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この前書いたもので、赤壁の戦いのとき、周瑜の友である蒋幹が偽密書を盗んで曹操の陣地に帰る間際、周瑜の妻大喬と出あってドラマ性をたかめたとありますが、大喬ではなく、小喬でした。大喬は孫権の兄孫策の嫁さんでした。それに劉備の将軍・趙雲が戦場から劉備の赤子を救い出し、劉備の元につれて来たのに、劉備はその赤子を地に投げ捨てたと書き、多分その赤子は死んだのであろうと書きましたが、その赤子こそ劉禅であり、劉備亡き後蜀の皇帝を継ぎました。趙雲が劉禅を救い出したとき、井戸に身を投げた麋夫人は劉禅の実の母親ではなく、実の母親の甘夫人が死んでいたので、代わりに育てていたのでしょう。劉禅は地上に投げ捨てられたせいで、凡庸な君主になったようです。孔明が生きている間は何とか名目を保ちましたが、孔明が死ぬと、魏に降伏しています。
楊貴妃と並び比べられる貂蝉は2世紀の人間で、多分その頃の日本の女は海辺で貝を掘り、田圃の草を刈っていたくらいで、歌や踊りで生きている女性などいなかったと思われます。この頃の中国は経済大国で、歌姫でも生きていける女性が居たということになります。「美女連環の計」といって、英雄呂布と養父の董卓を仲たがえさせ、呂布をして董卓を殺させています。
国が亡びるのは常に後継者の問題になります。儒教では正夫人の長男があとを継ぐべきと言っていますが、第二、第三夫人がいたりして、それらが子供を持てば、すんなりと後継者は決まりません。曹操も孫権も頭を悩ましています。いづれにしてもこれらの孫時代になると、祖父たちの威厳やバイタリティーはなくなり、他の覇者にのって変えられる運命になっています。
粗食レシピときくと、簡単で、一人暮らしの老人でも楽々料理できるものと思いましたが、調味料も料理の工程も多いものがこの本には多くありました。費用も安く、簡単にできて、なおかつうまいものというものはなかなかないものだとわかります。刺身などは切るだけで簡単ですが、値段は高く、ましてや毎日食べられるものではありません。松坂牛は焼くだけですが、それも毎日というとあきが来ます。安いものをそれなりにうまく食べようとしたらやはり工夫を凝らさないといけません。豆腐など醤油をかければ食べられますが、やはり生姜をすって入れたほうがしゃきっとしてうまく食えます。やはりカネのない者は毎日苦労しないと生きていけないようです。生姜をするだけでブツブツ言うようでは、もはや死期が近いといえそうです。この本では「一汁一菜」とご飯ということで、年寄りには若者のように何品もとる必要がありません。出て行くエネルギー量も少ないのですから、取り入れるエネルギー量も少なくていいということで、そのバランスが取れないと病気になります。この本ではまず汁物方食べ、その次に副菜、最後にご飯と言っていて、この順番だと血糖値が急激に上がらないということですが、私としてはご飯を食べながら、副菜も食べ、同時に汁も吸うというとことが、ご飯と他のものが混じって新しい味を作り出すということでいいのではないかと思います。いくら健康にいいといっても、ご飯だけを食べているのは味気ないものです。やはりご飯にはヒュージョンというかコラボレーションが必要で、他と交わってこそ、新規な味が出るというものです。
魏、蜀、呉の三国の中で、呉が一番長く続きました。いづれにしても孫、その次の代になると、盛んになるものはやがて衰えるようです。よく言われるように創業者の苦労や苦心を経験したことがない孫やその次の代なるものが、わがままになり、勝手な振る舞いをすることで衰退を招くようです。神戸製鋼の不祥事も大企業の上に胡坐をかいた緊張感のなさからきているようです。東芝、三菱自動車、遠くは雪印乳業も同じことをやっています。これらの社長がわがままになり、勝手な振る舞いをしたわけではないかもしれませんが、これらの企業の社長たちはその会社に長年いて、徐々に地位を上げたものでしょう。よく言われるように「サラリーマン社長」であり、失敗を恐れるあまり、何か新規にやってみようとする気概に欠けています。慣習を重んじ、ルーチン化した仕事を続けるだけです。曹操、劉備、孫権のように覇業を成すという壮大な気持ちなど持ち合わせてはいません。せいぜい自分が社長の在籍期間何らミスのないように願っているだけのようです。だから世間に知られたらまずいことはひた隠しにしようとします。おのずとほころびが出て、世間を騒がすことになります。曹操、劉備、孫権も何度も失敗をしていますが、その志の高さで、それも仕方ないかと許容されています。現在の日本の「サラリーマン社長」の所業は単に自分の身の安全だけですから、このような志の低い男が社長室の安楽な椅子にふんぞり返って、偉そうにしているので返って反発を食らうのでしょう。
