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「クセジュ」文庫の、この「クセジュ」はモンテーニュ自身がエセーで言ったものです。意味は「私は何を知っているか」ということです。我々ほとんどは何かを知っているようでも、突き詰めて問われると何も知っちゃいないということがわかります。毎日見ているテレビでも、それがどうして映るのだと問われれば、満足に答えられる人はわずかでしょう。つまり我々は知っている気になっているだけです。モンテーニュは、だから知らない事柄については判断を差し控えると言っています。でも現在日本では、このような謙虚な人間はどうも見当たらないようです。あらゆる人が(私を含めてですが)ああでもないこうでもないと、漢字一字で言えば、龍が4つもついた漢字「テツ」(しゃべりすぎ)の状態になっています。まるで黙ることが、判断を差し控えることが、愚かさの発露だというアメリカ流のディベート術がはびこり、まるで中国人のように大声で相手を圧倒することが賢さの証明だと言われているようです。このような詭弁的弁護士魂の社会では黒いカラスでも白い白鳥になったりします。真実などはどうでもよくなり、利益が最大になることがこの社会での規範になっているということになります。
小さなことですが、この本の195ページに校正ミスがあります。「運中」と印刷されていますが、「連中」の間違いでしょう。
1572年からモンテーニュはエッセーを書き始め、亡くなる2,3年前の1589年まで、エッセーを書き加えたり、書き直したり、新しく書き加えたりしていました。ピエール・ヴィレーはこの期間のモンテーニュの思想の変遷を、モンテーニュが読んだ本と連動対比して研究しています。端的に言うとこうなります。
「1572年に、ストア哲学から出発し、長い探求の期間を経て、反対側の道徳哲学に移行していった。すなわち、自然の哲学に到達したのである」
これはブッタの思想変遷にも似たものになっています。初めは謹厳的、禁欲的、懐疑的思想から、人間の欲望をある程度肯定し、そうは言っても度が過ぎないように中庸を保つという考え方です。
ラテン語が自由に扱えた彼はまず雄弁の雄・セネカやキケロなど読み、ラテン語訳されたギリシャのピュロンの懐疑主義に触発されて、盛んに引用して初期のエッセーを形作っています。それが年を経るごとに、歴史上有名な英雄や論客の言動よりは、それよりは数段劣るかもしれないが、かけがえのない自分自身についての思索が大幅に入ってきます。自分自身を考え始めると、ああでもないしこうでもないし、古典の言うところの明快・簡潔とはいかないで、わき道に入り、この錯綜したなかで、途方にくれている状態になっているようです。しかしこのような中途半端な状態こそ、近代的人間の萌芽を見ることができるという評価があります。わからないものはあるけれど、どこまでわからないのか突き詰めてみようという科学精神の初期的なものも見えてきます。
モンゴルと言えばまず相撲です。モンゴル力士は日本人力士を蹴散らしています。元寇で日本が征服されなかったのは、たまたま運がよかったというのがわかります。台風がなければ火薬や騎馬戦によって日本は蹂躙されているでしょう。馬乳酒、乳製品、それらに付随する乳酸菌のお陰で、モンゴル人は日本人よりは強靭な肉体を作っているのでしょう。とはいえ日本人も幾分かはモンゴルの遺伝子も残っているはずで、朝青龍や白鵬などを見ても、そのような顔立ちは日本人にも見受けられます。遠い親戚筋に当たるのではないかと思われます。You Tubeでモンゴルの音楽のミュージックビデオを見たとき、懐かしい気持ちにされました。草原に疾走する馬や、浪花節の唸るような発声法は私の琴線をブルブル震わしてくれます。私の父も中国戦線で通信兵として行っていました。モンゴル馬を徴収して、通信機を運んでいました。ときたまモンゴル馬に乗って駆けっこをしていたという思い出話をしていました。普通より少し小さい馬であったが、粘り強く頑固な一面もあったと言っていました。私もいまだに経済的理由とはいえ50ccのバイクを乗っています。四つ車より二輪車のほうが性に合っているのでしょう。