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自己啓発本は、頑張れば何とかなるという趣旨のことが書かれています。でも最近の科学の知見では、頑張っても才能がなければどうにもならないということがわかってきています。東大に入る子供は親も東大を出ている人が多い。学習する才能が遺伝として備わっているからです。そのような才能がないものが小学校から詰め込み学習をしても、ものにならず、かえって勉強が大嫌いになるでしょう。政治家も官僚も大会社もマスコミもNHKもみな世襲が高まっています。優秀な親からは優秀な子供が育ち、別に引き立てをするわけでもなく、給料の高い職場に就職できるようです。ではそのような高い教育を受けるほどの才能のないものはどうしたらいいか、橘玲の結論は、そのような陽の当たる、優秀な人たちの溜まり場から遠ざかり、人の集まらない日陰でもいいから、そこに巣くって、自分の好きなことを追求し、極め、それが他人が追随できないほどのワザになると、おのずとカネもまわってくるということになると、言っています。要するにニッチな場所を、隙間を見つけ、そこで他人がまねできないような技を見につけると、アホでも何とか食っていけるということです。行列ができるラーメン屋の大将なんかがそのいい例です。
日本の食料自給率は4割そこそこなので、輸入に頼るほかありません。日本人全部が金持であれば、中国に頼らないでもいいのですが、大半が貧乏しているのですから、中国産に嫌でも向き合わなければなりません。中国産以外の国が記されていても、信用できない食品があるのです。「原産地ロンダリング」して、例えばメイドイン・イタリアと書かれていても、中身は中国産だったりするのです。イタメシの「ポルトリュフ」も中国の「牛肝菌」というキノコであり、「フォアグラ」も中国からイタリアやフランスに輸出されたものであり、そこで加工しているから、メイドイン・イタリアやフランスになっているだけです。中国で栽培されたトマトもイタリアに輸出され缶詰となりイタリア産として日本に来ます。これと同じように中国の西洋わさびを日本に持ち込み、チュウブの練わさびになると途端に日本産となります。この世界では偽装が当たり前のようです。そうかといって、日本は老人国で自前で全ての農産物を作るようなパワーはありません。ここでも農業をするロボットの開発が急務になっているようです。
本のタイトルを見て、韓国などその場その場でコロコロ変える国など好きになってはいけないということだなと思っていましたが、反対で、韓国人が日本を好きになってはいけない国だといっているのです。菅野朋子はJpopの好きな若い韓国人にインタビューして、この本を2000年に書き上げています。韓国の学生たちは歴史で反日教育を受けていますから、ほとんどの人が日本を嫌っています。菅野朋子も韓国人から慰安婦問題や独島の帰属問題を問われています。毎年独立記念日前後に、つまり日本の敗戦の日に前後に、韓国では植民地時代いかに日本が朝鮮人にひどいことをしたかというドラマを放送するそうです。日本の憲兵によって拷問されているシーンをドラマでも、戦争記念館でも蝋人形を作って展示しています。このような記念館に毎年見学することが学生に義務付けられています。このような教育をされると、日本を好きになるということは考えられません。しかし歌やダンスなど芸能は、たとえ日本人であっても格好いいものは韓国でも受け入られます。韓国人にとっては痛し痒しですが、反対に日本人も韓国ドラマにはまっているおばさんたちを見て、こりゃなんだということになるのです。
なぜ日本のオバサンが韓国ドラマにはまるかを、柳在順が解説しています。
「韓国社会は、今、昔の価値観が崩れていく過程の真っ最中にいるんですよ。逆に、日本は、昔を取り戻す過程に入っている。だから冬ソナが、日本人の心にすうっと入ったんだと思う」
別の言葉で、この本の解説の野村進がわかりやすく説明しています。
「儒教社会的な家族関係は崩れつつあるものの、家族の絆は強く、人情もいまなお濃い韓国ドラマに、家族も人間関係も砂のようにばらばらになってしまった日本人がノスタルジーを感じて、引き寄せられているということになるのであろう」
クイズ。3人が60ドルのホテルの部屋を借りました。経営者は5ドル多くとり過ぎたので従業員に5ドル返して来いと命令します。従業員は三人に1ドルずつ渡し、2ドルは自分のものにします。客の三人は一人19ドルずつ払ったことになります。19掛の三人で57ドル、従業員がネコババした2ドルを足すと59ドル、1ドルはどこに行ったのでしょうか?これを考えるとイライラしてきます。いまだにわかりません。従業員が正直なら55ドルで、3人で割ると18と余りが1、だが従業員が2ドル取った。で、3ドル返還して57、三人で割るとちょうど19、余り1が曲者だが、どうしてもよく意味がわからない。
陰謀説などまことしやかに語られますが、偶然の一致はそこらじゅうにあるもので、いくらでも陰謀説を作り出すことができると言っています。よく言われるように60人も集まれば誕生日が同じ人は何組も見つかるもので、60人全部がそれぞれ違う誕生日というほうが反対に珍しいくらいです。
全世界で1時間で何人の人がセックスしているかを推論しています。2000万件だそうで、二人でやっている人も3人でやっている人も、それ以上でやっている人もいるかもしれませんから、男女合わせて4000万人以上で、それに上乗せで300万人か、400万人を足せば、大体妥当な線に収まるのではないかと思われます。
文学と数学の融和を目指しているということなのでしょうか?水と油と思われていた両者が、量子力学ができて、簡単に言えば、科学に物語が発生したということです。そのところをこのように表現しています。
『理論を検証するのに必要なエネルギーが膨大になりすぎ、また距離や質量は微小になりすぎて、実験的に検証できる結果を出せない。彼(ジョン・ホーガン「科学の終焉」)はそこから出てくる科学を「うがった科学」と呼び、それを美術や哲学、文芸批評になぞらえている。世界を見るための、ありうる、興味深い、新しい見方を提供するだけだというのである。われわれの宇宙はいくつもある中の一つか。クウォークは部分に分かれるのか。量子力学の本当の意味は何か。このような問いには経験的に答えることはできないし、ホーガンによれば、こうなっているからこうなっているという物語と空しい推測につながっていくだけだ』
いまインターネットの発達で、日夜膨大なビックデータが形成されつつあります。でもこのビックデータは単なる数字のかたまりですぎません。これをどのように解釈するのが一番大切なことで、つまりそこに物語を見つけ出す能力が大前提となります。それには数学者の頭と作家の頭が必要なのでしょう。これを「柔らかい数学」(キース・デヴェリン「デカルトよさらば」)と言っています。統計でうそをつくという言葉もありますが、同時に真実も語られるということもあります。