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トランプが大統領になれたのはプアーな白人の票によるものだと言っています。それをダークサイドといい、ヒラリーのような元からエスタブリッシュをブライトサイドといっています。グローバリズムの波に乗れない人たちで、学歴が低くて、アメリカでは「ビルビリー」(田舎者)と言われています。男は大概大酒飲みで、女房を殴り、女房は薬物に手を出し、気を失って子供のご飯を作らない。J.D.Vance Hillbilly Elegy A Memoir of a Family and Culture in Crisis J.D.VanceはTEDに出て、自分の出身地のアイオワの状況についてプレゼンしています。経済発展から取り残された地域で、もし彼に支えてくれた祖父母がいなかったなら、やはり父親と同じように低所得者に留まり、酒を食らい、女房を殴り飛ばしていただろうと言っています。宮家によると、これらダーク層がいまやアメリカやヨーロッパの潮流をなしているのだという主張です。イギリスのEU離脱も、このダーク層により、フランスの大統領選でもダーク層によってはどうなるかわかりません。アジアから見るとこのダーク層の思いは白人主導主義にほかならないようにみえます。アメリカでアジア系の学生と白人の学生が学業で競争するとアジア系が勝り、おのずと社会的地位も上がり、その分今まで占めていた白人層の職に白人はつけなくなります。今まで自分が一番と思っていた白人は有色人種によってプライドをずたずたにされます。ヨーロッパでもアフリカや中東の人が行なうテロで、移民排斥が起こっています。元はと言えば、彼らが植民地として利用していた人々です。安い労働力として利用していたのですが、爆弾を仕掛けられては、安いといって喜んではいられません。はっきり言ってアジアから見ると、悪行のツケを払わされているのだとしか思われません。第二次世界大戦も人種戦争といえるもので、戦後日本に攻撃的戦力をもたない、開発させないアメリカの戦略は、二度とアメリカの白人人種に歯向かわせない意向を反映しているのです。今のところ日本はアメリカの家来になって北朝鮮と対峙していますが、三国誌でもあるように、有能な将軍も戦争が終わると、役目がなくなり誅させる可能性があります。今ですらアメリカは日本のあらゆることをスパイ傍受して、信頼なんかしていません。アメリカの軍需政府は日本の危険をたきつけて、在庫の古い武器を買わせるか、アメリカから遠く離れたアジアの地域で戦争を起こし、あわよくば北朝鮮の核爆弾が日本に落ちることを願い、日本に優秀な自動車産業や鉄鋼メーカーの終焉を期し、やがてアイオワが再び活況が戻る画策をしているとも限らないのです。
明代の末期、科挙の受かり官僚になり、引退してこの本を書いたのが洪自誠。道教と儒教と仏教の教えを織り交ぜて書いています。漢文、読み下し文、解説文とあり、漢籍に素養のない私には解説文にいたって、ようやく意味が分かるといった次第です。文章の長さも漢文が一番短く、つぎに読み下し文、解説文にいたっては漢文の3倍くらいの長さになっています。いかに漢文の簡潔かがわかるというものです。中国でも日本でも、これらの文章を読んですぐさま、どこからの古典の出典であるかを分かるようでないと真の教養人とあるとはいえない。たかが数百年のアメリカと違って、中国は4000年もの歴史があり、言葉一つ漢字一つにしても何百もの注釈がつき、それぞれが歴史の重みを背負っているのです。アメリカ主導のグローバリズムで世界に格差が広がったと言われていますが、圧倒的にこの方面では中国がアメリカを超えています。科学の粋を集めた航空母艦カールビンソンであってしても、中国の漢字の万里の長城にはかないはしない。たとえカールビンソンの搭載の攻撃機によって中国の航空母艦「遼寧」が撃沈されても、「遼寧」と言う漢字は美しく残っていくでしょう。今世界は第三次世界大戦の前触れを示しているようですが、洪自誠のように誰もが他所を侵さず、自宅にこもり、贅沢をせず、慎ましい生活をすれば争いはないように思われます。何事も一番大切なものは心の思いということになるかもしれません。
「心地上無風涛 隋在 皆青山緑木 性天中有化育 觸処 見魚跳鳶飛」
前書きで、茂手木元蔵訳のセネカの哲学論文で、「意味不明な」ところがあるので、ドイツ語訳のセネカを読んでみたところ、意味が通じたと中野は書いています。おまけにドイツ語版ではラテン語と併記されていて、値段も日本の茂手木訳本よりも安いと言っています。一応、茂手木には「開拓者への感謝」を表していますが、「不信の念」もあったと言っています。
