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人間の認知形式の中に「物語」あるということです。今のところ、大半の人間が「物語」を通してのみ、世界のことを理解しようとしているのかもしれません。記憶術の達人も、無機質の数字の羅列を物語にして覚えていくそうです。童話も小説も、この物語のバリエーションでありますが、常識も,宗教も、科学も、ここから創出されるといえます。時間の経過が原因と結果をもたらしてくれるだろうという思う傾向を、「物語」そのものが内蔵しているといえるでしょう。こういうことが(結果)が起こったということは、この前にこういうことが(原因)があったからだと、人間は思いがちですが、実際はそれらは全然関係ないかもしれないのです。でもそう考えることで納得できて、その結果が悲惨であっても、気持ちが落ち着くのです。もとものこの認知形式は非常に脆いものをもっています。「妄想」であってもそれが真実に見えてくるということで、「信ずるものは救われる」ということになるのです。「妄想」で救われる人もいますが、「妄想」で苦しむ人もいるのです。軽いうつ病も、重い精神疾患もこの「妄想」がなせるわざですが、健常者も「妄想」で成り立っているといえましょう。「物語」即「妄想」と思えば、「人生」に余り過大な期待をかけることもなく、穏やかに過ごしていけるでしょう。
富裕層を減税させれば、そのカネが産業界にまわり、雇用が増え、税収もまた増えるといった考え方があり、どの先進国でもそのような政策をとっています。ところが富裕層や大企業はそういうところにカネをまわせず、金融商品を買い、楽して資産を増やそうとしています。つまりギャンブラーをしているのです。これをカジノ経済と言っている人もいます。金融商品だけではなく、穀物とか、石油とか、我々生活に密着するものすら、彼らのギャンブルの対象になり、わけのわからない理由からひどく高騰したりして、我々の生活を不安定にしています。ギャンブルが失敗すると、これらの金持たちは税金からの補填を要求します。社会のクズの生活保護者にカネを渡すよりは、優秀な我々金持にカネを渡すほうが後で何倍もの利益が上がるだろうといって。ところがそうして利益が上がったとしても、社会に還元せず、それらを溜め込み、新たなギャンブルをはじめ、余ったカネはタックスヘイブンの地に隠したりして、自分たちの保身にいそしみます。このような金持優遇の政策を続けると、やがて社会への再分配が滞り、公共投資ができないので、街にゴミがあふれ出します。また金持ちが言う人間のゴミ・クズも増え続きます。やがて金持たちは人間のゴミ・クズが入り込めないようなコロニーを作るようになり、このコロニーを守るために私兵を雇うようになるでしょう。どこの国もみな北朝鮮のような国になる可能性があるのです。金日恩の取り巻きだけが、栄養豊かに太り、後の大半は栄養失調で日本海にさ迷ったりし、死骸となって日本にたどり着くようになります。
1989年の大納会で日経平均が3万8915円の最高額を記録して、次の年からバブルがはじけます。「失われた20年」といわれますが、未だに「失われている」と思うほどで、株価が現在2万2千台を越えても、私の店では景気がよくなったとは思えません。そうかと言って、バブル時期忙しかったということもなく、皆さん金回りのいいときは、私のような安い店には来ず、一万円がドンドンはける高級店に行っていたのでしょう。200円、300円といったしみったれた価格設定の店ではにわか成金のプライドが許さなかったのでしょう。いずれにしても私はバブルと縁がなかったということです。しかし私の店の周りの木造の店舗は原因不明の火事が起こったりして、人が焼け死んだり、私くらいの店が1億円で売れたという話も伝わってきました。そんな中私はもくもくかぼちゃを炊いていたので、地上げ屋も覗いていたかもしれませんが、このようなしみったれた男では話にならぬと、もっと儲かる場所へ行っていたのでしょう。銀行と暴力団が結びつき、店子を追い出し、平地にし、それをビル業者に売っていたのでしょう。乱脈融資でバブルがはじけると、その後始末でいざこざが起こります。銀行関係者がヤクザにピストルで撃たれたりして殺されています。でたらめをやっていた銀行が潰れそうというので、税金で補填し、銀行を助けます。最近の裁判で生活保護者がパソコンを買ったら、今までもらっていた生活保護費を返還せよとの判決が出ました。こういうことなら、高い給料やボーナスを改めない銀行関係者がいる銀行などに生活保護費に当たる補助金は即刻返還すべきでした。
私は70になっても過去の嫌な記憶や失敗を思い出すたび、馬鹿な、アホとか、うーんと、一人ぶつぶつと言っています。未だに煩悩を断ち切ることができず、日々カルマの蓄積で自分が押しつぶされていくようです。諦念とは理屈ではわかっていても、毎日腹が立ったり、情けない思いがでてくるということは、悟りから随分遠くにいることがわかります。
しかしブッタのような人が多くなったら、この世はどうなるのであろうかと考えて見ますと、理想的な社会が形成されるとは思えません。全て苦の原因は自分にあり、社会の不公平にブツブツ言うのは自分のコンプレックスによる、至らなさの故であると解説され、プロテスト自体が我執の表れであると言われると、目の前にある不正に何ら文句が言えなくなります。たださえ今日ネオコンの自由主義経済によって、一部の金持ちたちが好き勝手やって自分たちの富を膨らまし、たとえ失敗しても公的資金によって援助を受け、国民の大半の福祉などの予算は無駄使いと切り捨てられ、おまけに労働者階級の賃金は切り下げ、反対に税金だけはこの階級には増やし、金持たちの税率は切り下げられ、あまつさえタックスヘイブンによって税金を全く払わないようなシステムを作っています。これはおかしいと言うと、これはお前が貧乏人で金持にコンプレックスを持っているだけだといわれ、辛苦努力しないからいつまでも貧乏人になっているのだといわれ、やっぱり自分が駄目な人間なのか思い込まされます。仕方なくブッタを真似て瞑想をしますが、ブッタのように根から上品な人間ではないので、心の底ではわだかまりが溜まってきます。それで私のように独り言で、馬鹿な、アホとかつぶやくようになるのです。
中村浩は考古学、博物館学の専門家で、「ぶらりあるき」はシリーズになっていて、タイだけではなく、台湾、香港、シンガポールなどアジアの博物館を紹介しています。タイ遍では博物館だけではなく、宮殿も数多く載せています。タイ国だけが東南アジアで植民地にならなかったのは国王が立派だからという人もいます。今年故プミポン国王の葬儀がありました。それを見ると国民から慕われているということがよくわかります。でも今度国王になった息子は果たしてどうなのかと思われている感じがします。体に刺青をし、若い奥さんを娶っています。政情不安定なこの国をまとめていけるか疑問に思っている人が多いことでしょう。他所の国の私がどうのこうのというべきことではありませんが、16世紀以降山田長政など、タイとの親交も深く、現在も日本で生きつらい人々や、物価の高い日本よりも物価の安いタイに移住している年金受給者がこもっている場所としてのタイを考えると、このたび新国王になったワチラロンコンに前国王に増して頑張ってほしいという気持ちで一杯です。
タイの北部のゴールデントライアングルという、かつては麻薬栽培で有名な場所があります。いまではコーヒーや茶の栽培に取って代わられています。ここに麻薬の博物館があります。阿片中毒者の成れの果ての姿も見せている「ジオラマ」も展示されていて、安易に覚醒剤に手を出す日本のタレントやミュジッシャンを連れ来て、教訓の場とすべきかもしれません。