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中学校頃からケンカに明け暮れ、高校のときに警察署長のボンクラを叩きのめし、故郷から出奔、大阪に行き、そこで花屋に勤めます。華道の師範の免許も手に入れますが、出奔した時の友が福岡にかえりヤクザになっていて、乞われてヤクザになります。何やかやで、またかたぎになり、こんどは東京でAVビデオを作り始めます。応募してきた女性とセックスすることにより、「オープン・ハート」の奥義を知り、「自己解放」の使徒になり、この奥義をこの本やAVビデオで知らしめ、「オーガズム」を体験し、「自由に生きること」を知ることによって、「プライドや罪悪感」を持っていて心の中で地獄を作り出している我々に「天国」をもたらすのだと主張しているのです。
「オーガズムの原理はとても簡単である。しかし、オーガズムを体験するのは大変難しい。なぜなら、オーガズムとは<制度の世界>で自分を自分たらしめている自我=エゴから自分自身を解放する、<エゴの死>であるのだから・・・そして、セックスでオーガズムを体験し、エゴが死んだとき、人は本当の自分になれることができるのだと私は考えている」
これはセックス時にだけこのようなことをすればいいのであって、普段から「制度の中の自我を」殺していると、単なる助平になってしまう恐れもあります。満員電車で「オープン・ハート」教が蔓延すると、朝っぱらから淫靡なうめき声とすえた匂いが充満するでしょう。これでは日本の国民生産率の低下がまぬがれないでしょう。国力低下をきざして、後々地獄に見舞われるかもしれません。鯛やヒラメの舞い踊りと浮かれる浦島太郎もそのときは気持ちがいいかもしれませんが、その後の浦島を見れば、オープン・ハート万々歳とはいかないようです。
「人々が政府のことについてすべてのことを知っていること、これが民主主義だ。政府が多くのことを知っているが、人々は政府のことを知らない、これは専制政治である」
日本はどちらなのでしょう?「(民に)知らしむべからず」という言葉があるくらいですから、もともと民主主義などやろうという気はなかったのでしょう。今では機密保護法なるものもできて、われわれはつんぼ座敷におかれている状態です。おまけに大手メディアの記者たちは「記者クラブ」などを作って、お上の垂れ流しをそのまま記事にする官報にまがうものしか書けないような者になっているようです。
スマートホンを持っていると、逐一自分の情報を垂れ流している状態になるようです。自分が今いる場所、誰と話しているかすぐわかるそうです。アメリカではそれらを全て監視していて、記録に残していると言っています。今や警察の捜査も監視カメラに頼っている状態で、街中のあちらこちらに監視カメラを設置しているようです。おまけにコンピューターの発達で、監視カメラの中で不審者の行動を供出するソフトもできていて、不審者の行動を追尾し、犯行の現場そのものを押さえることもできるようになっています。そのうち政府にとって危険な人物はドローンが上空で絶えず見張っているという世界が訪れるかもしれません。戦争地帯の中東ではドローンがミサイルを発射して、敵対者を殺害している状態になっています。監視から殺害に至る道は非常に短いと思うべきです。
銀座服部時計店の裏で、殿山泰司の父親と義理の母親が「お多幸」というオデン屋をはじめ、泰司は京橋にあった泰明小学校に通っています。泰明小学校の卒業者に学者の池田弥三郎がいます。泰司の一年先輩です。弥三郎は銀座のてんぷら屋の天金の長男です。オデンとてんぷらでは格差があるように、泰司はこの小学校では何ももらえなかったが、弥三郎は卒業生総代になって校長から記念品をもらっています。弥三郎は慶応の教授、泰司は役者、それぞれの世界で名を遂げたということになります。
泰司は小学生時代寂しさから産みの母親がいる神戸に3度も父親の財布からカネをくすねて家出しています。その都度父親が迎えに来ています。家出がやまったのは産みの母親が再婚したということを聞いてからです。泰司の女狂いは父親譲りです。泰司の父親はカフェのいい女と会うために泰司を連れて行っていました。義理の母親に疑われないためです。デレデレしている父親を見て育ったので、泰司も女の前ではだらしないのです。