セネカは子供を亡くした母親に慰めの手紙を書いています。セネカが生きている時代から500年前、ブッタも子を失った母親に子を生き返す処方箋を与えています。「息子も娘も、また誰も亡くなったことのない家からカラシ種をもらってきなさい」と。ところがそのような家庭は一つもありません。どの家庭も誰かが亡くなっています。そこで母親は気づくわけです。「子供、家畜、財産に気を奪われて、とらわれる。人を死王はさらい行く。眠りに沈む村々大洪水がのむように」とブッタは詩にしたためています。
「人生の短さについて」では「なにも髪が白くなったとか、皺がたくさんあるからといって、それをその人が長く生きた印と思う必要な全くないのです。彼はながくいきたのではなく、単に長く生存したに過ぎないのですから」と言う文章がありますが、ブッタはもっと簡潔に詩に表しています。
「白髪頭であるというだけで、長老ではない。ただ年を重ねた彼を役立たずの老いぼれと言う」
これに関して中野は論語も引用しています。
「子曰く、飽くまでも食らいて日を終え、心用いる所なきは、難いかな」
大方のものが人生を無駄に過ごしているように思われます。まさしくブッタが言う「不死の境地を見ることなしに百年も生きる」ということになり、ブッタは対句として「不死の境地を見て生きる一日はこれに勝る」を付け加えています。
「いま為すべきことを為さず、人生を先送りする。これは大抵の人がやっていることだ」まるでブッタや孔子が言っているようなことをセネカも言っているのです。賢人は東西に関係なく思うところは同じだと思われます。
ダメ押しに最後セネカの言葉で終わりましょう。
「80歳いきたところで、もし怠惰に過ごしただけなら、何になるでしょう。そんな人は生きたのではなく、人生に在ったにすぎません。遅く死んだのではなく、長く死んでいたのです」
渋沢栄一が15歳の時、彼の姉が以前から脳病を患い、女祈祷師を呼びました。もともと彼の父はそのような迷信を信じていませんでしたから、父親が不在の時、親戚たちが招いたのです。渋沢栄一もそのような迷信を信じていませんから、女祈祷師がこの家には無縁仏があるのでそれが娘に祟っているのだと言いまと、それで栄一はそれは何年前のことかとききます。女祈祷師は「5,60年以前」と答え、それに対して栄一はたたみかけて年号は?と問います。女祈祷師は「天保3年ころ」と答えますが、そこで栄一は年号の不一致を見てこう言います。
「ただ今お聞きの通り。無縁仏の有無が明らかに知ることができるくらいの神様が、年号を知らないわけがない。こういうまちがいがあるようでは、まるで信仰も何もできるものではない」
これで女祈祷師は退散です。少年にしてこのような合理性を持つということは、彼の将来の大企業家の片鱗が見えてくるようです。
栄一が23歳の時、彼の父親がこう言ったそうです。
「お前を18歳ころから注意してみているが、どうもお前は私とちがったところがある。読書しても理解力があるし、何事にも利発で賢いようだ。私の希望はずっとお前を手下において、私の思う通りにしていきた。しかし、それではかえってお前を不幸の子にしてしまうから、お前の思うままやってみなさい」
ちょんまげがあった時代からそんなに時期が経っていない時にこのようなことがいえる父親もそうそういるものではないでしょう。
「孝行は親がさせてくれて初めて子ができるもので、子が孝をするのではなく、親が子に孝をさせるのである」
栄一は、父親の言に対し、この言葉で締めくっています。
今村復興大臣がまたまた失言をし、バッシングを受けています。70歳だそうですが、もうリタイアなさって公人であられることをやめられたらと、思います。私人であればどのような発言も言質をとらわれることもなく、好きなことが言えます。言論の自由な国なのですから、暴力を振るわないかぎり、逮捕されることはありません。「発言を撤回しなさい」と言っても、「地震が東北であってよかった」と言おうが、それも一個の意見としてそんなにとがめられることもないでしょう。そうは言っても、こんなに老人が増えると、その中には常識がない老人もいます。いい歳をしてストーカーになったりする人もいます。爺さんだから親切にしてあげようという若い女性の好意を誤解して、例えば用もないのに銀行に行き、女子行員の仕事の邪魔をしたりしています。ただ話しかけるだけならいいのですが、退社のときに待ち伏せしたりして嫌われたり、恐れられたりしています。この本でも書いていますが、原文では「歳はとっても浮気はやまぬ」というところの、「浮気」を「恋」に変え、「歳はとっても恋は止まぬ。止まぬはずだよ先がない」ということになり、命がけの恋をする大バカヤロウがいるのです。こいつらの今までの経験は何だったのかと呆れてしまうこと甚だしい。この本に書いている通り、歳をとったら、散歩したり、だべったり、外食したり、映画を見たりして、人様に迷惑をかけないような生き方をしないといけません。