そういう私も父母の商売を受け継いで、二代目ですが、父母時代の勢いはなくなり、単にボケないために店をしている状態になり、バンバンと儲かることはなく、時代に合わせて変えていこうとする気持ちもなく、ただ何とか一日無事に過ごせばいいという、志も全くない生活をしています。反発を食らわないのは、見た目貧相な老人であり、生きていても他に害をもたらさないだろうと思われているのではないかと思います。三国志のドラマや本を読んでみて、残り少ない人生、私も日本国のために、北朝鮮にも潜入し、金日恩の料理場にもぐりこみ、河豚の肝でも食わしてやろうと思ったりしていますが、曹操が医者の毒殺を察知し、医者にまずお前が毒見しろという場面があり、その後医者は凄惨な仕方で殺されるのを思い出すと、私も機関砲でバラバラにされるのでないかと心配したりしますが、これも鳴かず飛ばずだった男の最後にしては上々でなないかと思ったりしています。
渡邉義浩は中国ドラマ「三国志」の翻訳責任者といて毎回ドラマの終わりに名前が載っています。
これはインターネットの青春文庫から電子書籍Koboにダウンロードしたものです。図書館が休みで、時には明治の文豪のものを読んでみようという気になったのです。無料のものをいろいろダウンロードしていますが、著作権のものが切れたものが多いのですから、自然と明治時代や大正のものが多くなります。
「印度の古話」では二つの話が載っています。裕福な親を持つ二人の兄弟の話では、親が死んで、弟が嫁をもらうと、その嫁の入れ知恵で財産をわけることになります。弟はたびたび失敗して兄に援助を受けることになります。兄も限界が来て、弟をしかりつけます。それによって弟は奮発し金持ちになりますが、兄は反対に貧しくなります。今度は兄が弟にカネを無心しますが、弟は拒絶されたことを根に持ってカネを貸しません。それで兄は世をはかなんで、僧になります。そのうち弟もまた貧乏になり、薪売りまで落ちぶれます。兄に薄情なことをしたためだと悟ります。何年かたち、お互いに相手がわからないで出会います。弟はあったわずかばかりの稗を与えます。兄は弟とは知らず感謝して受け取ります。その後弟が薪を取りに山に入るとウサギにあいます。それを棒で撃ち殺すと、それが死者になって弟の体に取り付きます。そのまま家に帰るとその死者は黄金に変わり、また再び裕福になったという話です。「情けは人のためならず」ということわざを地で行ったような話です。
もう一つは姨捨の話です。ここでは婆ではなく、爺ですが、国の法律で役に立たない爺オバは山に捨てることを決めています。一人の大臣に爺がいましたが、山に捨てるのがしのびないので、家の地下に匿います。時に天から神が降りて、国王に難問をなげかけ、これが解けなければ国を破壊すると言います。その難問をことごとく解いたのが地下に匿われた爺です。国王はその事実を知って、姨捨山の法律を止めることしたという話です。アフリカのことわざに老人は図書館であるというものがあります。でも昨今の事情をかんがみると、老人の知恵など一種のバイアスに過ぎないのでないかと思われて仕方ありません。
図書館が一週間以上休みで、借り出せず、仕方なしに自前の本を手に取りました。やはり飾っているだけでは、意味がありません。この全集は全巻10万円ほどで、40年前に買ったものですが、当時は老後のためと思って買い、ところがもはや老人になり、はやく読まないと単なる飾りに終わってしまいます。動画サイトで、中国共産党の絶大なる支援の三国志を見、同時にこの本を読み、ドラマは忠実に三国志演義を模していることがわかります。ただし少し違うところもあります。劉備が住民を引き連れて逃げる場面で、劉備の夫人も赤子を連れて遅れて逃げていましたが、とうとう敵に追いつかれ井戸に身投げします。劉備の家来がその赤子を抱え、敵陣を破って、やっとの思い出で劉備の前にたどり着きます。ドラマでは劉備がよくやったと言うシーンで終わっていますが、本では、劉備はこの家来を危険な目に合わせたということで、赤子を地面に投げつけています。多分赤子は死んでしまうでしょう。2世紀の将軍たちのモラルは21世紀の我々のモラルとは全くかけ離れたもののようです。礼節で人徳のある劉備だと誉めそやされているのに、これではちょっと考え込んでしまいます。呉の大都督・周瑜と、曹操の家来で、かつて周瑜と学び友達である蒋幹とのやり取りの場面で、偽の密書を大都督・周瑜の机から持ち出して、朝早く蒋幹が逃げ出すとき、本では歩哨に合うだけですが、ドラマでは大都督・周瑜の誉れ高い美人の妻・大喬と出会えさせて、諜報戦の効果を高めています。
私がこの前巻で感激したのは、諸葛孔明が呉の参謀たちをやりこめるところです。とくにこの言葉は現代にも通ずるところがあります。
「儒には君子と小人の別がある。そもそも君主の儒とは、忠君愛国、正を守り、邪を憎み、沢(影響)を一世に及ぼすようにつとめ、名を後世に留めること。しかして、小人の儒とは、一字一句にこだわり、いたずらに翰墨をついやして、あらた青春を文章作りに使い果たし、白髪の老人となっては経書をきわめ、ひとたび筆を下せばたちまち千言万言の文章を書き上げるが、胸中実は一物もないというもの。たとえば楊雄が、文名をうたわれながらも、身を屈して王莽につかえ、ついには閣より身を投げるに至ったが如き、これがいわゆる小人の儒と申すもので、たとい日に万言の文章をつくるとも、取るに足らぬことでござる」