時代をたがえ、もし私がモンゴルにいたとすると、私は草原で馬を駆っていることでしょう。大地を蹴るひづめを模したリズミカルな旋律を胸に抱きながら、馬に乗って刀をヒラヒラさせて敵陣に向かっていく自分を想像してしまいます。今衛星からチンギス・ハンの墓を見つけようとしています。モンゴルの家は移動可能なテントのようなものですから、ハンの墓も秦の始皇帝のような大規模なものではなく、大帝国の割には小規模な墓ではないかと想像されます。チベット宗教の影響で葬式も鳥葬で、荒野に死体を置き鳥や獣に処理を託しています。モンゴル人の傾向として、たとえチベット仏教の影響があるとはいえ、長く遊牧を生業にしてきたので、死んだ後のことより、今現在青草の育っているところへ行くという現在志向が強いので、墓にエネルギーを注ぐといった傾向はないように思われます。
本は売れないが、出版数は増えているそうです。100万単位のベストセラーはないが、数千から数万の単位で売り切ろうとしている出版社の傾向が見受けられます。少刷多品目で、危機の分散を図っているのでしょう。おまけに最近では素人がアマゾンで電子書籍を作って売っている時代です。話題になるにはよっぽど奇抜でないと誰の目にもとまらないでしょう。でもこの奇抜は売らんかなという意図のあるものはあまり感心できるものではありません。著者自身が奇妙な信念にとらわれ、その信念を本の託して一心不乱に押し広めようと努力しているのを見ると、崇高の念を感じ読もうかなと思います。事件を起こし、破れかぶれになった人の書き物も読むと面白いものです。てらいなどの余裕はなく、ストレートに自分の思いを書いていますから、人間追い詰められるとこのようなものになるのかと知り、その轍を踏まないよう今後の用心の参考にします。
三浦9段は「1億%クロ」と橋本崇戴は去年インターネットで書いていました。今は削除されていますが、現在三浦にそのような疑惑はないと裁定されて、橋本崇戴は将棋界で微妙な立場であるのではないかと思われます。200人も満たないプロの将棋世界でも諍いは起こるのです。コンピューターが発達し、棋士という職業も脅かされています。コンピューター学者はもはやコンピューター将棋ソフトは羽生を超えているといっているようです。そのような強いソフトが現れたので、離席の多い三浦に疑いがかけられたのです。控え室でスマホのソフトを使って、次の一手を調べていたのではないかと。三浦は竜王戦の挑戦者に決まっていたのに、はずされました。もしそれに勝てば賞金が4000万円以上は入って来るのです。協会側の、証拠もないのに裁定を下した不手際もあって、問題が大きくなりました。
新聞社が現在主な将棋界のスポンサーです。しかし新聞社も広告費の減少などで新聞社の経営は苦しく、将来にわたって将棋界の面倒を見てくれるとは限りません。そういう危機感から前会長の米長はインターネットと組むことを考え、プロとソフトの対戦を企画しました。まず米長自身が登場し負けてしまいます。負けても報酬は1000万円あったそうです。橋本は将棋ソフトと対戦することに反対していました。プロがソフトに負けるのが当たり前になると、もはや将棋プロの存在の意義は失われるという理由からで、9トンのパンチ力のあるロボットと生身のボクサーが対戦しているようなものだと言っています。
将来はなくなるだろうとみなされている職業・将棋プロの生活実態は、最も忙しいとも思われている羽生すら年間「50から60局」で一週間で一回しか将棋をしていません。あとは自由時間で、羽生なら講演とかあるかもしれませんが、他のひまな棋士なら一ヶ月一回将棋するかしないかです。今は協会からクラス別に月給を支払われているようですが、勝てない棋士などいつまでも月給を支払う余裕もなくなりつつあります。かつて森雞二9段が負けた棋士には一切カネを出さないという規則を作ったらどうかと言っていました。橋本も年間勝率も5割前後を行ったり来たりしています。やがて勝てなく時期が来るかもしれません。そのために橋本は新宿に将棋クラブという酒場を経営しています。店のお客さんで将棋隙の人がわざわざ東京まで行き、橋本と将棋を指し、もう少しで勝ちそうだったと言っていましたが、広島から来たので飴を舐らしてくれたのでしょう。