新藤監督の映画「母」で、広島に一ヶ月もいたことがあります。酒と女に目のない泰司は大いに流川で羽を伸ばしています。伸ばしすぎて飲み屋に借金が溜まり、自分を3万円でバーのママさんに売ることを思いつきましたが、どんなママも買ってくれません。3000円で買ってもいい女もいましたが、これは冗談なのでしょう。水商売の女はしっかりしていますから、反対に寝ようものなら3万円を請求されるでしょう。広島では先代のカープのオーナー松田社長に酒を飲ましてもらっています。日本で最も男らしいところは広島だと褒めています。マージャン仲間に、マツダの宣伝部のエライサン「横山氏」、材木商の「和泉氏」、東亜航空の社長の「松下氏」、第一広告広島支店長「山尾氏」、男ではありませんが、「赤毛布」のママなどがいて、大いに広島の夜を楽しんでいます。それぞれに子孫がいることでしょうから、この泰司の褒め言葉で自分の父親や母親がいかに大物であったかを知ることができるでしょう。
ドイツの女性を嫁さんにすると、手料理はないと覚悟しないといけないようです。毎日冷凍食品です。家には包丁などない家庭も多いとヘフェリンは言っています。やはり女性も働いて自活できるほどの賃金をもらえば、家で旦那の収入を当てにして旦那に気を使いながら面倒くさい料理などしないでしょう。だから日本の演歌など、ドイツ女には?となるのです。都はるみの「津軽海峡冬景色」の歌詞をドイツ人に訳してみたら、「寒い港町で戻らない男を待ってセーターを編むって生産的でないね」とか「彼女は暖かい地方に引っ越すべきだ」とか「海鳴りがひどいと不眠になって体こわすよ」という感想が出るそうです。要するに演歌は「世界基準」に達していないということになります。インターナショナルになれないということで、「ガラパコス」化そのものです。「合理性」がないのが演歌で、何事も理屈で割りきれるのではないと考えるのが日本人です。ファジーであることが日本人の特徴で、ニヤニヤ笑って何を考えているのかわからないから欧米人はある面日本人を怖ろしがっているかもしれません。電車の中で日本人が眠ったフリをしていますが、欧米人はそれを禅の瞑想をしているのだと感心するそうです。
今回はドイツ人だけではなく世界の国の人たちの特徴が書かれています。イランの金持の究極の持ち物はスーパーカーではなく、生きた孔雀だそうです。それを玄関お前に置き、来客のたびにパッと羽を広げさせることで、自分の豊かさを自慢しているようです。同じ中東ですが、女性の褒め言葉で「牛の目のように美しい」とか「ざくろのような胸」とかがあります。日本では「牛の目」と言われても、美しくないように思われますが、向こうでは美人の形容になっています。テレビ放送も日本では考えられないような番組が高視聴率を取っています。ノルウェーでは暖炉の中で木が燃えているのを8時間も放映したそうです。
日本と似ているものもあり、似ていないものもあり、わけのわからないものもあります。
わからないものでは、「家で漏れるパガシは野に行っても漏れる」、パガシとはヒョウタンを二つに割って、容器にしたもので、日本でいえば馬鹿は死ななきゃ治らないということになるようです。
「稲妻で豆を煎って食う」
機敏さを言っています。漢語で「脱兎之勢」とでもいえるのでしょうか。
「犬の飯にドングリ」
孤立した人間のことを言うのだそうです。ドングリに種は硬くて犬でも食べられないことから、ショボンとしている犬の有様を表現しているのでしょう。
「衣服が翼」
はじめこれは歌手のジュディ・オングかと思いました。不死鳥を模した服を着て歌っていましたから。これは「馬子にも衣装」ということになります。
「腕は内側に曲がる」
身びいきということです。外に曲がれば脱臼で、当たり前のことです。当たり前すぎて意味がわかりませんでした。
「薬屋に甘草」
でしゃばり人間のことをさしています。
「冷めたお粥を食べる」
冷遇されている意味なのかとおもいましたが、「非常にたやすいことの」たとえだそうです。
「自分の洟が三尺」
鼻水が垂れるくらいだから、風邪の症状がひどいのかと思いましたが、自分のことが精一杯で他人まで気が回らないことを指します。
「スイカの皮なめ」
形式的で内容が伴わないことです。
「叩く姑よりもやめさせる姑がもっと憎い」
韓国現代ドラマではオバサンが自分の息子の恋人である若い娘を叩いているシーンがよく見られます。しかし韓国時代劇ドラマでは今日味方であった者が明日には敵対者になるといった目まぐるしい変遷がよく見られます。裏切られるということこそ憎悪をかきたてるものはないようです。
「喉が捕盗庁」
捕盗庁の韓国語での発音は「ポトチョン」といいます。韓国時代劇ドラマの見すぎて、覚えてしまいました。食えないと泥棒までするということです。