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宇都宮病院の献本で、その病院長・石川文之進がかつての病院長・平畑静塔の俳句を紹介したものですが、社歴本でもあるようでもあり、自分自身の経歴本でもあるようであり、病院の紹介本でもあるようです。はっきり書いていませんが宇都宮病院の不祥事も載っていて、文之進が逮捕起訴された時、平畑静塔がまた病院長になったと書いてあります。平畑静塔も戦前京大の俳句クラブで治安維持法により捕まっています。平畑静塔の場合は彼の作った俳句が国体に反するという政治的要素で捕まったものですが、文之進の場合、言うことを聞かない精神病者を看護職員が殴り殺したというもので、その管理責任を問われていました。
このように分厚くて立派な本を作るにはたくさんの費用がかかったことでしょう。宇都宮にある病院長が広島の図書館に献本しているということは、全国の図書館にも献本しているということが推察されます。文之進の、逮捕起訴されたという汚点をこの本で、「ロンダリング」してみたいという気持ちがあるようです。
美智子妃と皇太子結婚パレードの時、列から飛び出して何か物を投げた男がいました。警察当局は自分たちの責任を回避するために、その男が何をするか分からない精神病者であるとの鑑定書を精神医学者から出させたということを書いています。文之進も逮捕され、検察から追及されたとき、これら警察・検察当局は、自分たちが作った「ストーリー」通りに被疑者を押し込めるということを言いたかったのでしょう。その鑑定に疑問を抱いた雑誌記者が彼を調べたところ、妻も子供もいて真面目で精神病者だと思えないと言っています。精神病者であるということで事件を大きくしなくし、警備担当の責任を軽微したいという思惑があったのだということです。文之進の思いも、検察の「ストーリー」に乗せられ、受けるものでなない罰も受けさせられてしまったということにあるのでしょう。
去年三浦問題で大いに揺れ、将棋界ももはや存続が危ぶまれた状態から、今年藤井4段の活躍で息を吹き返しました。将棋連盟も将棋を愛する人もほっとしたことでしょう。しかしながら将棋ソフトはもはやプロ棋士を越えています。佐藤名人もポナンザに2連敗しています。その第一局、ポナンザの第一手目は、素人が指すような、王がまっすぐに上がった手でした。定石では飛車先の歩をつくか、角筋の歩をつくかです。王が一手目からまっすぐ上がるようでは、これは将棋を知らない、6枚落ちの手合いだなと思ってしまいます。でもポナンザは勝ってしまいました。2局目では、またまた素人手が出ます。飛車の横にぺたっと金が張りつきました。このような差し手は将棋を少しかじった者には決してやらない手です。人間は一生涯将棋をやっても10万局以上はできないでしょう。でもコンピュータソフトは日夜休み無くコンピュータ同士で将棋をやっています。おまけに自動学習を備え付けていますから、やればやるほど強くなる仕組みになっています。何千万局もやっています。我々人間が考えた定石というものは、コンピュータの中では極狭いところで機能しているだけかもしれません。もはや我々にはコンピュータが何を考えているのか理解できなくなっています。もちろんソフトを作った研究者すら、理解できません。コンピュータ同士が勝手に試合し、勝手に偉くなっているのですから。もはやこれは将棋だけに限ったことではありません。病気診断のソフトは人間の医者よりも早く病気の診断をします。手術もコンピュータがすることになるでしょう。コンピュータはブラックボックスそのもので、だれもこのように推論していくメカニズムを理解できなくなっています。結果の正しは目の前にあるからわかりますが、結果に至る経過は誰も知ることができないのです。やがて政治も経済もコンピュータが代行することになるでしょう。しかし危うさも増大していくでしょう。コンピュータ政治家が政策を決定しても、間違ったデーターを入力し、核のボタンを押すかもしれません。
私が子供の頃よく落語をテレビやラジオで聴いていました。その頃から落語家もタレント化して、金語楼はジェスチャーという番組に出ていたし、NHKのお笑い三人組では、落語家の三遊亭金馬、講談師の一龍斎貞鳳、模写の江戸家猫八が出ていて、毎週欠かさず見ていました。私が一番好きな落語は柳亭痴楽です。
「柳亭痴楽はいい男、鶴田浩二や錦之助、それよりもっといい男」
