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自転車を乗れるようになると、意識しないでも体が反応します。脳が自動運転のモードになったからです。無意識が体の動きを指令しています。考えることもなく、脳のエネルギーの節約もしてくれます。しかしこの節約が、いろいろなバイアスをもたらします。一匹のイヌの救助に全国民がハラハラするのに、ルアンダの大虐殺には何の反応もしないのは、なぜか?人間は古来、少数の家族や親類などの苦しみにはよく気づきますが、大人数の集団の苦しみは、同情やら優しさの気持ちが湧いてきません。無意識は「大きな数字」は苦手ということです。ヒットラーは一人を殺した殺人者より「何百万倍も悪人」と「腹の底から」感じることもありませんとヴェダンタムは書いています。これを「望遠鏡効果」と名づけ、無意識は100のものよりは1のものにフォーカスするようにバイアスをかけているのだそうです。だから一匹のイヌの救助に多大な義捐金が集まるが、ルアンダの大虐殺に会った人々にはお金が集まらないということになります。
無意識は便利なものでありますが、別の意味で「障害」にもなりうるものです。ヴェダンタムは最後こう言ってしめくっています。
「本能や直感より理性を優先できるのは、人間をこれまで存在したあらゆる動物との間に一線を画する、特筆すべき性質である。隠れた脳を理解して、そのいたずらから自分を守るためにセーフガードを築けば、日常生活をもっとうまくすごせるために役立つであろう」
「美容精神薬理学」と最近言われるように、「深刻な精神症候群のためではなく、知的能力を高めるために薬を服用する」ことが多いそうです。コーヒーよりも何百倍も効果がある化学薬品もあります。「陰気な性格」や「詩人の空想的な物思い」も化学薬品で一挙に陽気で、社交的なセールスマンに変身できるようになりました。アメリカのエリート校では頭の偉くなる薬を飲んで学業に励んでいるようです。
アメリカの犯罪者を調べた結果があります。「満足と幸福」を感じさせるセロトニンが出ると、副産物として5-HIAAが「生成」されます。この5-HIAAが少ないと、つまりセロトニンの排出が少ないと、無計画の粗暴犯になり、5-HIAAが高すぎつと、計画的殺人犯になるそうです。無闇にセロトニンを出すための薬を飲んでいると、そのうち人を楽しみながら殺すことになるようです。快楽殺人犯の誕生です。
このように薬で人間の性格を変えられるのであるなら、「自由意志」はあるのかないのかが問題になってきます。しかし私の脳の限界か、スタンバークの「自由意志」の論旨の展開がいまいちはっきりせず、よくわかりません。やはり頭を良くする薬を飲まないといけないようであります。
マウスの走行箱のようなものを、人間用に作り変え、そこでの人間の行動を統計的に処理して、人間のありようを究明しているようであります。
実験しないでも結果がわかるような実験もしています。模型の組み立てで、はじめは3ドルのアルバイト料を払い、2回目は少し減らし、3回目は2回目よりも減らしていくと、何回目までアルバイトをするかという実験をしています。それには比較対象があって、一つはできたものを並べておく、もう一つはできたものをその場でアルバイトの提案者が分解していく、というものです。いくら報酬をもらっていても、せっかく組み立てたものをその場で壊されるのを観ると、やる気をなくします。意味の無い仕事はモチベーションが上がらないという、真っ当な結論を確認しています。
折り紙の鶴を作っても、イケヤの組み立て家具を買ってきて組み立てても、自分の努力を注入したものには、高い評価をつけるという実験もしています。これは親ばかにも通じるものでしょう。
