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アベノミクスはいくらやっても効果はないと言っています。怜和になって景気分の下降がはっきりしました。いくらインフレ志向にもっていこうとしても、給料が上がらなければ、景気は拡大しません。円安でインフレになるのは最悪のケースで、国力の衰退、外国からの国内資産の買い叩き、先進国から後進国になることです。ただ株をやっている連中が喜ぶばかりです。金融資産が上がるので、それに関連する業者がリフレ政策を支持するのです。ただこのギャンブルにカネを突っ込むだけで、実体経済にはカネはまわりません。日銀を動かし緩和させ、カネを市中にばらまくと、株も土地も値上がりします。ただそれだけのバブルで、新しい技術の開発とか、今までにないような製品を作るといったものもないのですから、自然と国内産業は疲弊していきます。と、いうのが小幡績がいつも言っていることです。
デフレの時は日銀に対して、規制を取っ払ってカネをドンドン刷らないと景気は良くならないと、「識者」はよく言っていました。カネをどんどん刷ろうが刷るまいが、現在われわれは豊かになったとは感じられません。円安で輸入製品が上がり、最近はかえって生活が苦しくなったという実感があります。どちらが正しいのかさっぱりわからないというのが今のところの感想です。
人間の寿命は現在のところ120歳だろうといわれています。「命の回数券」=テロメア説とミトコンドリア説の両方で人間の寿命が語られています。長寿の人も120歳前後で死んでいます。遺伝子操作でこの二つを若い状態にしておけば、永遠に死なないことになります。私の年齢70ちょっとではまだ死にたいとは思いませんが、1000年も生きたりすると、いい加減うんざりするでしょう。年をとっていても元気であればいいのですが、杖をついて自動車を運転するようでは、とんだ迷惑をかけるので、食べないで人生をたたむほうがいいかもしれません。
人の染色体は23対、合計46本、男と女が子供を生むと、子供の可能性は2の23乗×2の23乗通り、2の23乗は8388608だそうで、卓上計算機では桁数がたらないので、とにかくとてつもない数字になっています。大よそ70億通りの可能性があるということになります。これでは時には大天才も生まれようとするかもしれません。しかし大概はカエルの子はカエルでしょう。
「卵が先か、鶏が先か」の問題は「生命の誕生は遺伝子から始まったのか、たんぱく質から始まったのか」という風に置き換わります。杉本正信によりますと、「多細胞生物の個体から卵子と精子の原型ができて・・・」ということで鶏が先であるということになります。
このタイトルは多分日本の編集者が考えたものでしょう。「雨を愛する、人生を愛する」がフランス語の原題です。味もそっけもありません。このことは、外国ポルノと日本のポルノの違いを見てもわかります。外国女はただ恥じらいもなく咆哮するだけで、男に愛撫されていながら、それでは足らないというかのように、自分の手でも激しく愛撫しています。欲望が強すぎるというか、ライオン同士のセックスという感じで、情緒がありません。
ドミニック・ローホーはソルボンヌ大学を出て、アメリカの大学でも学び、日本の仏教大学でも学んでいます。日本の古典、俳句、中国、韓国などの詩人たちの書いたものを抜粋しています。広範な教養を感じさせます。雨に降りこまれて、家にこもることに違和感を持たないということは、「わび・さび」も理解していることになります。もはや西欧女から大いに逸脱していて、半ば東洋化しているといえましょう。こうなると永井荷風の「四畳半襖の下張」がアポリネールのポルノ小説より質が高いのがわかります。
2007年サブプライムローンの破局から、世界金融不況が継続している2009年に出版されています。小泉政権から構造改革がはじまり、格差が広がってきた時代です。金を動かして莫大な富を得るのが「勝ち組」と称していました。森卓はこれに対して「価値組」という、音素は同じだけど、意味は真反対な生き方を示しています。六本木ヒルズの派手な生き方、乱交パティー、数万のディナー、ランボルギーニといったものから、秋葉のメイドカフェ、時間切れの100円の弁当、ミニチュワカーにシフトし、慎ましい生活の志向を提案しています。要は収入の少ない人は見栄を張って生きてはいけないということです。
江戸時代では職人は費に、5時間働くだけで生活できたということです。その代わり家は借家で、布団などリースでもあったということで、ほとんど持ち物はないという状態でした。余った時間は、「物真似教室」や「駄洒落教室」に通ったり、農民は閑な時は剣道など習っていたそうです。そういえば、幕末の剣豪。近藤勇も農民出身です。
NHKの放送で、残業規制によって残業代が入らないため、マイホームローンが払えなくなったサラリーマンが多くなったということをやっていました。50代近くのアナウンサーが取り仕切っていました。NHKの職員の給料の高さはよく言われていますが、この男性アナウンサーは2000万円近くもらっているでしょう。このような人に、年収400万のサラリーマンが月4,5万の残業代がなくなって困窮していると、いかにも同情しているフリをして言ってもらいたくないものです。総じて新聞社やテレビ局のマスコミ界は、有名難関大学を出て、30歳を出る頃には1000万円を超えています。アメリカの場合、一流のジャーナリストの年収は736万円(1ドル=80円この本の出版2012年)で、地方紙レベルの記者では年収300万円程度です。アメリカの新聞記者はどんな記事を書いたかを示して、転職していくそうです。終身雇用の日本の記者は記者ではなくサラリーマンだと言っています。これらが仲良しクラブの「記者クラブ」を作り、同じ有名難関大学での官僚や大企業の同期生と馴れ合って、決して他を入れないようにしています。このようなことだから批判精神は生まれようも無く、アメリカではこのような記者は「アクセス・ジャーナリズム」と馬鹿にしています。最近「上級国民」が話題になっていますが、これら難関大学出が作り出すエリアには「官尊民卑」の精神がはびこり、いい思いをするのが当たり前だという「上級国民」の驕りが高まっているのでしょう。
私は何十年前から新聞をとっていません。単に収入があまりないので、止めただけですが、このような貴族社会がもたらす情報など何十年もさらされていなかったということは、これらに毒されていなかったということでいいことだと思われます。NHKに対しては、この前視聴料を払いたくないのだと電話してみたところ、テレビを古物商に売り払って、その証明書を付けて出してくださいとの返事がありました。今頃はNHKだけ写らないテレビがあるそうですが、それではいけないのでしょうか?