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アクション映画ほど気分をスカッとさしてくれるものはありません。アクション映画はアクションに徹して、下手に文芸作品的なものにしないことです。
ブルース・リーを見たとき、衝撃的でした。格闘技でも柔道でもがたいの大きい白色人種や黒色人種が黄色人種を散々な目にあわせているのを見慣れていましたから、ちっこいアジア人がバタバタとそれらを倒すのを見ると痛快でした。たとえ悪役である日本人の柔道家がリーに投げ飛ばされても、卑怯なことをしているから仕方ないかと思いました。どうも日本人は台湾を除いて余りよく思われていないようです。リーも香港で、中国の一部であり、第二次世界大戦の日本の所業を教科書で教えられていたのでしょう。リーより少し後にジャッキー・チェンが出てきますが、2016年の中国元旦のテレビ番組、日本での紅白歌合戦のようなものに、メインゲストとして出ています。中国共産党のお墨付きを得たのでしょう。尖閣は中国のものだとジャッキー・チェンは言っています。中国の経済の躍進は同時に中国映画界も躍進さしています。北京にはカンフーを教える学校もあります。ワイヤーを使った特撮でハリウッドまで影響を及ぼします。ワイヤーを使った中国のポルノ映画を見ましたが、興奮するよりも、空中でドッキングするのは痛いだろうなと思ったくらいです。今は私は中国共産党が大支援したドラマ「三国志」を動画サイトで見ています。全巻で100話くらいあるそうで、今はちょうど「赤壁の戦い」を見終わったところです。戦いに敗れて逃げ帰る曹操を劉備の将軍・関羽が見逃す場面では、中国人にも義理や人情があるのだと思わずほろりとされてしまいます。この曹操がまるで田中角栄そっくりで、また関羽も大平正芳にそっくりなのです。2世紀頃の中国では何十万という大軍を率いて戦争をしていたのです。集団戦ではありますが、まず大将同士が一騎打ちをしたりしています。また諸葛亮をはじめとして、軍師やら知恵者らの言動も面白く、中国人は一筋縄ではいけないということがよくわかります。
私は若い頃洋書のマリリン・モンローの写真集を買いました。今も私の家の中で、段ボール箱の中の一つに紛れ込んでいます。探し出したいとは思いますが、面倒くさいことが先にたって、思うようにはいけません。この本で目次の前にマリリンの言葉を記載しています。
「時々私は思うの――私のそばにいてくれて、本当に話を聞いてくれるのは、私が雇っている人、お金を払っている人たちだけなんだって。それが悲しい。どうして私は友達に取り囲まれたことがないの――私に何も期待しないような友達に?」
マリリンもモンテーニュでも読んで、医者など信用しなければ、もっと楽しい生活がおくられたのではないかと思われます。とりわけ未完成で何ら根拠もない精神分析医の話を聞いてはますます混乱するでしょう。これら藪医者がマリリンに睡眠導入剤を与え、その過剰摂取で誤って死んだという説もあります。
カネを儲ける人物には、まるで蚊のように血をそそる人間たちが群がります。ボクシングではマイク・タイソンなど、ファイトマネーが何十億円もありながら、引退した時は借金が残っていたということです。マリリンは死んだとき通帳には7000ドルしか残っていませんでした。贅沢もしたかもしれませんが、マリリンが言っているように、マリリンが稼いだ金はこれら雇われている人がもっていったということになります。世の中には他人を食い物にする人間がいかに多いのかがわかります。
マッサージ師のラルフ・ロバーツは一回10ドルでマリリンの裸の肉体を揉んでいます。一応裸のマリリンにタオルをかけ、その上から揉むということですが、ラルフに揉まれるとすぐ眠たくなるので、彼女の寝室のベッドで揉むようになります。寝室では二人きりですから、男ならこのような美女の裸の前で自制がきくかどうか疑わしいものであります。それも無防備に眠っているのですから、あらぬところに指を突っ込んだりして、・・・こう想像すると、いやいや彼自身のものを挿入したりして、これもマッサージだと称して、おまけに10ドルをもらい、段々腹が立ってきます。
韓国ドラマで、日本の男は悪者しかいません。それも下手な日本語でしゃべっています。日本の女はそんなに悪く描かれてはいません。それは韓国の高校国定教科書に、皮千得が書いたエッセーが載っていて、東京に留学した時、下宿屋で知り合った「ミウラアサコ」との初恋のことが書かれています。韓国では教科書は一種類しかないのですから、高校へ行った人は全てこの随筆を読んでいることになります。だから韓国の男たちは日本人女の「アサコ」に憧れみたいなものをもっているようです。韓国人の男たちは、日本人男の韓国でのキーセン買春ツアーの反動から、日本人女たちが、韓国男の賢さと力強さに引かれ、すすんで抱かれたく思っているのだという考えを持っているようです。また日本のAVビデオの影響から日本人女は好色で、すぐセックスさしてくれるのだという風評もたっています。この風評は遠く朝鮮通信使からもあることで、1636年、通信使の副使の金世濂は著書「海槎録」に「(日本の)婦女子はさっぱりしていて、純情で、賢く、顔つきも明るくこざっぱりとしているが、性癖はきわめて淫乱である」と書いています。