ダン・アリエリーは自分の経験も研究材料にしています。ドイツ車が故障して、その販売店に電話したところ、けんもほろろの態度をとられたので、車の故障以上に受付の態度に腹が立ったということです。これを参考にして、このような実験を組み立てました。コーヒーショップで、来たお客に5ドル支払うからこの書類からsが二つ続いた単語を円で囲ってくださいと頼みます。対照群はこの説明をするとき、途中で携帯電話が鳴り少しの間携帯で話をし、またお客に仕事の内容を説明するということで、お客に苛立ちを与えた場合と与えない場合どうなるかを検証したのです。5ドルを進呈する時わざと多く7ドルくらいを渡します。その時、正直に5ドル以上ありますよと、言うかどうか二つの対象群で比較したのです。当たり前ですが、苛立ちを感じさせられたお客のほうがおカネをごまかしたのが多かったということです。それにもう一つ、自分の非礼を謝ると、そのごまかしは少なくなったと言っています。だからドイツ車の販売店の受付も少しでも謝ってくれればそんなに腹が立たなかったろうにと言っています。
ゾンバルトが恋愛と経済を結びつけたように、カーネマンは心理学と経済を結びつけた最初の人です。これより行動経済学という分野ができました。
フロイトによる妄想心理学から、マウスを迷路で走らして観察する心理学もでき、より科学的になったといわれ、最近はカーネマンのように数学と統計を組み合わせた心理学ができて、文化系かと思われた心理学の敷居が高くなり、数学のできない学生は理解することが難しくなっているようです。
カーネマンはイスラエル人で、軍役でパイロットを養成する教官たちの技能をアドヴァイスしていました。スポーツのコーチも軍の教官もそうですが、体罰といかないまでも、叱ることで選手や兵士の技術が伸びるという信念を持っています。これに対してカーネマンは統計学の「平均への回帰」を持ち出し、褒めようと叱ろうとも関係なく、まるでコインを投げて表や裏の出具合が長い回数投げていると一定しているように、選手も兵士も訓練を続けると、時には逸脱もありますが、ほぼ一定した上昇線をとるのだと説明しています。
今は学問のどの分野でも「学際」ばやりで、解説にも在るように、「神経経済学」というものもできていて、脳外科と経済学がドッキングしているのです。エッジファンドで宇宙工学の専門家が金融工学を作ったように、単に金儲けするためにこのような難しいことを学ばないといけないということは、こんごますます能力の無い人は生きづらくなっていくようです。
マネーには、一万円札とか500円銀貨のようなお金と、銀行や日銀などで記載される数字としてのお金があるようです。後者は別の言葉で「信用」ということになるようです。お金でわかるようにはじめは金とか珍しい貝殻とか珍しい石とかが物を買える貨幣になりました。時代を経て、金を自宅に置いておくととられるので、立派な金庫があるところに金を預けます。預けた証明として証書を作り、預けた人に渡しました。金庫の持ち主は、預けた人々がいっせいに引き出すことがないので、その金を他人に貸したり、また証書も金の裏打ちがあるので、世間に流通します。それがお札となったというのです。それで金本位制ができたのです。はじめはその証書は金に代えられるので、「信用」あるということになります。ところが金がなくても、「信用」=お札だけでも社会が回っていくということがわかりました。現在市中にあるお金の総量より、何十倍もの「信用」の総量があるそうで、このへんまでくると、うとい私には何やなんやらわからなくなります。「マネタリーベース」「マネーストック」「マネーサプライ」「信用創造」・・・・。
かつての常識では、不景気な時には、お札を刷って、お金を増やし、企業に借金してもらって設備投資を増やし、生産性を上げ、少しインフレ気味にすることによって、景気が回復するといわれていましたが、今は、いくらお札を刷っても、企業が金を借りるということは無く、企業も内部留保が多くあってもそれを設備投資に回そうとはしないようです。ただ銀行や企業にカネが溜まるだけで、我々大多数の貧乏人にはゴミくらいしか溜まりません。中国のように、習近平の年老いた体を、若い死刑囚の体と入れ替え、永遠に習近平体制を維持しようとする革新的技術の開発など、日本では考えも及ばないのですから、ハーウェイなどの中国企業に情報を盗まれるばかりです。技術大国日本の凋落ははなはだしいものがあります。大金を持っているだけで使い方を間違えると、末恐ろしいことが起こると心配でなりません。