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この本を読んで再びまじまじと自分の指紋を見ましたが、驚いたことに指紋が消えかかっています。若いときははっきり見えた指紋が見えません。長年皿など洗ったせいで指紋が薄くなったのでしょう。私の記憶では親指が流れで、あとの指はみな渦巻だったと思います。これは、八卦を二つ重ねて64卦で見ると「沢天夬」になります。つまり親指流れで陰、人差し指渦で陽、中指も渦で陽、この三つの上卦は「陰陽陽」で八卦では沢、今度は下卦ですが、中指を再び使い、陽、薬指、陽、小指 陽、「陽陽陽」で八卦では天を表し、両卦重ねると「沢天夬」になるということになります。「沢天夬」の基本的な意味は決断決行ということになります。この卦の性格は「剛腹、剣難の血統で」山師か太っ腹の政治家、幼少は恵まれないが、徐々に成功していく。度胸と熱意があり、スケールの大きいことに向いていて、こまごまと頭を使う仕事は不向きだと書いています。まったくそうかもしれません。このような小さい商売をしているから一向にうだつが上がらなく、大企業の乗っ取りを画策し、ヤクザから銃弾を打ち込まれるくらいの人物ではないかと思ったりしますが、もうこの年では銃弾よりもインフルエンザで肺炎になるのがおちでしょう。ときたま占い本を開いて、違った自分を夢見ることも、精神衛生にはいいのかもしれません。
アメリカの刑務所の動画を見ると、全身刺青をした男が運動場でバーベルを上げたりして体を鍛えています。突然ギャング同士、人種間で殴りあいも起こります。このようなところに日本人のようなカラの小さい人間は生きていけないでしょう。ギャングたちにとって刑務所は大学に相当するそうです。ここに入ることによって箔がつき、悪事の演習を履修することによって、もう一段高い犯罪を目指します。コカインの売人というけちな犯罪で刑務所に放り込まれても、何年後体を鍛え上げ殺人などへとも思わない屈強なギャングとして出て行きます。アメリカでさえこのようなものですから、メキシコ、中南米、コロンビア、ペルー、等々の国々では毎日ギャング同士が殺し合いをしています。おまけにギャング団と警察がつるんでいますから、どれを信じていいのかわからない国ばかりです。バスをジャックして乗客から金品を盗ろうとした強盗をバスの乗客が取り押さえたが、パトカーが来ると、強盗は優々と逃げていったということもあるくらいです。
これらメキシコ以南の麻薬カルテルは多国籍企業やマクドナルドやフランチャイズ店を真似て、国境に関係なく世界に麻薬を売りさばいています。いくら南米のコカイン畑を焼いても麻薬カルテルには痛くも痒くもありません。
トム・ウェインライトはアメリカの政策が麻薬の取り締まりだけに莫大な予算をかけているのが間違いであると言っています。いくら発見した密輸麻薬を焼却処分にしようとも、吸引者を減らさない限り意味がないのだと言っています。コカイン所持で捕まったものを刑務所に入れるのではなく、リハビリセンターを作り吸わないような教育に予算を投じるべきだと言っています。
アメリカでは大麻を吸うことが許されている州がいくつもできてきました。コロラド州では大麻入りチョコレートやビスケット、清涼飲料水までできています。大麻はいくら食っても死ぬことはないそうですが、大麻入りのビスケットを食った19歳の男の子がビルから飛び降りて死んだという事件もありました。これがラリッて人を殺したなどという可能性もありますから、マダマダ日本では大麻を吸うことは許されないでしょう。
聖徳太子が厩の前で生まれたというのは、キリストの誕生にもとがあって、だから聖徳太子は架空のものだという説があります。635年にキリスト教が中国に伝わり、日本書紀は720年に完成されたのであるから、中国からキリスト誕生の逸話が伝わってきており、それを聖徳太子に当てはめたというのではないかということです。同時に日本書紀を創ったのは当時の権力者の藤原不比等と長屋王であり、律令国家の権威を示すために聖徳太子像なるものを創作して、自分たちの権威を高めたのではないかということも考えられます。聖徳太子も蘇我氏の一派であり、厩戸皇子と名づけられたように、馬飼集団の一員であります。蘇我入鹿、蝦夷という息子と父が天皇にも勝る権力を持ったことで反対派から粛清されましたが、蘇我の本家が潰されただけで、傍系は生き残り、蘇我から石川、藤原と名を変え、藤原不比等まで至り、政治の中枢を担うようになっています。
