賢く貴族的風貌の犬の存在をこのテレビドラマではじめて知りました。当時にはスピッツという真っ白い毛深い犬も売られていましたが、よくキャンキャンとなく犬で、近所には迷惑な犬でした。このラッシーを作るために、4000頭もブリーダーで作っていたようです。ドラマに登場する犬は一代目と二代目で二匹ですが、その替え玉として、数頭似たような犬がいました。コリー犬の本来の色は茶色ですが、ラッシーの場合少々脱色してやや白くしていました。あのころ登場していた子役もいまでは90過ぎになっているでしょう。死んでいるかもしれません。
銃弾を咥えるマジックは本当に撃った弾を歯で咥えるものではありません。そんなことをしていると命がいくらあっても足りません。印の入った銃弾をすり替え、実際は空砲で、爆発音にあわせてその銃弾を口に咥えるのです。お客の中で自分の銃を持ってきて、マジシャンに触らせず、玉をこめてマジシャンを撃とうとしたことがありました。マジシャンもたいした度胸です。受けて立ったのです。その観客は撃つことができませんでした。
「・・・引き金が引かれていたら、おそらく、今日が私の最後の公演になっていたでしょう。・・・」
劇場は大拍手で包まれたそうです。
ケロック社はケロッグという兄弟が起こした会社です。早々から兄弟が仲たがいをし、訴訟しあいます。おまけに孫までもその訴訟に巻き込まれその孫は自殺してしまいます。兄弟こそ仲良くすべきなのに、金が絡むとひどい諍いになるようです。遺産相続でよく聞く話です。儲かるのは弁護士だけです。
映画で「カジノをぶっとばせ」といったようなタイトルで、大学の数学の教授と院生たちが、出てくるカードを暗記する訓練をしてカジノに乗り込み大もうけするというものがありました。それをカウントというのでしょうが、カジノではこれが禁止されています。それが見つかり教授はカジノの用心棒にこてんぱに殴られます。ウィリアム・パウンドストーンは小型のコンピューターを足にくくりつけ、カジノでブラックジャックを遣って少し儲けています。少しぐらいではカジノは文句を言わないのでしょう。
日本でも話題をさらいましたが、デイビット・カッパーフィールドの「自由の女神」を消すマジックの種を明かしています。図も出ていて説明しているのですがよくわかりません。要は見ている人たちの場所が気づかぬうちに移動していて、自由の女神を正面に見ていないことになっているということです。
ゴットファーザーのマーロン・ブランドはアマチュア無線の愛好家で、タヒチ島の近くのテティアロア島を買い、そこからアマチュア無線でカリフォルニアの愛好者と通話しているようです。
アメリカにも新興宗教はあり、いろいろ問題を起こしているようです。いまだに進化論を認めない州があるので、そのような団体も次から次と現れてくるのでしょう。既成の宗教団体でも、そこの説教師はいかに多くの金を集めることができるかどうかでランク付けされているようです。証券会社のディーラーとあまり変わりがないようです。
私の店にも「南條勇希」さんが、ひいきの女性と来られ、勇希さんの写真が載った絵葉書をもらいました。その絵葉書は今も店に飾っています。「南條」という名は大衆演劇では名門の筋にあたるのでしょう。
鵜飼正樹はフィールドワークのため、一年ちょっと、市川ひと丸劇団に入り、「南條まさき」という芸名をもらって、座員として過ごします。京大の修士課程にいて、休学し、ここでの経験を論文にしたためようとしたのでしょう。京大大学院の高学歴の鵜飼は中卒や高校中退にいたぶられたり殴られたりしながらも、徐々に仲間として認めてもらえるようになります。頭もパンチパーマに変え、街を歩く若い女性に「オメコしようか」といえるようになります。
鵜飼正樹と南條まさきの違いは、「学校的世界にとらわれて身動きのとれない」のが鵜飼正樹で、「優等生コースに乗るうちに、いつの間にか身についた学校的考え方、ことば、身振り。ときには慎重に、ときには暴力的に、それらは一枚一枚はがされていった。そうして残ったものが」南條まさきであるということになります。しかしながら京大大学院という「安全地帯である場所をキープしたうえでのことで」一年ちょっとでは南條まさきになりきることはできません。そうかといってもとの鵜飼正樹にも戻ることはできないのです。社会学も物理学の影響を受けて、純正の観察者は世の中にはいないということになります。観察するものがいれば、観察されるものは変化し、それと同時に観察するものは変わっていくということになります。
千葉繁、1834年天保5年生まれ、父親が医者で、忠詮、浜松藩の江戸詰め典医。その関係から繁も浜松藩、後に鶴舞藩(井上正直が殿様)オランダ医者として仕官する。明治維新後、殿様の井上正直の紹介で、あったかなかったかはっきりとわかりませんが、その当時の武士の転職を見ると、そのような傾向もあり、横浜刑務所病院の医者として勤務するようになります。数年して退職し、「The Book of Nature」(ジェームス・アストン著)を翻訳し「造化機論」という題名で出版。この本の中には、日本の浮世絵のデフォルメされたものとは違って、精密な男女の性器の図が載っており、当時ベストセラーになった本です。この本の中身で、後々性にまつわる常識が確立されていきます。清教の影響からジェームス・アストンは手淫のやりすぎは精神と肉体を蝕むと解説しています。それまで性のおおらかであった日本で、一挙に重苦しいものが垂れ込みます。それまでも貝原一軒のように性欲の乱費をたしなめていますが、禁欲をするなとは言っていません。明治の富国強兵とあいまって、このような考え方が周知されてしまいます。受験戦争に勝つためにも、アスリートとして優勝するためにも禁欲が推進されました。今考えるとこれによって、かえって精神がおかしくなったり、アスリートとして大成しなかったと思われます。何事も中庸がよろしいかと思われます。