と言って、マクラにしています。それか「破壊された顔の持ち主」などといって笑わせていました。古典落語をしたことはみたことがありません。すべて新作落語でした。やはり当時でも江戸時代の話など、子供で理解するのは無理です。三平などの「良子さーん」で大笑いしていました。三平など出始めはものすごく面白かったのですが、だんだんその駄洒落が鼻について、晩年は人気が衰えました。この本でも書いていますが、三平が人気絶頂の時は、場内がどよめいて、「地響き」するようだったいうことです。
円丈の師円生は「芸は砂の山」と常々言っていたそうです。つまり稽古をしないと砂の山が崩れていくということです。立川談志と志ん生の次男・志ん朝とを比較して、CDで聞くと、談志の芸は「砂の山」が崩れていると思われても仕方ない状態だと言っています。反対に志ん朝は日々の稽古によって、その砂の山を維持しているように思えると言っています。志ん朝は有名な落語家の息子であり、30数人も飛ばして真打になったので、親の贔屓目でそうなったといわれないために、日夜稽古に励んでいたのでしょう。両者死んだ後、残ったCDを聴けばプロの目には一目のうちに両者の稽古量の違いがわかるのでしょう。
7千300年前、鹿児島の沖で鬼界カルデラ大噴火が起こり、その噴煙で何年も太陽が閉ざされたという縄文人の経験が、古事記のストリーをもたらしたと言っています。つまり、スサノウの尊が姉の天照大神の地で、畦を壊したり、機織の家の屋根から馬を投げ込んで織女を殺したり、宮殿に糞をひったり、乱暴狼藉を繰り返したりしたということは、火山が噴火し、その降灰で畑がだめになったり、噴石で屋根を破り、人が死んだり、スサノウの糞は溶岩を暗示しているのだという主張です。その噴煙のために何年も太陽の光が地に届かなかったということが、天照大神が岩戸に隠れたということになります。このことを最初に言っていたのは、ロシアからの亡命者アレクサンドル・ワノフスキーです。
若い頃、何とかフスキーと言ったロシア系の科学者の、地球の地軸がひっくり返ったり、モーゼの紅海の海水がひいた原因も解説していましたが、これらの大言壮語に感心したことがあります。あとで、この作品はこじつけと揶揄されました。科学的立証がなされてないというわけです。
火山の災害にたびたび見舞われた縄文人の頭の中には、火山の恐ろしさをスサノウに結びつけたかもしれません。しかしこれを証明するものは何もありません。面白い説でありますが、後何百年後に証明されるかもしれません。それまではこのようなことも考えることもできるのだなと思うことしかありません。
韓国の前大統領・パク・クネが日本に対して1000年も憎むと言っていましたが、この小説集の中の「弁明」というもので、その原典を知りました。
「秋墳鬼唱鮑家詩 恨血千年土中碧」
9世紀頃の中国の詩人・李賀が詠んだものです。恨血千年土中碧とは、恨みを抱いた者の血は千年も経つと土の中でエメラルド化するのだという意味です。エメラルド化をすると千年どころではありません。結晶化して永遠に残るということになります。現大統領の文在寅もまた慰安婦問題を蒸し返しています。日本は肝に銘じて、韓国はこの問題に対し、永遠に切りをつけるということしないだろうということを知るべきです。もはや韓国とは距離を置いて付き合うほかありません。何を言われようが、無視して、取り合わないようにしないといけません。
この「弁明」という小説も、日本が絡み、朝鮮の真の愛国者が日本に取り入った朝鮮人にチクられ、日本人の手によって殺されます。日本が負けて朝鮮半島から去ったとき、このチクった男は身替りはやく、日本人の手先であったことを隠し、以前からの愛国の闘士というふりをし、国会議員の選挙にも立候補するという話です。現在でも韓国では日本と親密な関係があるとわかれば、財産没収となる法律があります。韓国で生きていくためには日本人を憎まないと生きていけないようです。よく言われるように、中国も韓国も国内の不満を解消するために、日本を利用しているのかもしれません。日本たたきが激しくなるということは、国内の問題をそらすことにあるのですから、日本もそれぞれの国にそれぞれの問題を解説し、それぞれの国民がそれぞれの問題に直視するように差し向ける情報戦略が必要だと思われます。日本を叩いても一時の憂さを晴らすだけで、根本的な解決になりませんと大いに宣伝すべきです。