蘇我氏は朝鮮半島の百済から、馬を戦闘に使う技術やら仏教をいち早く取り入れた集団です。目先の利く人々であったのでしょう。単なる豪族から天皇家に自分たちに娘を妃に入れるほどの名家になりました。本家の蝦夷が自殺して家を焼き払ったので、天皇家の貴重な文献や宝物はなくなりましたが、傍系が平安時代までも生き残り、藤原の栄華を極めています。
このタイトルの日本語訳は誤解をまねきかねない。原題は資本主義はモラルがあるのかとなっていて、つまり道徳的なのかと問うているのです。フランス語での徳はvertuというものがあって、徳のとりわけ高い人に使われる言葉です。モラルとは社会生活をおくるための最低限の規律のようなものとして機能しています。おまけに日本語の徳は得とも発音が同じですから、口頭で言われると、資本主義は得を得るものだということで当たり前ではないかといわれそうです。
資本主義は金持ちになるには最も適した構造です。これに道徳的であるかないかを問うことは無意味です。スポンヴィルはこれを「非道徳的」だと言っています。道徳とは関係ないのです。ただしこの体制のなかにいる人間にこそ道徳が問われるのです。
いい例としてゴーン氏について考えて見ましょう。潰れかけていた日産にゴーン氏が入ってきて、義理と人情(スポンヴィルのいうところ、宗教色の無い愛)のしがらみでどうにもならなくなった組織を粉砕し、首切り2万人も行い、不採算部門を売り払い、スリムにして日産を建ち直させました。資本主義で何よりも大事なことは利益を計上することです。会社が潰れていては愛情のへったくれもありません。ここまではゴーン氏は資本主義の鏡といえましょう。しかしこれ以降が問題です。自分の年収を10億円、日産の期間工の年収は200万円もないかもしれません。道徳的であるということは自らの行為に対して恥じ入ることが無いような行為をすることです。このような収入格差にゴーン氏は恥じ入ることがないようです。自分の親族には世界のあちらこちらに高いマンションを日産お金で買ってやり、「愛」を振りまいています。おまけに第二回目の妻にはベルサイユ宮殿で結婚式を挙げ、この費用も日産に付回しています。おまけに自家用ジェット機まで購入し、これも日産の付け、プライベートで使いまくっています。まるでアンシャン・レジーム期のような、貴族と下層人民とにわかれ、日産の従業員はゴーン氏に金を吸い取られるだけで、まるで奴隷のような生活を強いられています。おまけに株の失敗のツケまでも日産に払わさせています。もうここに至っては最低限のモラル=法に抵触しないわけにはいかない。自ら恥じることがないのですから、法に照らして罰するほか無いようです。
ハーバード式思考法であるからさぞかしすごいものであろうと思っていましたが、簡単に言えば、45分くらい集中したら15分くらいは休んだほうが、勉強にも、アイディアを作るにも効果的だということです。このようなことは60年前言われたことで、受験勉強など何時間もぶっ通しでやるよりも休み休みやったほうが効果があります。集中している時は一点だけを見つめて周りが見えなくなっていますが、ぼっとしている時は、まわりも見えてきて、それらが結びついてアイディアも浮かぶというものです。ぼっとしている時はただぼっとしているだけではなく、頭の整理をしていることになります。
このように考えると、一生同じ仕事をして真面目に過ごしても、大した成果は上がらなく、名人にはなれるかもしれませんが、社会の枠組みを変えるほどのインパクトある仕事はしていないのかもしれません。その例として、ポリミラーゼ連鎖反応法の発見者マリス博士の経歴を出しています。彼は大学で生化学の博士号をとると、サイエンスフィクションの作家になり、また大学に戻り、どうしたわけかまた大学を止め、パン屋の店長になったりしています。昨日離婚を発表したアマゾンの社長もアマゾンを始める前には安定した高収入の会社の幹部でありましたが、やめてアマゾンを立ち上げ、いまでは世界一の金持ちになっています。ただ運が良かっただけだとはすまされないものがあるようです。勤勉さを売り物にしてきた日本人は今からはボケッとしていることも肝要です。なにサボっているのだといわないことです。グーグルの会社には玩具や遊び道具がたくさんあるようで、日々遊んでいるようですが、それから斬新なアイディアが出れば、一挙に社会のあり方も変わります。勤勉(集中)とだらけは思考の両輪です。