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「門口で医者と親子が待っている」
「門口」とは女性器で、「医者」とは薬指、「親子」は親指、小指、つまり人差し指と中指が女性器に入っているということです。
分かりやすいのは、
「バッタバタ亭主のかわる美しさ」
歌手・藤あやこが思い出されます。
昔は卵が強壮剤でありました。
「もうひとつお吸いなねえと生卵子」
今ではニンニクと卵を混ぜ合わせた健康食品が売り出されています。それも夜が元気になるような宣伝をしています。
「買い替えるたびに太くする奥女中」
「張形で在(いま)すがごとく後家よがり」
いまはバイブレータでしょう。
亭主が伊勢参りをするとき、残る女房に、この間他の男とセックスすれば抜けなくという言い伝えをいい含めています。
「抜けぬぞと女房を脅し伊勢に立ち」
女房も負けてはいません。
「旅の留守内儀いろいろ芸が増え」
この本のタイトルを見て、アメリカで中国系アメリカ人がAIで成功し、年収何百億円もあり、プラグマティズムの極致を行き、毎晩モデルと付き合い、そのモデルがぐずぐず言ったら、一億円をパッと投げ与えるような、痛快な生き方をしている男を想像しましたが、実際は単なるアラフォーの肩こり女のマッサージ巡りを書いた本だということで、がっかりしましたが、どんな本でも最後まで読むという習性から、首筋のコリを感じながら、女というものはこのような高いゼニを出してまでも、体をモミモミされたいものかと感じ入り、男たちがファッションヘルスで局所をモミモミされるのと一緒ではないかと思った次第です。最後頃には30万円以上する電動式マッサージ器を買っています。それも十分に体を揉みほぐしてくれますが、やはり人間の手によるマッサージとはちょっと違うようです。
マッサージ師になるのもいいかなと思いますが、このようなこのような肩こりパンパンな太った女がお客さんでは自分が肩こりになってしまいます。若くてピチピチした肉体を持つ女子のマッサージをしてみたいものですが、このようなお客は来ないでしょう。ジェーン・スーという中国系の名前を騙る変身願望の肩こり女の、ある面クレーマーの要素もある、おっかない女を相手にしては寿命の縮む思いがするでしょう。
江戸時代にできた古典落語では現在と風俗も違い、理解しがたいところもあります。とくに「おち」とか「さげ」の意味が解説されないと分からないことが多い。江戸っ子であるということは、ツーカーの世界で、これを言われるとピンとあれを思い浮かべる能力があるということです。そうでないと落語でいつも馬鹿にされる田舎侍になってしまします。現在の我々はほぼ全員田舎侍で、ヤボそのもので、江戸っ子の粋がわからないといえるでしょう。
しかしこの落語的文化構想が明治以降の日本歴史の負の面に寄与しているのかもしれません。何でもかも洒落や暗喩で噺を締め、軽く物事を流して、深く物事を考えない習慣をつけたのではないかと思われます。我々は大本営発表時代、あえて田舎侍にならねばいけなかったのですが、物分りのいい江戸っ子を倣って、表面だけを取り繕うような見方考え方になっていたということです。今一度田舎侍に戻り、何ゆえにおかしいのか、すぐさま結論をつけるのではなく、論理的に考えることが必要だったと思われます。これは単に大本営時代だけではありません。ここ「失われた何十年間」も、福島の原発問題も、シャープや東芝の問題も、これらの舵をとった人々は優秀な大学を出て、物分りのいい頭をしていたかもしれませんが、いまいち田舎侍の物分りの無さ、すなわち時流に流されないで、地に着いて物事を根本的に考えることを軽んじていたと思われて仕方ありません。
読んでいなくても、読んだような気になっている本が多くあるようです。有名で、本の中味も大よそ解説されて、読んだような気になっている本です。マルコ・ポーロ 東方見聞録もそういった本の一つです。日本の家の屋根は金で覆われているといったことが書かれていて、後に欲深い西欧人たちの大航海の衝動を陰で支えた本になっています。金もそうですが、東洋の女についても勝手な思いを吹き込んでおり、彼らの性衝動を抑えきれないようにさせた本でもあります。テベット(チベット)の娘たちは旅人にセックスされるたびにいい女という評価を受け、その回数の多い女ほどテベットの男たちは好んで嫁に迎えるという記述があります。まさしく現在、タイのバンコクの夜の様子を見ると、それがわかります。欧米の退職者のオジサンたちが若いタイの娘の腰に手を巻いて歩き回っている光景が見受けられます。日本の定年退職者もこぞってタイに渡っていますが、円安と、年金の減少によって、かつてほどの勢いはなくなっています。「縁の切れ目は金の切れ目」ということわざはタイでも通用するようです。最近ではホームレスのようになっている日本人もいます。マルコ・ポーロが言った、日本は金の国がいまやメッキの国とわかり、なかには万引きもしたりして、裕福になったタイ国民からも同情されたりしています。
この地球上で多くの種が絶滅しましたが、生き物は微妙な環境の中で辛うじて生きているというのが真相らしい。人口減少の日本もここ100年絶滅しているかもしれません。あるいは絶滅危惧種になっているでしょう。 非正規雇用を多く作り、結婚もできない状態では、今一億人いようと、あっという間にセロになる可能性は高い。吉村仁はモンシロチョウの研究から、現在日本の会社のあり方、アメリカ流の短期機関で経営を考えるあり方に疑問を呈しています。CEOなど会社に利益があればごそっと自分の報酬を上げ、また株主に配当します。働く従業員には給料を切り詰め、景気の変動で首を切りやすいように非正規雇用にしてしまいます。赤字になれば会社を解体して切り売りします。これでは二、三十年続けばいいようなもので、継続ということが出来にくい状態になっています。モンシロチョウはキャベツ畑にも野原の植物にも満遍なく卵を植えつけていきます。これは絶滅しない工夫です。キャベツ畑で農薬がまかれても、野原の卵は孵化できます。現在の会社のあり方はキャベツならキャベツばかりを専門的に作っていることになっていて、環境の変化にもろくなっているといわれるでしょう。男が女より多く生まれるということも、絶滅をしないための工夫です。幼少期男の子が死にやすいので、多く生まれてくるのでしょう。これは人間という種の暗黙の合意と思われます。しかし男が生き残っても、生活できない給料ではもはや死んでいるといえます。結婚は困難になり、日本民族はあっという間に絶滅です。やがて日本列島には中国人が住み着くようになるでしょう。