総じて韓国は日本人女性には友好的ですが、日本人男性はヘビやサソリのように毛嫌いされています。日本人男性はドラマでは最終的にこっぴどく殴られて、殺されるか、土下座叩頭して許しを請うといった情けない状況になります。日本人は朝鮮人を「チョン」という侮蔑語くらいしか持っていませんが、侮蔑大国韓国では、日本人のことを「チョッパリ(豚の足)」、「倭奴(ウェノム)」、「中村」、「島夷(ドイ)」等々あります。「倭奴(ウェノム)」とはチビ野郎ということです。「中村」とは植民地時代朝鮮には中村という警官が多くいて威張りちらしていたということで、嫌われ者の代表です。「島夷(ドイ)」とは島の野蛮人ということです。お互いこのような言葉は使わないで仲良くしていきたいものです。この本の著者も最後にこう言っています。
「ドラマと現実を混同し、ドラマに日韓友好の見果てぬ夢を託してはならない。いざ日韓間の厳しい現実にぶつかったとき、日本人であれ、韓国人であれ、互いに失望と背信を感じるだけだからだ。ドラマで見たくないものを、目をそらさずに見ることこそが真の日韓友好によりちかくなるのだ」
昔、飛行機を操縦したいというので、旅客機をハイジャックし、何分間操縦さしてもらって、墜落しそうにした男がいました。今は刑期を終えて娑婆に出ているかもしれません。それか精神異常ということで、いまでも処置入院されているかもしれません。でもめったにない経験をしたということは私から見るとうらやましい限りです。私も小さいときから模型飛行機を作ったりして、空に飛ぶことの夢を持ったものですが、今まで私が動かしたものは自動車と50ccバイクくらいしかありません。この本では「ジャンボジェット機のエンジンを全開して・・」と書いていますが、エンジンをどのように起動するかは書いていません。で、動画サイトでセスナの操縦の仕方を見ると、やはり自動車と同じようにキーを差し込んで、ボタンのようなものを押していくとエンジンがかかっているようです。ずっとボタンを押さえ続けていますから、これがアクセルになっているのでしょう。操縦管は引けば上昇し、押すと降下し、右に曲げれば右、左に曲げれば左に機体は動きます。ボタンでアクセルをやっているようですが、戦闘機などで片手で操縦管、もう一方の手でアクセルをふかしたりして、空中回転をしているのでしょうか?やはり本や動画だけで飛行機の操縦はできないようです。ましてやジャンボジェット機などボタンやスウィッチが多すぎて、操縦席に座ると茫然自失になることはまちがいありません。
「学芸の女神ミューズをただの慰めと暇つぶしでもするように使うのは学芸の女神を汚すものだという人物がいるとしたら、その人は、私のように、愉しみと、慰めと、暇つぶしがどんなに値打ちがあるかということを知らないのだ。ほかの目的なんかはすべて笑止千万といってやりたいくらいである。私はその日その日を暮らしている。そして憚りながら、私は私のためにだけ生きている。私の意図はそこに尽きている。私は、若い頃は、見せびらかすために勉強した。その後は偉くなるために少し勉強した。今は愉しむためにやっている。金を儲けるためにやったことは一度だってない」と、書いています。
モンテーニュは広い農園を持つ領主ですから、経済的には何ら心配はないようです。ラテン語で書かれた古典を塔の書斎で読んでいたのでしょう。私はというと、この歳になっても働かないといけない「下流老人」ですから、同じ暇つぶしとしての読書を趣味にしても、品が違います。モンテーニュはラテン語の古典で、私はAV監督の書き散らしたものなどで、高尚さが違いすぎます。同じ暇つぶしとして私には将棋がありますが、モンテーニュはチェスやトランプについて、これらにのめりこむと莫大な時間を消費してしまい、本来やるべきことが出来なくなってしまうということで避けています。モンテーニュの蔵書は千冊といわれていますが、「タイトルとしてはせいぜい260ないし270冊程度」で、それらを暗誦するくらい読み込んだといえそうです。モンテーニュが書斎にこもったというのは当時の社会状況によるものもあったかもしれません。宗教対立があり、今のミヤンマーのロヒンギャ状態と変わりない社会情勢であったのです。老いることにかこつけてこのようなことも書いています。
「老衰は孤独でいるべき性質のものである。私は極端なくらいに社交好きである。しかしこれからは私の目障りな姿を世間の目から隠し、わたし一人で抱えてやって、亀のように自分の殻の中に閉じこもり、引きこもるのが道理のように思われる。私は世の人々にしがみつかずに彼らを眺めることを学んでいる。こんな切り立った山道でそこまでしては行き過ぎというものだろう。いまはもう仲間たち背を向けるときなのだ」
ソクラテスとアレクサンドロスとを比較して、ソクラテスの生きたに軍配を上げています。
「(アレクサンドロス)にあなたに何ができるのかと尋ねると、世界を征服することだと答えるであろう。(ソクラテス)に同じことを尋ねると、人間の生活をその自然な条件に従って導くことができると答えるだろう。このほうがはるかに普遍的で、いっそう骨の折れる、いっそう正当な学問である。魂の価値は高く行くことではなく規則正しく行なうことである。魂の偉大さは偉大さの中ではなく、中庸のなかで発揮される」